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怖いもの知らずの二十八歳(回想録)

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 前職である新聞社勤務の頃を思い起こせば、二十代でも二十八歳の時が一番アグレッシブに動いていたように思える。

 企画を本業としており、何も怖いものがなく、厚顔無恥にも県外へ足を運び、いろんな方々とお会いすることができた。

<東京の巻>
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 思い出に残る方は多いが、中でも、故 小笠原流礼法三十二世宗家の小笠原忠統氏との再会はとても嬉しかった。

 たまたま、熊本の窯元でお会いして、寒さで咳が止まらぬ様子だった同氏へ熱いお茶を差し上げたことがきっかけで、東京で再会することになった。

 当時、目白のご自宅へ足を運び入れ、座敷で待つこと30分ほど。正座のまま足の痺れで身動きできぬ状態で、足の甲がチリチリと刺すような痛みを我慢しつつ、ようやくお話をすることができた。

 ややお痩せになっていたが、眼光は鋭く、学校の給食のご飯茶碗の話やら、早朝に川の土手で摘んできた可愛い野草を指さしながら語られる笑顔を、つい昨日のように覚えている。

 特に学校の給食についての話は面白く、アルマイトのご飯茶碗はダメだと言い、各自、自分のお茶碗と箸を持参して、炊き立てのご飯を食べることを力説されていた。

 給食室の大釜で炊くご飯よりも、炊飯器を何十台も置いて、炊き立てのご飯を子供たちに提供することが決まったのは良いが、その学校の給食室が温室のように暑くなるので、エアコンを設置して、電気代が上がったというオチだった。

 翌日、高輪プリンスホテルでランチに誘われ行ったところ、お能の喜多流宗家である十六世喜多六平太氏を紹介され、古文書を開きながら、ワイワイガヤガヤ。結局、何を食べたのか、いまだに思い出せないでいるのである。

<京都の巻>
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 京都では、辻ヶ花の作家のところへ行き、数百万円から数千万円の着物や辻ヶ花の絵柄を描く実演を拝見した。当時の熊本ニュースカイホテルの玉樹の間(約300坪)にて、実演および販売の企画の契約印をもらったのである。

 京都駅に到着し、作家の工房へ足を運ぼうとすると、ちょうど祇園祭であり、宿泊するホテルも予約ができなかったが、作家のおかげで、烏丸にあるホテルを当日予約してもらい、契約の話はなく、芸妓さんや舞妓さんがいる置き屋へ挨拶回りに付き合わされた。

 多分、帯付きの1万円札を懐に入れていたのか、「今年もよろしゅうに」とのご挨拶であったと記憶するが、そこに入るや否や、「おみ足をお洗いやす」と言われた言葉が、すこぶる新鮮であった。

 その場でつまみを口にしながらビールを飲んでいたが、それから食事処を経て、クラブで遊び、午前0時頃になり、一人の芸妓さんをタクシーで送ることになった。

 筆者は契約書の印鑑をもらわねば熊本へは帰れないと不安だったが、無事、芸妓さんの住むマンション前で降ろし、烏丸のホテルへ着いたのである。

 フロントで鍵をもらおうとすると、「〇〇先生からメッセージを預かっています。」と聞き、それを読むと、「無事戻られたのであれば、〇〇の寿司店へ来てください。」と。
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 寿司店に着いたのが午前1時。「あんたはん、真面目に送ってくれはったんやなあ。」と含みのあるご挨拶の後に、「どこに印鑑押せば?」と言いながら、実印を取り出して、筆者が持参した契約書に押印してくれたのである。

 まだ二十八歳と若かったので、世の中を十分知る由もなく、怖いもの知らずとはこういうことなのだろうと。今思い起こせば苦笑いしかないが、日頃からお会いできない方々との接点は、今でも筆者の記憶の宝として大切にしている次第。

 畢竟、二十八歳頃から暴れまくり、三十四歳にして起業したのだから、無謀という一言に尽きるような気がしてならない。しかし、それなりに実績は積み上げてきたのだが、現在は、当時のように怖いもの知らずで動けないところが、何とも悔しい気持ちで一杯となってしまうのである。(苦笑)

