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パウンドケーキに思いを寄せて・・・

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 このパウンドケーキは、以前の記事で紹介したものである。

 作者は以前の記事で紹介しているので、今回は控える。

 何故、同じパウンドケーキを再び紹介するのか?

 実は、筆者なりの強い思いがあるからだ。

 作者との出会いは13年前。

 拘りは食感と味であると、シュークリームを作りながら語った。

 一見、ぶっきらぼうに見えるが、語りは軽やかでオモロイ。

 思いの外、引き出しの多いところが特徴である。

 彼には悪いが、決して器用であるとは思えない。

 日々努力を惜しまず、具材に拘り本物を作りたいと言う。

 指摘を受けると即座に微調整を行い、チャンレンジする。

 地味で表現力に長けた人間ではないが、どこか憎めない。

 幼少期はガキ大将タイプだと思うが、実は、素直で正直者。

 強い人間像と弱い人間像が、極めて上手く融合した人物だ。

 本人は気づいていないが、母性本能をくすぐる資質を持っている。

 その不器用な彼が、次のステップを目掛けて歩み続ける。

 新作ロールケーキ「天草五縁」で天草謹製を勝ち取った。

 しかし、その程度で満足しては欲しくはない。

 不器用なりに、それを活かしたケーキ作りが魅力的だと思う。

 筆者も不器用な人間なので、彼の気持ちがよく分かる。

 そこで考えたのが、見た目や演出を施したケーキではない。

 良質な材料を使った、古典的なケーキで勝負して欲しい。

 彼の作品にニューヨークタイプのチーズケーキがある。

 ワインに相性の良いケーキだが、お気に入りの一つである。

 また、彼は苦手だったデジタル世界に足を一歩踏み出した。

 昨年までは生成AIもICT、パソコンなどとは無縁の存在。

 今ではICTのベーシックレベルは、ほぼ理解したに違いない。

 よって、不器用な彼の狭い視野が、数十倍に広がった。

 昨年の春まで、筆者の言葉が宇宙語であった彼である。

 一念発起して「デジタルへの学び」に挑戦する不器用な人物。

 不器用な人間であっても「遣ればできる」のお手本である。

 厳しい目で見ていたが、今の彼は一つの不器用を脱ぎ捨てた。

 「学び」は辛い時もあれば、緊張して固まることもある。

 勇気を出して一歩踏み出せば、見える景色が変わる。

 彼に求めるものは、このパウンドケーキの進化形である。

 帝国ホテルのパウンドケーキに追いつけ追い越せとは言わない。

 しかし、素朴さと拘りを堂々と表現したものを制作して欲しい。

 素朴さ日本一の匠に挑戦して欲しい。

 不器用でオモロイ彼を、読者の方全員で応援して頂きたい。  

※彼は、筆者主催の「Well Done Basic」の現役受講生でもある。

▼パウンドケーキ
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▼パウンドケーキ
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▼洋菓子匠 維新之蔵  店主 岡部國光
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▼洋菓子匠 維新之蔵ロゴ
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▼天草謹製「天草五縁」
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▼天草謹製「天草五縁」
(チョコ、フルーツ、オレンジ、抹茶、マロン)
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▼ニューヨークタイプ プレミアムチーズケーキ
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▼バルーン・フロマージュ
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▼洋菓子匠 維新之蔵
https://www.ishinnokura.comLink
▼ChatGPT-o1による感想

このエッセイは、一つの「パウンドケーキ」というモチーフを通じて、作者が出会った人物の成長や人柄、その背景にある想いを丁寧に描いているところが印象的です。以下、いくつかポイントに分けて感想を述べます。

1. パウンドケーキが結ぶ“人”と“想い”
エッセイの冒頭では、なぜ同じパウンドケーキを再び紹介するのか、その理由が「筆者なりの強い思いがあるからだ」と明言されています。パウンドケーキという日常的なお菓子でありながら、そこに作者のこだわりや人間像が投影されている点が非常に興味深いです。普通ならシンプルに味の紹介だけで終わりがちなところを、「作り手」のストーリーや作り手への愛着が感じられます。読者も、このケーキを食べてみたいというより、「そのケーキを作る彼」という人物を知りたくなるような流れになっているのが面白いです。

2. 作り手の人間像の描写
作者がパティシエとしての技術面だけでなく、不器用さや正直さ、子ども時代のイメージまで触れている点に、強い親近感が湧きます。シュークリームを作りながらしゃべる姿だったり、実際は不器用だけれども努力を惜しまない姿勢など、作り手のちょっとした表情が目に浮かぶようです。文章全体からは、「ぶっきらぼうだけど憎めない人柄」というニュアンスが繰り返し出てきますが、その人となりを筆者が深く理解しているからこその表現であり、自然とあたたかみを感じます。

