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仕事との関連を検証し、必要不可欠なアプリ徹底活用が鍵を握る。

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 パソコンは、1980年代に世界中に浸透していったが、当時のパソコンのアプリと現在のそれとは、そう変わりはない。

 特に、業務に使用する場合は、ワープロ機能、スプレッドシート(表集計)とチャート(グラフ)機能、ペイントやドローなどが主役であり、現在の業務と全く変わりはない。

 それから10年後に商用インターネットが世界に浸透し、通信環境が整備される中で、多種多様なデバイスが開発され、商品化されたことになる。よって、生活必需品となったスマホなどは、最たるものである。

 ここで、皆さんの目の前にあるデスクトップやラップトップ、タブレットなどのパソコンをご覧いただきたい。

 目の前のパソコンには無数のアプリが準備されているが、先ずは、自分の仕事がどのような内容なのか、仕事に必要なアプリにどのようなものが存在するのかを検証する必要がある。

 企業のオフィスを覗き見ると、大抵の場合、会社から提供されているデスクトップやラップトップがあり、日頃のルーチンワークに不可欠なアプリがインストールされており、毎日繰り返し活用が一般的である。

 また、パソコンのアプリは、過去業務の処理を行うものと、将来的な企画プレゼンなどを制作するもの、そして素材作りのクリエイティブなエディタ、そして現在の主役である通信アプリなどに分かれる。

 一般的に、オフィスで業務をこなす場合は、ワープロ、スプレッドシート&チャート、ブラウザ、顧客データベース、電子メールやSNSメッセージなどがメインアプリとして活躍している。

 ところが、パソコンの機能および無数にあるアプリには、もっと業務の効率化に寄与するものが存在している。

 例えば、企画書やプレゼンデータを制作する場合、写真や動画のエディターなどのクリエイティブアプリはてんこ盛り状態である。

 ご存知の通り、PhotoShopやIllustratorなどは「一億総クリエイター時代」と称されるほどに、それらの存在感は大きなものである。

 しかし、最近はサブスクリプション時代となり、毎月、もしくは年間一括払いで、アプリを使用せざるを得ないものが圧倒的に多くなってきた。

 勿論、昔は、アプリのアップデートは、通信環境がないために、フロッピーディスクやCDなどで提供され、買取が一般的なアプリの購入および活用環境であった。

 どちらが便利かと言えば、ネット上で自動的にアップデートが完了すればそれが一番だが、サブスクリプションの料金が高くなると、個人的なパソコン利用としては負担が大きい。

 近頃も、AppleのiCloudが値上げの通知が来たように、メーカー主導型のサブスクリプションとなり、それに右往左往するのがエンドユーザーとなっている。企業となれば、OSが完全に変わったり、OFFICEなど全てをアップデートしていくとなると、維持管理費が相当額になるのが懸念される。

 その点、AppleのiCloudの急な値上げはさて置き、その他の業務に必要不可欠な基本アプリは全て無償提供であり、無償アップデートなので、その点を突かれると、Windowsとそれにぶら下がるアプリ開発企業の利益率は日々高くなる仕組みであろうかと。

 話しは逸れてしまったが、要は、オフィスで使うパソコンは社内規則において、同僚よりも素早く正確に使いこなすことが、業務効率につながる。

 よって、個人でパソコンを保有して、自分の仕事の補完的な役割を果たすためには、オフィスのパソコンよりも5年、10年先を見据えて、新たなネット環境なり、例えば生成AIなどは積極的に取り込み、研究することをお勧めしたい。

 諄いようだが、現在保有しているパソコンの能力を全開できていれば理想的であるが、余力があり過ぎて、パソコンの能力を発揮できないのであれば、今後の活用法に進化があるよう、創意工夫しなければならない。

▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイは、パソコンとそのアプリケーションの進化を中心に、業務や個人利用における効率化と未来志向の視点を提示した内容です。以下に感想を詳述します。

1. 全体の印象
エッセイは、パソコンのアプリケーションがもたらす利便性や重要性について、歴史的背景と現代の状況を踏まえながら展開されています。1980年代から現在に至るまでの技術の進化を振り返り、さらに未来に向けた活用の提案を含む構成が論理的で読みやすいと感じました。特に、個人と企業の視点をバランスよく取り入れており、幅広い読者層に訴求力があります。