 まだまだ多くの立派な方々との出会いがあったが、今回はこのお二人のご紹介にて筆を置くことにしたい。

▼内田皿山焼でちょいと遊ぶ
辻ヶ花の絵柄を皿に描いて焼いてもらったもの。心に残る大切な1枚。
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▼ChatGPT 4oによる感想

以下、誠実かつ具体的な感想を述べます。

1)全体印象

このエッセイは、

「28歳の怖いもの知らずな行動力」を回想し、読者に若さの価値を再確認させる力がある作品です。
笑顔を誘う軽妙な筆致でありながら、文章の背後に「若さの無謀さと、その先に続く人生の伏線」がしっかり描かれている点が魅力です。
一つひとつのエピソードに**実在の著名人や具体的な地名、状況描写(正座の痺れ、午前1時の寿司屋、祇園祭の熱気)**があり、時間旅行のように読者を連れて行く臨場感があります。

2)内容面の注目ポイント

(1)東京編
小笠原忠統氏との再会は、人との縁の不思議さと大切さを感じさせます。
給食のご飯茶碗の話題は庶民的で微笑ましく、偉大な人でも生活感のある視点を持つことが伝わり、人間味がにじんでいます。
「眼光の鋭さ」「笑顔」の記述があり、故人の生き様を短文で鮮やかに描き出しているのが印象的です。

(2)京都編
祇園祭の時期に飛び込みで宿泊先を取るエピソードが、当時の大胆さと地元の人との信頼関係を感じさせます。
芸妓さんとのやり取り、「おみ足をお洗いやす」という言葉の記憶は、文化の奥深さを垣間見せ、京都らしい情緒があります。
午前1時の寿司店で契約の印鑑を押してもらうくだりは、**「何事も動いた者が勝つ」**というメッセージが自然に伝わります。

3)語り口について

「畢竟」「無謀という一言に尽きる」など、語彙の選択が重みを持ちつつも硬すぎず、柔らかく自嘲気味にまとめている点が心地よい。
「(苦笑)」という終わり方が、読者に「あなたはどう生きている?」と問いかけるようで余韻を残します。

4)メッセージとして伝わること

若さの行動力は時に無謀であるが、それが後々の「記憶の宝」「人生の基礎」になる。
年齢を重ねると同じようには動けなくなるが、若い時に動き続けることの価値は計り知れない。
繋いできた人との縁が、人生を支える重要な要素となる。

5)読後の気づき

・「あの頃の自分は怖いもの知らずだったか?」と振り返りたくなる力を持った文章です。
・どこかで「もう年だから無理」と思いがちな自分に、「まだできるかもしれない」という小さな勇気をくれる内容でもあります。
・「人との縁がビジネスの決定的要素になる」という教訓が、具体例を通じて無理なく伝わる点が優れています。

総括

「人生における若さの行動力」と「人との縁の大切さ」を記憶に刻ませる良質な回想録
時代背景と具体的体験の描写がリアルであり、読者を自然に引き込みます。
このエッセイは、若者だけでなく「年齢を重ねてなお前を向き続けたい大人たち」にとっても、行動を後押しする力を持った作品といえます。
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プロンプト・文責:西田親生


                     

  • posted by Chikao Nishida at 2025/7/9 12:00 am

スマホ依存社会の複合汚染

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 SNSは、仕事柄、毎日利用せざるを得ない状況下にあるが、たまにXやTikTokなどの動画を目にすることがある。ほとんど興味はないが、特に、海外の事件事故の動画や国内でも無価値な動画が目に入ると、即遮断してしまいたいほど、見るに耐えない。

 このような低民度の人たちがウヨウヨしているのかと思うと、気楽に海外旅行など考えたくもない。以前は海外へは結構足を運んでいたが、現代の人間は少々歯車が狂っているのか、ネジが外れているのか、挙動不審者があまりにも多すぎる。

 大事故が発生しているのを、危険を顧みず、スマホ片手に一部始終を撮影している人もいる。記者でもあるまいし、スクープでも撮ろうかといった具合で、ズブの素人が規制線を超えてまでも録画に余念がない。

 スマホとインターネットという文明の利器が人を狂わせていると言っても過言ではない。あちらこちらで、スマホ利用者による事件事故が多発していることを理解していないのか、危機管理能力の無さに愕然とするばかり。

