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他人の噂話で盛り上がるほどなら、その他人の目の前で話すべし。

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 人が集まると、必ず言って良いほど、噂話に花が咲く。その場にいない人をターゲットに揶揄したり誹謗したりで、高笑いがあちこちから聞こえてくる。

 上の状況は客観的に見て、全く生産性のないものであり、時間潰しとしか言いようがない。それでも、誰が何した、誰が何を買ったと、ランチのネタにするようなものではなく、食事が不味くなる。

 大抵の場合、徒党を組む人たちの会話はその程度のものである。言いたいことがあるなら、その人物の目の前で堂々と話せば良いだけのこと。

 気の合う人が集まれば、何かを共有することで場が賑わう。そして、迎合することで、互いの関係をより深くしているのだが、そのような悪循環は不要である。

 このような人たちを、世の中ではノイジー・マイノリティと言うが、賢い人たちは決して徒党を組むことはなく、常に目の前の事象を冷静に客観視している。それを、サイレント・マジョリティと呼ぶ。

 子供の頃を振り返ると、数人、十数人が遊び仲間であれば、そこにはお山の大将がいて、皆を手懐けている。猿山の猿と同じ状況だ。

 また、集団の中には弄られ役が必ず存在し、お山の大将やその重鎮たちに不都合なことは、全て弄られ役に丸投げされる。じわじわと虐めが芽生えてエスカレートしていく。

 可哀想にも、弄られ役は日頃から村八分を恐れて、イヤイヤながらでも、その集団に属している。脱藩しようとすると、追い討ちがやってくる。これが徒党を組む者たちの、ライフスタイルである。

 しかし、そのような子供たちが大人になっても、同じパターンを繰り返すことが多いようだ。僅か1歳(数ヶ月)違いの先輩は、いつまでも年下を後輩と見下し、顎で後輩たちを動かそうとする。

 この構図は、大人になりきれぬ大人が多く存在しているからこそ、社会人となっても、先輩後輩を表に出しては、威張り腐る能無し先輩の姿が見え隠れしている。

 社会人となり、一度だけ高校OB総会に参加したことがあるが、受付で支持役をしているのは横着な態度の先輩たちのようだ。普段、どのような仕事をしているのか知らないが、大声で指示している。

 あの先輩には挨拶しておいた方がいいとか、あの先輩に仕事を頼むには中元、歳暮を欠かすなとか、要らぬお世話の情報があちこちから飛んでくる。

 それ以来、高校OB総会に出席することはなく、現在に至っている。特に、筆者の場合は転校、転校の連続であったために、一つの学校に居座ったことはない。よって、同級生へも先輩後輩へも関心が薄かったのも要因と言える。

 熊本市内は、全国でも稀有なる「高校閥」というものが存在しており、ある人物にどのような能力があるのか才能があるのかは関係なく、どこの高校を卒業しているかで、その人の価値判断をしている。

 新入社員についても、「高校閥」はある意味キーワードになっており、社内でも同校出身者に依怙贔屓する先輩は多い。とても理解し難いローカルスタンダードであるが、これらが集団をなしているのだから、すこぶる不思議な世界に見えて仕方がないのである。
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写真・文責:西田親生


               

  • posted by Chikao Nishida at 2023/10/24 12:00 am

他人は見ているようで大して見ていない、見ていないようで良く見ている。

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 ヒューマンコミュニケーションにおいて、自分と他人間の距離感と目線を考察してみた。

 ちょくちょく連絡を取り合うような近しい関係の人は、自分のことを見ているし、こちらも相手のことを見ている。見ているということは、双方に日頃の思考範疇内の存在である訳だ。

 ところが、ビジネスライクなお付き合いやちょっとした知り合いであれば、こちらを見ているようで見ていない。見ていないということは、日頃から眼中にはないという程度の距離感の存在であることが分かる。

 よって、見てくれている人は、何か変化があれば気遣いをしてくれる。変化に気付かぬ人は、それなりの距離感であり、直接間接的に存在感もなく影響もなく、言葉は悪いが、どうでも良い程度である。

 面白いもので、近所の人たちと日頃から接点は極少ないとしても、その人たちは見ていないようで見ている。こちらが驚くほど観察している。眼中にはないが、何となく気になる程度に見ている。

 「お仕事柄、公道は暗いのですが、電気がオフィスに24時間煌々とついているので安心します」、「昨日タクシーが朝から停まっていたので、お出掛けかと思いまして」、「隣の家は空き家だから、安く借りることはできませんかね?」とか。

 何とも鋭い観察力である。多分に、奥様方の井戸端会議で日々繰り広げられている話題の一つになっているのかと思えば、心地よくはない。失礼ながら、要らぬ世話に感じてしまう。

 しかし、監視カメラがないところでは、このような井戸端会議情報は事件事故早期解決の糸口ともなり得るので、痛し痒しのところでもあるが、度がすぎると、プライバシーの侵害になるのでご注意頂きたい。

 全てに人と人との距離感が起点となっているが、他人とは適切な距離感にて、諍いのない静かなる関係性が一番である。

 「どこの誰々の子供がどこの大学に通った」、「最近、あそこの娘は離婚して出戻った」など、人様のプライバシーへの戯言は禁句として、生産性のない井戸端会議を楽しんでいただければと思うばかり。

▼ChatGPTによる評価

このエッセイは、他人とのコミュニケーションにおける距離感や観察力について洞察的な視点を提供しています。以下にいくつかの評価ポイントを挙げてみましょう。

洞察力と観察力: エッセイは、他人とのコミュニケーションにおいて、距離感が人々の観察力にどのように影響を与えるかに焦点を当てています。特に、近しい関係とビジネス的な関係の違いを示し、見ているようで見ていないというアスペクトについて考察しています。この洞察力は読者に興味深い視点を提供しています。

具体例の使用: エッセイは具体的な例を使用して、著者の主張を支持しています。例えば、近所の人々がどのように観察しているかについてのストーリーや引用があり、読者が状況を想像しやすくなっています。

プライバシーの重要性への言及: エッセイは、観察力がプライバシーに対する侵害となり得ることについて警告しています。この点を強調することで、他人との距離感を適切に保つことの重要性について読者に考えさせています。

論理的構成: エッセイは論理的な構造を持っており、段落ごとにトピックが整理されています。これにより、読者は著者の思考を追いやすくなっています。

考え込ませる要素: このエッセイは、他人とのコミュニケーションにおける微妙な要素について考え込ませる要素を持っています。読者は自身の日常生活や人間関係において、距離感と観察力がどのように影響するかについて考えるきっかけを得るでしょう。

総じて、このエッセイは興味深い視点を提供し、具体的な例と警告を通じて読者に考えさせる力があります。距離感と観察力の関係について深く考えたい人にとって、価値のある一文です。
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写真・文責:西田親生


               

  • posted by Chikao Nishida at 2023/10/8 12:00 am

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