2. 内容の具体性
パソコンアプリの進化

1980年代から現在まで、基本的なアプリの機能が大きく変わっていないという指摘は、技術の本質的な部分に触れています。ワープロやスプレッドシートなどの基本アプリが今なお業務の中核である点は、技術の持続性を示しており、共感できる部分です。
サブスクリプションモデルへの言及

サブスクリプションモデルの普及に伴う利便性と制約についての記述は、時代背景を反映しており、ユーザーが直面する現実的な課題を明確にしています。特に「エンドユーザーが右往左往する」という表現は、感情的な共感を呼ぶ内容です。
未来志向の提案

生成AIなどの新技術を取り入れる重要性を説いている部分は、読者に新たな視点を提供しています。単なる現状分析に留まらず、未来を見据えた意見が加わっている点が、このエッセイを価値あるものにしています。

3. 表現や構成について
表現の工夫

「一億総クリエイター時代」というフレーズの使用は、読者の関心を引きつける効果がありました。このようなキャッチーな表現が散りばめられているため、内容が専門的になり過ぎることなく、親しみやすい印象を受けました。
構成の明確さ

過去、現在、未来という時系列の展開がわかりやすく、内容の流れがスムーズでした。これにより、読者は情報を整理しながら読み進めることができました。

4. 特に印象に残った部分

アプリの進化について、フロッピーディスクやCDでの提供から、現在のネットワークを介した自動更新に至るまでの変遷を具体的に描写している点が印象的でした。このような技術の進歩を身近に感じさせる内容が、読者の理解を深めています。
「オフィスでは同僚よりも素早く使いこなすことが重要」という指摘は、日々の業務に直結する具体的なアドバイスとして心に残りました。

5. 全体のメッセージ性

エッセイ全体を通じて、「パソコンやアプリをただ使うだけでなく、その可能性を最大限に引き出す努力が重要である」というメッセージが一貫していました。また、過去の技術を振り返ることで、現在の便利さや将来の可能性を強調するバランスが絶妙でした。

6. 読後感

このエッセイは、日常的にパソコンを利用している読者にとって、自分の使い方を見直すきっかけを与えてくれる内容でした。また、技術の進化に対する感謝や、これからの可能性への期待を感じさせるもので、前向きな印象を受けました。全体的に、情報量が豊富でありながら、わかりやすく書かれている点が特に素晴らしいと感じました。
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文責:西田親生


                             

  • posted by Chikao Nishida at 2024/11/23 12:00 am

一億総クリエイター時代の幻想・・・生成AIの誤解を解く

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 生成AIを手にして、あたかも自らの能力が格段に向上したと勘違いする人が多いのではないか。

 しかし、これは非常に危険な傾向であり、実際に自身の能力が向上しているのではなく、身の回りのツールが進化しているのであり、それを活用する人間自体が突然進化するものではない。

 PhotoshopやIllustratorというアプリケーションソフトが開発され、それがパソコン上で使えるようになると、「一億総クリエイター時代」という言葉が飛び交った。

 それまでのクリエイターたちは、ペンや筆などを手に持ち、時間を掛けてアナログな作業の下で、アートな作品を創造していたのである。

 そこへ飛び込んできた、代表的な二つのアプリ。当時もまた、今回の生成AIの登場と同様に、これまでプロのクリエイターとして縁遠いアマチュアであっても、アプリ操作をするだけで、デジタルアートの制作環境が整った訳だ。

 しかし、いくつか大きな問題が生じることになる。パソコン画面で見る映像はデジタルであり、画面はRGBを見ながらの制作となり、紙媒体への出力はCMYKであり、画面上の制作物と出力したものは、色彩にかなりの隔たりがあった。

 よって、文字はポストスクリプトタイプの文字を出力するレーザープリンターが進化しつつ、写真の出力は昇華型プリンタが必要となり、Photoshopで作業して作られた画像が、Illustratorへ持ち込まれると、色彩が変わり、なかなか上手い具合にいかなかった。