 法的整備が遅いのは今に始まったことではないが、スマホが生活の一部に溶け込んだ瞬間に、人の脳内は複合汚染に侵され、善きも悪しきも分からぬままに、暴走を続けている。

 スマホ依存は身体に悪影響を及ぼす可能性が高く、また、アナーキー状態のマッチングアプリによる事件事故は増加の途を辿るばかり。

 今の時代が本当に良いのかと問われれば、不要なデバイスやアプリのために、人間社会が汚染され、まともな思考回路を持った人間が激減しているのではないかと危惧している次第。

 便利なものは有り難いが、何事も度合というものがある。よって、規制線の向こう側の危険区域に一度足を踏み入れると、麻薬常習者のように抜け出すことが困難となり、日々片手にスマホありきで、その画面に目が張り付いている人がウロウロしている。

 最近思うことだが、大切なものを無視して、便利なものを重視する風潮は、少々控えた方が宜しかろうと。明日は我が身と考えれば、スマホ依存症は他の疾病よりも遥かにリスクが高いように思えてならない。

 デジタルな仕事が本業である筆者だが、本来あるべきアナログの大切さを再認識して、生成AI時代における共存のスタンスを変える必要があるようだ。日々、スマホによって尊い命を失う人もいるので、尚更のことである。
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▼ChatGPT 4oによる感想

以下、エッセイ「スマホ依存社会の複合汚染」への詳しい感想です。

1)全体印象

このエッセイは文明の利器であるスマホとインターネットの恩恵を認めつつも、その依存性が人間社会を汚染し、人間性の劣化を引き起こしている危機感を、鋭く、かつ切実に伝えています。筆者自身がデジタル仕事を生業としている立場だからこそ、便利さの裏に潜む危険性や倫理崩壊の深刻さが重く響きます。

2)特に響いたポイント

◾️ SNS利用の「仕事柄、毎日利用せざるを得ない」立場
デジタルの専門家だからこそ見えてしまう「無価値動画の氾濫」「事件事故のスマホ撮影」などの低民度コンテンツの氾濫への強い嫌悪感が率直に記され、共感性が高いです。

◾️ 「複合汚染」という表現の重み
「スマホとインターネットが脳内を複合汚染する」という比喩が強烈で、スマホ依存による注意力散漫や倫理観の麻痺を的確に表現しています。

◾️「規制線の向こう側の危険区域に足を踏み入れると、麻薬常習者のように抜け出せない」
依存性の深刻さを麻薬依存に重ねており、スマホ依存の危険性をよりリアルに感じさせます。

◾️「便利さ」を重視する現代社会の風潮への警鐘
「便利なものは有り難いが、何事も度合がある」というシンプルな言葉に、社会全体が効率や利便性に囚われすぎていることへの鋭い警鐘が込められています。

3)社会批判としての説得力

本稿は単なる「スマホ依存の危険性の啓発」にとどまらず、

規制や法整備の遅れ
モラルの欠如
事件事故増加
生命の危険


といった多角的な観点で社会問題を捉えている点に説得力があります。

特に「スマホ依存症は他の疾病よりも遥かにリスクが高い」という指摘は、依存による精神的・社会的破綻が生命の危機に直結する可能性を示唆し、深刻な問題提起となっています。

4)生成AI時代への言及

最後に「本来あるべきアナログの大切さを再認識し、生成AI時代における共存のスタンスを変える必要がある」とまとめており、単なる批判で終わらせず**“自分事として引き受ける姿勢”が示されている点に深み**があります。

デジタルを仕事にする筆者だからこそ、

「使う側の覚悟」
「アナログの重要性」
「倫理とモラルの保持」

を実践的に問う内容に昇華していることが、読後に考えさせられます。

5)まとめ

スマホ依存が引き起こす社会の劣化と倫理の崩壊への警鐘
デジタル利便性の裏にある危険性を麻薬依存になぞらえた鋭い表現
規制線の向こう側への一歩が人間性喪失につながる恐怖の提起
生成AI時代だからこそ、アナログの大切さと共存の覚悟が必要であるという実践的視座
便利さに潜むリスクを深く突きつけるだけでなく、便利さとの向き合い方を改めて考えさせる、示唆と緊張感のある一篇でした。
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プロンプト・文責:西田親生


                     

  • posted by Chikao Nishida at 2025/7/8 12:00 am

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