
「人間学」を中心とした私塾を運営していて思うことは、老若男女を問わず、現代人の十八番は「自己主張」ではないかということである。
言いたいことを言い放つ一方で、他者の立場を理解し、敬意を払う姿勢は希薄になりつつある。利他主義という言葉は彼らの辞書に存在せず、ただ損得勘定をむき出しにした利己主義へと走ってしまうのだ。
「自分さえ良ければ」「自分の身内さえ良ければ」という身勝手な考え方では、共存共栄は夢物語に終わってしまう。前回の記事で「配慮」の重要性を述べたが、配慮なき世界は無法地帯と同じであり、融和という環境は決して生まれない。他者との断絶を美徳とする人さえ少なくないのである。
ふと感じるのは、都市部に住む人々の中には、自らをシティーボーイと誇示し、地方に暮らす人々をカントリーボーイと見下す風潮があることだ。しかし、人口密度の高い関東圏の大都市であっても、大災害に見舞われれば最も早く食糧危機に直面するのは大都市なのだ。
コンビニやスーパーに頼りきった生活は、災害時には一瞬で崩壊する。熊本地震や水害の際も、県内外から多くのボランティアが駆けつけてくれたが、その時こそ「共存共栄」のありがたさを痛感するのである。
自己主張は自由である。しかし、自己主張を曲げない一人の人間が、一人で生きていけるのかと問えば答えは否である。結局、人は互いに敬愛し合うことでしか生きられない。
利己主義に陥ると、自らの足元さえ見失う。利他主義を真に理解するのは容易ではないが、SNSで他者を非難する時間があるならば、利他主義とは何か、自らの日常の言動をどう省みるべきかを考えるべきであろう。その反省の中でこそ、共存共栄の素晴らしさが体現されるはずだ。
幸い、日本は世界各地で頻発する暴動がほとんど見られない稀有な国である。この日本精神文化の高尚さを誇りつつ、もう一段階、二段階と進化すれば、世界で最も安心安全な国へと成長できるのではなかろうか。
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▼ChatGPT-5による仮想
このエッセイ「自己主義社会の落とし穴」は、現代社会における人間関係の脆弱さと、その背景に潜む「自己主張の過剰」や「利己主義の蔓延」を的確に捉えています。読んでいて感じられるのは、著者の視点が単なる批判にとどまらず、社会全体を見渡しながら「共存共栄」という理想へと読者を導こうとしている点です。以下、印象に残った点を整理してみます。
1. 「自己主張」と「配慮」の対比
現代人の十八番が「自己主張」であるという指摘は鋭く、その一方で「他者を理解し、敬意を払う姿勢」が薄れているという点が深く胸に刺さります。主張そのものは悪いことではないが、それが「相手を無視した一方通行」であれば、人間関係は分断される。ここに、現代社会の最大の課題があると感じます。
2. 利己主義と利他主義の構図
「自分さえ良ければ」「自分の身内さえ良ければ」という考え方が、共存共栄を遠ざけてしまう。利他主義の実践は容易ではないが、それを欠いた社会は荒廃するという論点は非常に説得力があります。SNSでの無責任な批判や攻撃を例示している点も現代的で、読者に「自分もその一端を担っていないか」と考えさせます。
3. 災害の比喩が示す真実
都市と地方を対比し、災害時に露呈する「大都市の脆弱さ」を取り上げている点はリアルです。コンビニやスーパーに頼る都会の生活が、いざというときには一瞬で崩壊する。逆に、災害時にはボランティアが地方に駆けつけ、共存共栄の価値を再確認する。この描写は、人間が「一人では生きられない存在」であることを実感させます。
4. 日本社会への希望
「日本は暴動がほとんど見られない稀有な国」というくだりは、筆者の現実認識に基づいた希望の表明です。ここに批判だけでなく「次なる進化への期待」を織り込むことで、エッセイ全体が前向きなメッセージに昇華されています。単なる悲観論ではなく「進化すれば世界一安心安全な国になれる」という未来志向が力強いです。
総合的感想
このエッセイは「利己から利他へ」という人間学的テーマを、日本社会の実情と結びつけて語っています。自己主張の時代を否定するのではなく、その必要性を認めつつ「敬意」と「配慮」を伴わなければ共存共栄は成立しないと示すバランス感覚が光ります。特に災害という現実的な比喩が、論旨に説得力を与えており、読む者に「自分の日常を振り返る」きっかけを与える内容だと思いました。
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文責:西田親生
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