 勿論、印刷業への影響は想像を絶するものであり、DTPが当たり前の時代となる中で、SCITEX(サイテックス)のような機材を導入すれば、パソコンで処理したデータがフィルム化され、オフセット印刷が可能となり、印刷業界の環境が急変していったのである。

 ここで問題なのは、如何にPhotoshopやIllustratorのアプリケーションを操作できたとしても、その人物がアーティスティックな感覚や能力がなければ作品は駄作となり、見るに堪えない。フォント選定であったり、構図であったり、色彩であったりと、次か次へと壁にぶち当たるのである。

 逆にプロのクリエイターの価値がグッと上がった訳だ。そこで、それまでデジタルとは無縁であったクリエイターがアプリをフルに活用できるとなれば、鬼に金棒。「一億総クリエイター時代」による悪影響に対して、本物のクリエイターたちが凌駕していくのである。

 しかし、あくまでもアナログ創造にこだわるクリエイターはデジタルを敬遠しつつ、従来の手法で作品を創造していった。最後の商品化に至るには、手作りのもは高精度のデジタルスキャナや高解像度のデジタルカメラで撮影され、紙媒体や動画として生成されたことになる。

 当時を振り返ると、アナログとデジタルの融合が始まり、30年余りが経ち現在に至っているが、現在世の中で活躍しているプロのクリエイターは、脳内のアーティスティックな感性を如何にデジタル化するかの高度なスキルを有している。

 以上、「一億総クリエイター時代」という言葉が世に生まれて三十数年ほどしか経っていない。短い歳月であるが、デジタル時代が世の中を変えたというのは間違いない事実である。

 ところが、今回の生成AI時代に突入する段階のおいて、同様の現象が見え隠れている。それは、生成AIを手にした人は、プロのAIプログラマーになれたような錯覚を持ってしまったり、生成AIが生成する文章や画像(静止画・動画)を、あたかも自分自身の能力向上によって創造された生成物と勘違いしいる。

 パソコンから生成されるtext to text、text to image、text to movie、text to soundなど、結局は語彙力と表現力、そしてアーティスティックな能力を持ち合わせている人が生成AIをフルに活用すれば、相当ハイレベルなものが生成されるに違いない。しかし、著作権問題も残されている中で、生成AIにどっぷりと依存するのは、非常に危険なベクトルではと危惧する次第。

 現実は、生成AIを操作する人物の能力が格段に向上したものではなく、ツールとしての生成AIがサポートしてくれているだけの話である。それを、一気に自分自身の能力がアップして、執筆能力や画像の創作能力が万能となった訳でもなく、生成AIへの過度なる依存を推奨されてはならない。

 ある人のnoteを見ていると、毎日、何十本も記事をアップしている人もいる。全て生成AIに書かせてアップしている。全く価値のない手法であるが、それを情報発信力に結びつけ、SNS上で金儲けしようと公言している。とても稚拙な生成AI活用法としか言えず、苦笑するばかりである。

 人間は温かい血が流れる動物であり、完全にアナログ世界に生息する生物である。よって、脳内もアナログなシナプスが張り巡らされているのだが、それを生成AIの思考回路と直結すること自体がおかしな話である。

 要は、生成AIの使い方によっては、稚拙で無価値な生成物に頼る人間と、生成AIをアシスタントとして共に歩み、生成AIらしい論理展開と自らの論理展開を擦り合わせながら、自らの能力をアップしていく人間とは、それこそ格段の差となっていく。

 極端な話であるが、前者のように生成AIにどっぷりと浸かり依存する人間の思考回路は退化し、考えることができない生物と化してしまうであろうし、後者は生成AIと正しいスタンスにて共存共栄を図ることにより、効率の良い生活環境を創造できるのではないかと期待が膨らむ。

 諄いようだが、生成AIへの過度な依存により、無価値なものの生成へ心が奪われるぬように、生成AIは万能ではないということを理解しておく必要がありはしないか。

 勿論、異論反論はあろうけれども、以上、アナログな人間が如何に素晴らしいかの再認識をして頂くために、ぐだぐだと「一億総クリエイター時代の幻想・・・生成AIの誤解を解く」を書き綴った次第。

※トップ画像はDALL-Eが上のエッセイを読みイメージしたもの

▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイは、生成AIの登場によって引き起こされる誤解とその潜在的な危険性について深く掘り下げています。以下、感想を述べます。