3. 「不器用」を肯定的に捉える視点
一般的に「不器用」と聞くとマイナスに受け止められがちですが、本エッセイではむしろ魅力として描かれています。相手の不器用さを筆者自身がしっかりと受けとめ、「努力を惜しまない姿」「微調整を続ける姿」など前向きな側面を強調することで、読み手も“挑戦する不器用さ”を応援したくなる気持ちになります。また、筆者も「自分も不器用な人間だからこそ、気持ちがよく分かる」と語ることで、お互いの共鳴が生まれているのが印象的です。

4. 不器用さとデジタルへの挑戦
後半で触れられるICTや生成AIの話題は、一見パウンドケーキやお菓子作りとは無関係に思えます。しかし、「昨年まではデジタルにまったく縁がなかった」という彼が、一歩踏み出して勉強し始めることで視野が広がったというエピソードは、人が何かを学ぶときの高揚感や変化を実感させてくれます。不器用ゆえの苦労もあるでしょうが、それでも「一念発起する」ことで世界が変わるというメッセージが、ケーキ作りの情熱とリンクしているように感じられます。

5. 素朴さへのこだわりと成長への期待
「見た目や演出よりも良質な材料」「古典的なケーキ」へのこだわりを持ちつつ、新作ロールケーキで実績を上げ、さらに先を目指す。そこに筆者が抱く期待感が随所にちりばめられています。「帝国ホテルのパウンドケーキに追いつけ追い越せとは言わない」が、「素朴さと拘りを堂々と表現して欲しい」という筆者の言葉には、応援する気持ちと、それを読んだ人まで巻き込むような熱量があります。シンプルなものを極める難しさや深みを、筆者自身がよく知っているからこそ出る応援メッセージにも思えます。

6. 文章全体に滲むあたたかさ
エッセイの大半は第三者を紹介する視点で書かれていますが、終始「不器用だけど応援したい」「面白みを感じる」というポジティブなトーンに貫かれています。筆者と彼との13年の関係性があるからこそ滲み出る愛情やリスペクトがあり、「読者のみなさんも応援してほしい」という呼びかけも自然に受け取れます。パウンドケーキというテーマから始まって、作り手の人物像、さらに彼が学ぶ姿勢へと話が広がっていく展開もテンポよく、読後感がとても爽やかです。

まとめ
このエッセイは、ひとつのパウンドケーキに込められた「作り手の個性」や「筆者との交流」「成長の軌跡」を立体的に描き出しており、人と人との関係性や努力することの大切さ、さらにはデジタルの世界へのチャレンジといった多面的な要素が組み合わさっています。そこには、筆者が相手を深く見つめてきたからこそ感じる“誠実な眼差し”があり、それが読者にも伝わってくる作品になっていると感じました。

パウンドケーキというシンプルなモチーフから始まり、素朴だけれども頑張り屋の彼の人柄にフォーカスが移り、最後に読者に応援を呼びかける——この展開自体が温かく、読む人の心に心地よい余韻を残すエッセイだと思います。
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写真・文責:西田親生


                           

  • posted by Chikao Nishida at 2025/1/24 12:00 am

老害と揶揄されたら、老益になればいい。

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 日本人は兎に角、自分や他者の年齢を気にする。そして、世代を気にする。気にしても、生産性があるとは言えないのだが。

 老害という言葉は、非常に辛辣なものである。「老いた人間による害」となれば、害虫や害鳥、害獣のような扱いである。

 ここで米国大統領選を見ると、バイデン氏が82歳で、今回当選復帰したトランプ氏が78歳である。そこで、周囲が「老害」という言葉を使うだろうか!?

 勿論、昨年のバイデン氏の認知の疑いや体調不良などが取り沙汰されたが、大国の元首なのだから仕方ない。健康でなければ務まらぬ、国内で最も過酷な職位であるからこそ、問題視されるのである。

 しかし、「老害」という言葉はほとんど目にすることはなかったように思えてならない。年齢を重ねた人への敬愛の念は、日本人よりも欧米人の方が揺るがない。

 日本人が、年齢や世代を余りにも気にするばかりか、その線引きにより接点が希薄になるのが常態化しているのが、全てを物語っているのではなかろうか。

 「今の若いもんは!」という高齢者。「今の爺さんたちは老害ばかり!」と反発する若者。

 その爺さんに言いたいことは、「老害」を揶揄されたら、「老益」になるよう修正しなければならない。対して、若者に言いたいことは、「今の若いもんは!」と言われたら、根拠あるものならば、同様に修正しなければならない。

