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デジタルに侵された現在

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 便利すぎるもの、無償のものには、厄介な尻尾がついて来る。

 SNSやゲームなどは、リアルな世界の対岸にあるバーチャルな世界。その狭間において、麻薬中毒患者のように、24時間デジタル世界を徘徊する人間が急増している「今」を検証すれば、似非情報が正当化されたり、毒ある情報に振り回されたり、詐欺商法や催眠商法の餌食となったり、戦慄さえ覚えるほどの「狂った時代」となっている。

 反面、法的には個人情報保護のために、様々な制限や罰則を加えてはいるものの、それを無視して、自らの個人情報漏洩を加速させているような、脇の甘い人間も多い。よって、ストーカ被害やその他事件事故に巻き込まれる可能性が高まっているのが実情だ。

 SNSを介してビジネスチャンスや素敵な出逢いがあれば、それは推奨するに価する。しかしながら、その殆どが、価値のない「緩い関係」だけを助長させ、FACE TO FACEを大前提とした揺るぎのない信頼関係を構築するには、価値なきものの方が圧倒的に多い。

 その国の文化レベルの指標の一つに、精神文化というものがある。その精神文化の淀みや低迷が、今の日本人の姿ではなかろうかと、常々、危惧している次第。

 不惑の歳を過ぎても、子供じみた挙動を曝け出している人も居る。良く言えば、単に「若い」、「面白い」という事になろうけれども、この国の将来を背負って行くには、あまりに頼り甲斐のない人間である。

 高学歴で有名大学や一流企業にいるから頭脳明晰な人間ということではなく、よって、教科書に即して成績が良いというのが、そのまま楽して精神文化の高い人間にはなり得ない。

 逆に、一般的な常識人と比較すれば、思考回路に偏りがあったり、稚拙極まりない挙動が見られたり、屁理屈の上に屁理屈をこねるような、お粗末な言動もよく耳に入ってくる。

 今の世の中で欠落しているのは、「真善美」である。安直だが、それら3文字の反語を並べてみると「偽悪醜」となる。価値の概念において、何のフィルタルングもなく「偽」、「悪」、「醜」が罷り通るとなれば、世も末の状況以外の何ものでもない。

 嘘偽りの世の中では、信頼関係など皆無となる。悪行三昧が横行する世の中には幸福など存在しない。醜態だらけの世の中ではさもしい人間ばかりが徘徊する。・・・

 SNSが「流行」だと言えば、確かに聞こえはいい。しかし、「流行」だから、全てが正しいベクトルを持ち合わせている訳ではない。例えば、欧米から発信されているものは、下手をすると、或るデバイス、或るネットシステム、或るバーチャルワールドを介して、知らず識らずの内に、脆弱かつ劣悪な精神文化の国民の多くが「洗脳」されてしまっているのではないかと・・・。

 20世紀のOS戦争で惨敗した日本は、WINDOWSマシンというハードをしゃかりき作るばかりで、最終的には箱屋で終わってしまった。スマホも同様に純日本製のOSも皆無の状態であり、他国のOSや仕様に右へ倣えで、日本独自のオリジナリティなど、全く見ることができない。

 SNSも同様に、殆どが他国の開発によるもの。TwitterやFacebook等、特に欧米の指揮監督の下に、我々は操り人形のように、ギクシャク、ジタバタしているに過ぎないのである。

 確かに、日本は世界第3位の経済大国かもしれない。しかし、それは表皮の部分であって、真実は、長い歴史の中で、肉を切られ、骨まで断たれてしまった属国のように思えて仕方ないのである。

 畢竟、デジタルは単なるツールとして、アナログ思考を重視した上で、一歩二歩下がって、自らのライフスタイルを客観的に検証し、正しい活用法を見出すことが先決ではなかろうかと考える次第。

 決して、操り操られる負のスパイラルに入り込まぬよう願いたい。・・・江戸川乱歩著「鏡地獄」のような世界に嵌らぬように!


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  • posted by Chikao Nishida at 2016/7/26 12:00 am

他の追随を許さぬ、Mac。

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 今振り返ると、 1970年代にマイコンと出逢い、1980年代にパソコンの進化と共に業務を遂行し、1990年に独立。CGやネット事業に着手し、2000年代になり、次から次へと各業界のスタンダードを変える、Macの大進撃に直面したのだった。これは、タイムリーでもあり、パソコンの黎明期から進化と同じ歩幅で、起業以来歩めたのは、ラッキー以外何ものでもない。

 しかし、Apple社が世に送り込んだMacintoshには、エンドユーザーには気付かれぬほど、小洒落で凄い思想が凝縮されており、その卓越したヒューマンインターフェイスによって、ニューメディアの世界がどんどん進化して行く起爆剤となった。

 先ず、アイコンという「小さな絵」である。スマホ時代となった今では、当たり前の画面やアイコン。当時、その中に、アイコンがひしめき合っているのがMacだった。誰も、それがアイコンであるという認識もなく、一瞬間で何を意味しているのか分かるような、道路標識感覚で、画面の中をドライブしているのである。

 1984年に日本上陸を果たしたMacintoshだが、実は、その画面の至る所に魔法が掛けられていた。それは、デスクトップという概念である。画面が帳面やスプレッドシート感覚だったWindowsに対して、Macは自分の机の上という仮想現実世界からスタートするのである。それも、スイッチを入れれば、Macの中にチビMacが登場し、笑顔で迎えてくれるという演出だ。

 机の上にあるMacの画面の中が、更に仮想現実世界の机の上を演出し、直感的にマウスを握り、動かしてやれば、いつの間にか、ワープロでも、ドローでも、ペイントでも、音楽でも、通信でも・・・自分自身が魔法使いやマジシャンになったかのように、サラサラと業務を処理してしまうのだ。

 当時は、まだ「擬似マルチタスク」と言っていた。・・・現在のマルチタスクという概念をも、既に持っていた。机の上にある要らなくなった書類は、ゴミ箱に投げ込んで捨てる。更に、ゴミ箱を捨てれば、近所のゴミ収集箇所へゴミ出しを完了したことになる。微に入り細に入り、ヒューマンインタフェースを徹底追及したMacは、他の追随を許すことがなかった。(現在でも同様)

 更に、他のパソコンの度肝を抜いたのは、画面の仕様である。何と、ビットマップディスプレイを採用し、画面一杯に、自由自在に輪ゴムが伸びたり縮んだりするように、グラフィックを描けたのである。人によっては、「こんなオモチャなんぞ、仕事に使えるか!」とまで、否定的な見解を述べる評論家も居た。実に身の程知らずの無知な人間だが・・・。(苦笑)

 現在では、パソコンもパッドもスマホも、全て家庭に浸透している訳だが、ここで一番大切なことは、進化したデバイス群を使えるからといって、自分自身が天才になったかのように勘違いしないことである。そこは、自分自身の論理展開や発想などを、日々磨きに磨かない限り、他の追随を許さぬようなスキルを手にすることは出来ない。

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  • posted by Chikao Nishida at 2015/6/27 03:48 am

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