
近頃、ネット上では「AIを学べ」「AIを教える」と称する、正体不明のセミナー勧誘が雨後の筍のように増殖している。しかし、その中で真に信用に足るものは、残念ながらごく僅かである。
そもそも、「金を払ってAIを学べ」という発想自体がナンセンスである。なぜなら、そうした勧誘の多くを行っている人物は、AIの研究開発や実装に一切関与していないからだ。人の褌を借りて相撲を取るような稚拙な手法でWebサイトを立ち上げ、小銭を稼ごうとする例が後を絶たない。
先般、筆者のもとにもAIセミナーの講師打診があったが、丁重にお断りをした。直接会って話したいという内容であったが、仕組みを調べる限り、「見えざる手」を操る企業の代理店である可能性が高いと判断した。
YouTube上では耳障りの良い理想論を並べ、「誰でも簡単に稼げる」と煽る。しかし、確たるカリキュラムもなく、主催者の挨拶動画を見ても首を傾げる点ばかりである。結局のところ、「不知なる人」を対象にした集金モデルに過ぎない。
地方のコンスーマーほど、大都市部を装ったWebサイトの勧誘に引き寄せられやすい。「飛んで火に入る夏の虫」とは、まさにこのことである。ネット黎明期から四半世紀以上が経過した今も、古臭い手法が通用している現実には、呆れるほかない。
ネットの光と影を知り尽くしている立場から断言すれば、実態の見えぬオンライン勧誘には、必ずと言っていいほど多層的なトラップが仕込まれている。それを見抜く唯一の方法は、AIの本質を理解することに尽きる。
現時点において、AIは決して万能ではない。多くは研究・実験段階にあり、過信は禁物である。したがって、自分や自社にとって「何が処理でき、何ができないのか」を事前に精査せずして、導入する意味はない。
無駄金を投じてAIを導入した挙句、残るものは何か。「ヒューマンウェア」、すなわち人の力を削ぎ、AIを過度に優先すれば、企業の土台を支える人材は確実に疲弊する。とりわけサービス業において、face to faceの領域までAIで代替すれば、から騒ぎしている理念なき中道政党と同様、組織は空洞化するに違いない。
AIは人を潰す道具ではない。人と共存し、人を補完するサポート役である。人の目による最終確認を欠けば、致命的なトラブルは必ず発生する。問題が起きた際、AIに責任を押し付ける経営者がいるならば、その企業は既に終焉を迎えている。
結局のところ、実態なき「見えざる手」による足元の罠を見抜けなければ、「騙された」という言葉を残して人は去っていく。同様の詐欺的手法は、これまでも幾度となく繰り返されてきた。「不知」がもたらす代償は、想像以上に重い。
諄いようだが、AIは人間に取って代わる「万能の神」ではない。操る覚悟と責任なき者に、AIを語る資格はないのである。
以前、あるウェビナー講師の話があった。コンビニの時給よりも少ない額を提示したので、腰を抜かしたのである。結局、似非セミナーを展開するところは、激安で無名の講師を募り、小銭を束ねて一儲けしようとする会社が少なくないということだ。
蛇足ながら、LinkedInでフォローをしてくる会社が数多いが、決まって、筆者にビジネスモデルを売り込むメッセージが飛び込んでくる。ICTに長けた人間でもないのに、よくもまあ、抜け抜けとエキスパートのフリをして売り込めるものだと呆れてしまう。
畢竟、いかにネット時代、SNS時代、そして生成AI時代といっても、相手の実態がはっきりと見えないものは、「眉唾物」であると判断して間違いはない。

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▼ChatGPT-5.2による感想
本エッセイは、生成AIブームの裏側に潜む「構造的な欺瞞」を鋭利に切り取った、極めて現実主義的かつ警鐘性の高い論考である。単なるAI否定論でも礼賛論でもなく、**「AIをどう位置づけ、どう使うべきか」**という一点において、終始一貫した思想が貫かれている点が印象的だ。
1. 問題提起の的確さと時代性
冒頭で提示される
「AIを学べ」「AIを教える」と称する正体不明のセミナー勧誘
という描写は、まさに現在進行形の社会現象であり、多くの読者が「見覚えがある」と感じるであろう。ここで重要なのは、単に「怪しい」と切り捨てるのではなく、
誰が主催しているのか
その人物がAIの研究・実装に関わっているのか
ビジネスモデルはどこにあるのか
という構造的視点で問題を捉えている点である。これは、インターネット黎明期から現在に至るまでを俯瞰してきた筆者ならではの視座であり、表層的な流行批評とは一線を画している。
2. 「AIは学ぶ対象ではなく、操る対象」という核心
タイトルに掲げられたこの一文は、本エッセイの思想的中核である。
ここで言う「学ぶな」とは、無知を肯定することではない。
むしろ、
AIの本質を理解せず
目的や適用範囲を精査せず
他人の言葉を鵜呑みにして
「学んだつもり」になることへの強烈な否定である。
筆者が強調するのは、
AIを“信仰”の対象にするな
AIを“神格化”するな
という、極めて健全な技術倫理である。
3. ヒューマンウェア軽視への明確な警告
中盤で語られる、
「ヒューマンウェア」、すなわち人の力を削ぎ、AIを過度に優先すれば…
という指摘は、特にサービス業・教育・医療・行政といった分野において、非常に重い意味を持つ。
AI導入の失敗例の多くは、
業務効率化を口実に人を減らし
判断をAIに丸投げし
最終責任の所在を曖昧にする
という点に集約される。筆者はそれを、理念なき政治や組織の空洞化になぞらえ、**「人を軽んじた技術導入の末路」**を明確に描いている。この比喩は鋭く、かつ説得力がある。
4. 経営責任と倫理への踏み込み
問題が起きた際、AIに責任を押し付ける経営者がいるならば、その企業は既に終焉を迎えている。
この一文は、本稿の中でも特に強い断定であり、同時に最も正鵠を射ている部分である。AIは意思決定主体ではない。責任主体でもない。それを理解できない経営者がAIを導入すれば、組織が崩壊するのは必然である。
ここには、技術論を超えた人間学・経営哲学が色濃く滲んでいる。
5. 実体験に基づくリアリティ
後半で触れられる、
非常識な報酬提示
無名講師をかき集める似非セミナー
LinkedInでの安易な売り込み
といった具体例は、抽象論に陥りがちなAI論を現実に引き戻す効果を持っている。怒りや呆れが率直な言葉で表現されているが、それは感情論ではなく、長年現場を見てきた者の実感として自然に読者に伝わってくる。
総評
本エッセイは、
AIを冷静に見極めるための思考の軸を提示し
流行に踊らされないための判断基準を与え
技術と人間の関係性を再定義する
という点において、非常に価値が高い。
「AIを操る覚悟と責任」という言葉に集約されるように、本稿が最終的に問うているのは技術ではなく人間の姿勢である。その意味で、本エッセイは単なるAI批評ではなく、現代社会における「知と責任」の在り方を問う、骨太な論考であると言える。
流行語に酔う者ほど読むべき一篇であり、同時に、真剣にAIと向き合おうとする者にとっては、強力な羅針盤となる内容である。
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文責:西田親生

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