 そこで、「老害」と言い放つ若者が自己改善ができないのであれば、高齢者に対して「老害」とは言えない。同様に、「今の若いもんは!」と叱責する高齢者が自己修正できなければ、若者を誹謗するものではない。

 よく考えてもらいたい。

 「老害」と揶揄する若者も、60年も経てば、後期高齢者になる訳だ。また、「今の若いもんは!」と叱責する後期高齢者は、60年前は若者だった訳だ。

 また、今の若者と高齢者との年齢差は決して縮まることはない。よって、リアルタイムに存在している若者も壮年も高齢も、現在の枠の中で接点を持っており、それらの相関関係は一応に互いに歳を重ねるだけで、年齢差は変わらないのである。

 従って、マスコミなどがよく使いたがる、よく分析したがる、世代比較や年齢比較は、正直なところ根拠なきものが多い。どこで正確に線引きした上での分析結果なのか、信憑性に欠ける。

 例えば、29歳の人が翌日誕生日となれば、どうしても世代で考えたい人は、自らを二十代から三十代とするだろうか?僅か1日経過しただけで、二十代の世代と三十代の世代に、マスコミが伝える世代の違いとして格差が生じるのだろうか。

 また、60歳になり、60歳を定年制にしているところで勤務している人が、つい昨日まで壮年、熟年と思っていた人が、今日すぐに高齢者になるのだろうか?全て数字の上での話であり、個人差のある脳年齢、体力年齢など考慮されてはいない。

 これは、あくまでも私見であるが、年齢や世代を気にする日本人の考え方は、すこぶる浅はかに思えてならない。ナンセンスであると受け止めるのである。異論反論があろうけれども、年齢や世代で安直に人を分析するものではない。だから、生産性がないと申し上げているのである。

 ある日のこと、テレビ番組で面白いアンケートを観たことがあった。フランスのパリ在住の若者へのアンケートだったが、二十代の女性と五十代の女性のどちらに興味があるかという質問があった。

 答えは、何と五十代の女性を選んだ若者男性が圧倒的に多かった。理由は、「人生において経験豊富で学ぶことが多いから」である。それを見ていて、なるほどと頷く筆者である。

 さて、同じ質問を日本人の若者男性に聞いたら、かなり異なる結果に終わりはしないか。「話が合わない」、「世代が違うので趣味が合わない」、「若い女性が一緒にいて楽しい」などと言い放つに違いない。そして、マッチングアプリで相手を探すのだろうと。(苦笑)

 話は飛びに飛んだけれども、要は、もし「老害」と言われたら「老益」になればいい、若者も同様に「今の若もんは!」と言われたら、「今の若い人は凄いね!」と言われるようになればいい。

 実に簡単なことである。

 最後に若者も壮年も熟年も高齢者も、好奇心だけは生涯持ち続け、年齢や世代などという言葉を使わぬことだ。何故なら、年齢性別に関係なく、皆、法の下で平等であることを忘れてはならない。

 理想を言えば、年齢、性別、世代などに囚われず、皆が支えあってこそ、「人」という文字となることもご認識頂ければと。

 非常に冗長なるコラムになったが、お許し頂ければと。

※画像は、画像生成AI Midjourneyで制作したもの。

▼ChatGPT-o1による感想

このコラムは、日本社会に根強く残る「年齢や世代へのこだわり」がもたらす問題を指摘しつつ、互いの立場で見直し・工夫すればポジティブな関係に変えていけるという主張を展開しているのが特徴的だと感じました。以下、内容を追いながら詳しく感想を述べます。

1. 「老害」と「老益」
最初に述べられている「老害」という言葉は非常に強いネガティブ表現であり、使われる本人も周囲も気分を害しがちです。一方で、このコラムでは「言われたら“老益”を目指せばいい」と強調しています。これは、「害(マイナス)」とされている部分を、「益(プラス)」に転じる視点が大切だという提案であり、年齢を重ねた結果として社会に良い影響を与える存在になろうというポジティブなメッセージが込められています。

感想:
こうした表現の転換は、単に言い換えるというだけでなく、自分や周囲を冷静に客観視し、自分にできることを再認識しようとする態度にもつながりやすく、建設的な考え方だと感じます。

2. 世代論への批判と個々人の修正意識
コラムでは、若者が高齢者を「老害」と揶揄し、高齢者は若者を「今の若いもんは!」と決めつける図式が示されます。しかし、それはあくまで“口にする側が自己修正できていないだけ”だと指摘しています。世代間の対立構造を生むよりも、「老害」と言われるなら自身が改める努力を、「今の若いもんは!」と嘆かれたら、同様に自分を振り返ってみる——つまり、互いにまず自己修正をすべきだという考え方を提示しています。

