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化石の一眼レフカメラ Nikon D1

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 最近、頓に凝っている「化石の一眼レフカメラNikon D1(1999年製)」。購入したのは2000年の1月だったと記憶するが、初めて使用したのは、社員旅行も兼ねて、香港のスーパースター・レオという豪華客船に乗船し、香港、中国本土、ベトナムなどを巡った時だった。

 ごっつい重厚な一眼レフを肩に掛け、客船にある28箇所のレストランに足を運び、多国籍料理を撮影した事を思い出す。残念ながらその写真を紛失。たぶん、倉庫のどこかのCDにバックアップしたと思うが、今回紹介できない。

 足を運ぶ観光地で待ち構えている外国人カメラマンたちが、筆者の方を凝視して「自分の持っているアナログNikonとそのNikon D1換えてよ!」と冗談ながらに、何度も何度も話し掛けてきた。海外では、Nikonを「ナイコン」と呼ぶ。

 当時、市場ではCANONが一眼レフデジカメを出してはいたが、その価格が数百万円と、筆者のような庶民には手の届くようなものではなかった。その高価な一眼レフデジカメの世界を変えたのが、このNikon D1である。

 とは言っても、本体価格が65万円。レンズは別売なので、欲張って数本レンズに手を出してしまえば、100万円は軽く超えてしまう。今では考えられないほどの超高級一眼レフデジカメであった。

 時代も変わり、現在は、Nikon D800とサブ機としてD600を仕事で使用している。しかし、余りの画素数重視の市場に、嫌気がさしているのも事実。WEB上の記事やA4サイズ冊子用の写真であれば、800万画素あれば十分だと考えられる。

 よって、プロ用のCanonやNikonの一眼レフでは、1600万画素程度が圧倒的に多く、決して画素数を重視していない。あくまでも、画質に拘っている。

 ところが、目を瞑っても簡単に撮れるミラーレスやコンデジの「売り!」は、画素数の高さを比較強調している。アマチュアの消費者ニーズを考えると、その方が断然売れるのは理解出来ない訳ではないが、ある程度の画像処理速度と画素数があり、上質なレンズさえあれば十分である。

 ネットもカメラも進化を続ける中で、どうしても光学レンズを通したアナログなファインダーの世界を好む筆者である。化石のような一眼レフカメラや音楽の世界のレコードの方が、どうしても身体に馴染んでいる。

 実際、如何なる高度なデジタル技術をもってしても、アナログな一眼レフカメラの画質やレコード(真空管アンプなどを含む)の音質には、デジタルが優っているように思えるが、質においてはまだまだ劣っているのが事実。

 蛇足ながら、オフィスに鎮座しているNikon F4Sも復活させ、久し振りにフィルムを使った撮影を試みようかと・・・。

 ※以下写真は、Nikon D1本体とNikkor単焦点レンズ50mm(安物)を使って撮影したモノクローム。


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  • posted by Chikao Nishida at 2013/10/27 07:59 am

貴方の人生は???

▼イメージ写真(九曜杏のサラダ)

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 昨夜、熊本ホテルキャッスルの九曜杏からテイクアウト(a doggie bag/take it home)で持ち帰った、野菜サラダ。・・・見るからに彩り良く、バランスが良い。豊富な野菜、サーモン、ローストビーフ、ホテルメイドの特製ドレッシングも添えてあり、今日の朝食はすこぶる清々しい気分となり、実に有り難かった。

 ・・・・・・

 今朝、食事をとりながら、人生とは静的な和のわびさびの世界も良いが、時にはビビッドな洋の世界も良かろうと・・・人生の起伏、紆余曲折、挫折、歓喜、歓声、満足、充実、反省、感涙、発起、邁進、突進、猛進・・・と、今までの自分の歩んだ道を辿ってみたのである。

 過去に残したのは、当時苦肉の策で打ち立てたマイルストーンが沢山ある。それを確と踏んでは、また次のマイルストーンの設置に明け暮れた半生だったような気がしてならないが・・・振り返れば、人生の小路に散財するマイルストーンのドットが延々と続いているのが見えてきた。・・・時には古い写真を眺めては、当時の人たちとの会話、動きなどが走馬燈のように蘇ってくる。・・善きも悪しきも。

 人との出逢いは大切な瞬間として捉えている筆者だが、それが自分の人生において最後まで良好な関係として続くというのは、如何せん、たいへん希有なものである。よって、じっくりと膝をつき合わせ、胸襟を開き、人生を語れる相手は極僅かなものとなり、殆どの人達は、言葉は悪いが、通りすがりの人が断然多いことを知らねばならない。

 1日24時間、貴重な時間を割いてコミュニケーションを交わすのは、一人の人間として、物理的にも限界がある。だからと言って、その24時間をギッシリと缶詰状態にしても、息の詰まる人生のようで、無味乾燥な感じを受けてしまう。

 これはあくまでも持論だが、人生とはギュウギュウ詰めの缶詰状態を過ごすのでは無く、できるだけスカスカ状態の中に、貴重なものだけを取り込むスポンジのような人生が素敵では無いかと、最近頓に考えるようになってきた。大勢集まるパーティ会場で名刺を配りまくるのも良いだろう。一日、あちこち駆け回り、大勢の人達と会って空騒ぎするのも良いだろう・・・。

 しかし、自分自身を日頃からしっかりと見つめるだけの時間にゆとりが無ければ、完全に偏ったバランスの悪い人生で終えてしまいそうな気がしてならないのである。慌てた人生で駆けっこしている人も居る。太極拳のように、しっかりと足を踏ん張り、優雅にスローな人生を楽しんでいる人も居る。日々逆鱗に触れるような事をしでかし、自滅している人も居る。自己正当化の為に、火の粉を四方八方に振りまいている人も居る。正義感よろしく、空くじばかりを引いている人も居る。・・・様々だ。

 さて、貴方の人生はどんな人生なのだろうか???・・・果たして、彩り良く、バランスの良い人生となっているのだろうか???


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  • posted by Chikao Nishida at 2013/10/25 12:15 pm

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