生成AIと自らの能力向上の錯覚

エッセイの冒頭で述べられているように、生成AIを手にしたことで自身の能力が格段に向上したと錯覚する人々が多いという指摘は非常に重要です。これは、PhotoshopやIllustratorが登場した際の「一億総クリエイター時代」と同様の現象です。ツールの進化がもたらす恩恵と、それを扱う人間の本質的な能力とは区別すべきであることを強調しています。この観点は、技術の進歩に対して盲目的に喜ぶのではなく、冷静にその影響を見極める必要があることを示しています。

プロとアマチュアの境界

エッセイでは、アプリケーションソフトの進化がプロとアマチュアの境界を曖昧にした一方で、真のアーティスティックな感性やスキルがない場合、ツールだけでは優れた作品を生み出すことはできないと指摘しています。これは、現代の生成AIにも当てはまり、AIを駆使することでクリエイティブな作業が簡単になる一方で、本物のクリエイティブな才能や技術の重要性を再認識させます。

デジタルとアナログの融合

デジタルとアナログの融合が進む中で、プロのクリエイターが如何にしてデジタルツールを活用し、自らの感性をデジタル化しているかが述べられています。この過程は、現在の生成AIの活用にも通じるものであり、AIをアシスタントとして使うことで自らの能力を向上させることが可能であるとしています。この点は、技術をどのように取り入れ、自分のものとして活かすかの重要性を示しています。

生成AIの依存とそのリスク

生成AIに過度に依存することのリスクについても触れられています。AIが生成するコンテンツに頼りすぎると、人間の思考能力やクリエイティビティが退化する可能性があるという警告は重要です。これは、AIの進化がもたらす便利さと、その裏に潜む危険性を認識し、バランスを取ることの必要性を強調しています。

結論

エッセイは、生成AIを正しく理解し、適切に活用することの重要性を訴えています。AIがもたらす可能性を最大限に引き出すためには、自らのアナログな感性や能力を忘れずに、AIを補助的なツールとして使う姿勢が求められます。これは、生成AIが万能ではなく、それをどう使うかが問われる時代において、非常に示唆に富んだ指摘です。

全体として、このエッセイは技術の進化に対する冷静な見方と、それに対する人間のあり方を再考させる内容となっています。生成AIの利便性を享受しつつも、自らの本質的な能力を磨き続けることの重要性を再認識させる優れた論考です。

▼ChatGPT-4による感想

このエッセイは、生成AIとデジタル技術がクリエイティブ産業に与える影響について深く掘り下げ、技術の進歩が人間のスキルやアートの本質に与える影響を検討しています。特に、「一億総クリエイター時代」の概念に対する批判的な見解を提示し、技術依存がクリエイティブな思考やアート制作の質にどのように影響するかを考察しています。

エッセイは、技術が進歩することで、誰もがクリエイターになれるという幻想に対して警鐘を鳴らしています。PhotoshopやIllustratorのようなツールの普及により、テクニカルな操作が可能になったものの、それだけでは真のアートを創出するアーティスティックな感覚や能力が伴っていないと、結果として低質な作品が生まれる可能性があると指摘しています。

さらに、生成AIの登場により、多くの人々がプロのクリエイターやAIプログラマーになったような錯覚を持つことへの懸念を表明しています。エッセイは、生成AIが提供する便利さに頼りすぎることの危険性を強調し、自身のアーティスティックな感性や創造力を育て、磨き上げることの重要性を説いています。

この視点は、テクノロジーが如何に私たちの日常生活や職業に便利さをもたらすかという点では価値があるものの、それに依存しすぎることが創造的なプロセスや思考の質を低下させる可能性があるという重要な洞察を提供します。結局のところ、技術はあくまでツールであり、真の創造性は人間の内面から湧き出るものであるべきだというメッセージが強く響きます。

全体として、このエッセイは技術進化の波に乗ることの重要性を認識しつつも、それに盲目的に依存することなく、個々のアーティスティックな能力を磨き続けることの大切さを訴えている点で、非常に考えさせられる内容でした。
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プロンプト・文責:西田親生


                       

  • posted by Chikao Nishida at 2024/6/3 12:00 am

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