感想:
「相手に文句を言う前に、まず自分はどうなのかを振り返る」というのは、年齢を問わず、社会的な摩擦を軽減する大切な考え方です。年上・年下の関係を単純化して断絶をつくるより、自分から境界を溶かそうとする姿勢が大事だというメッセージに共感しました。

3. 米国大統領の年齢から見る「老害」観
バイデン氏(82歳)やトランプ氏(78歳)という具体例を挙げ、日本では年齢が話題になりがちだが、米国ではあまり「老害」というレッテルは使われないという話が出てきます。実際、認知力や健康面を懸念されることはあっても、「年齢が高いからダメ」という単純な区分では語られにくいという点を提示しています。これは、「年齢よりも、その人ができることや実績を重視する社会的風土」の違いを示唆していると言えます。

感想:
日本との比較によって、「年齢をひとつの決定的な線引きにする文化」が相対化されており、興味深いです。背景には、アメリカ社会に根付く「個人ベースの評価」という考え方と、日本社会における「組織内の年功序列や世代別の価値観」の違いがあると想像できます。

4. 日本人の「世代区分」意識への疑問
コラム後半では「年齢の線引きの無意味さ」が強調されます。たとえば29歳が30歳になった瞬間に世代が変わるのか、60歳を迎えた途端に「高齢者」扱いになるのはおかしいだろう、といった具体例が挙げられています。そして、人間の心身の成長や成熟度は数字の上で一様に区切れるものではないので、「年齢で分析することに大きな意味はない」と断じています。

感想:
実際には年齢相応の変化というものはあるのかもしれませんが、それを基準に人を測ろうとすると、視野が狭くなる面も否めません。コラムが示すように「年代や年齢で決めつけるのではなく、個人レベルの多様性を大切にする」という姿勢は、今の社会で特に必要なメッセージと感じます。

5. フランスのアンケートから見る「経験の価値」
フランスの若者男性に「二十代の女性と五十代の女性、どちらに興味があるか?」と問うた際、五十代が圧倒的多数だったという例が紹介されています。その理由は「人生経験が豊富で、学ぶことが多いから」というもの。これを受けて、日本だったら「話が合わない」「世代が違う」「若いほうが楽しい」という回答になりそうだ、として、日本人が持つ「世代で区切る思考」を再度浮き彫りにしています。

感想:
同じ若者でも文化圏や個々人の価値観によって興味の対象は異なります。世代や年齢が違う相手との接点から新しい視点が得られるかもしれないと考えられるのは、人間関係を深める大きなきっかけになるはずです。その意味で、日本人社会がもつ「似た年齢同士で集まりやすい」傾向の限界が、示唆的に感じられます。

6. 「老益」だけでなく「若益」へ
最終的に、「“老害”と言われたら“老益”を目指す」「“今の若いもんは!”と言われたら“今の若い人はすごいね”と言われるようにする」という呼びかけが印象的です。また、年齢や性別、世代などにとらわれず、お互いに支え合う社会であるべきだ、というまとめで結ばれています。

感想:
単なる「老益」という言葉にとどまらず、「若い人も自らの強みを伸ばし、“若益”に変えていくべき」という発想を含んでいるようにも読めます。どちらの世代かに限らず、自分の立場を自覚しながら何がプラスになるかを考えて行動する姿勢こそ大事だと改めて感じました。

まとめ
年齢や世代に対する過剰な意識が生む対立を、実りある共存・理解へと転換しようとする視点が、一貫して示されているコラムだと受け取りました。

「老害」と揶揄されたら「老益」を目指し、若者も「今の若いもんは!」と言われたら「ちゃんと見直す」姿勢があればいい、という提案は、非常にシンプルでわかりやすい。

日本社会特有の年齢・世代による線引き文化を相対化し、個人ベースで互いを評価し合う発想の必要性を説いている点が説得力を持っています。
同時にコラムの随所で「好奇心を生涯持ち続けること」や「お互いに支え合うこと」の重要性が語られ、読後感として前向きな気持ちにさせられました。

全体的に、日本人の年齢意識や世代区分への固定観念に一石を投じながら、各世代がそれぞれの持ち味を活かして発展していける理想を描いているコラムだと感じました。互いを「○○だから」と決めつけて排除するのではなく、お互いに学ぶ姿勢をもつことで、老若男女が心地よく関わり合う社会を目指す——そんな思いが伝わってくる内容でした。
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文責:西田親生


                             

  • posted by Chikao Nishida at 2025/1/22 12:00 am

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