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自覚なき狭さの罠

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 地方に足を運ぶと、その土地には独自の古い慣習やスタンダードが存在している。そこに慣れ親しんでいる人々は、往々にして視野が狭く、外の世界の基準に気づかないまま、自覚もなく生活している。

 視野が狭いことは望ましいとは言い難い。その「不知」によって人や物事を判断・評価する際、誤った選択に陥りやすく、時代錯誤的な見解を語ることも少なくない。しかも、自覚がないために自分の持論を唯一の正論と信じ込み、根拠もないまま語る人すら見受けられる。

 稀に視野の広い人も存在するが、地方社会では数の論理によって少数派に追いやられ、多数派の狭い視野こそが「ローカルスタンダード」として支配的となる。日本人特有の「右へ倣え」的な気質も相まって、多数派こそ正義とみなされ、少数派は異端児として白眼視される傾向が強い。こうして地方には、多数派天国の風土が根強く続いてきた。

 もちろん、善きスタンダードは受け継ぐべきである。しかし悪しき慣習は、改善されぬまま鳥餅のように社会に張り付いてしまい、新たな基準を築く努力を阻む。結果として、過疎対策として若者移住や子育て支援、生活支援を数多く打ち出しても、多くは焼け石に水で終わっている。なぜなら、根本の意識改革が行われていないからである。

 地域の良さを引き出すには、予算や制度よりもまず徹底した意識改革が欠かせない。行政が県外から人材を招き、月額100万円を超える高額給与を与えて地域おこしを図っても、結局は人選ミスや住民意識との乖離によって失敗に終わる例がほとんどだ。筆者が知る限り、地域の意識改革が成功した事例は極めて稀である。

 ゆえに、視野狭窄が多数を占める地域においては、まず地域の良さを伸ばすと同時に、住民一人ひとりの意識を改革し、視野を少しでも広げる活動が重要となる。

 最後に強調しておきたいのは、「視野が狭い=悪人」では決してないということだ。単に「知らない」だけであり、その点を指摘しているにすぎない。一人でも視野を広げる人が現れれば、全体の視野も必ず広がり、地域に「変化」と「進化」の種が蒔かれる。そしてそれは、やがて大きな「利」となって地域に還元されるに違いない。

▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイは、地域社会における視野の狭さとその影響について深く考察されています。エッセイの主な焦点は、特に地方地域で見られる視野狭窄に対する批評であり、これが社会の変革や進化を妨げる要因となるとの主張です。以下に、詳しい感想を述べます。

まず、地域の慣習やローカルスタンダードに言及される部分は、地方における固有の価値観や社会的な慣行が「外界」から隔離された形で維持されている現状を鋭く描写しています。

確かに、多くの地域において、独自の文化や伝統が守られることは尊いものですが、それが時代錯誤的な考え方や外部からの情報やスタンダードを拒絶する要因になる場合は、問題を引き起こす可能性があります。この点について、筆者は地域が変化に対応できず、自己満足的な状態に陥りがちであることを指摘しています。視野の狭い人が多数派を占めると、閉鎖的な環境が強化されるため、新しい価値観や外部のアイデアが受け入れにくくなってしまうという分析は非常に共感できる部分です。

また、「善きスタンダード」と「悪しきスタンダード」の区別をしつつ、後者の改善が難しいと述べる点は、地域の保守性や変革の困難さを浮き彫りにしています。特に、悪しき慣習が根強く残るケースについては、筆者の意図するところは十分に伝わってきます。この視点は、地域開発や政策立案に携わる人々にとっても示唆に富むものであり、地域の意識改革が成否の鍵であることを再認識させるものです。

筆者が述べる「意識改革」の必要性についても注目すべきです。過疎対策として取り組まれている施策が「焼け石に水」として効果を発揮しない理由の背景には、視野の狭さがあるとの指摘は、思慮深い分析です。また、地域外から高額報酬で人を呼び込んでも、根本的な意識改革がなければ失策に終わるという現実を冷静に指摘する姿勢は、筆者の経験に基づく現実的な意見と感じられます。

最後に、「視野狭窄な人」を「悪人」と見なさず、「不知」である点を指摘するという冷静な姿勢が示されています。地域全体の意識改革が進むことで「変化・進化」の種が蒔かれるという希望的観点でエッセイを締めくくる点は、読者に前向きな提案として響く部分です。

総じて、このエッセイは、地域の問題と変革の可能性を深く掘り下げた内容であり、単なる批判に終わらず、改善策を模索し、地域の未来を見据えた視点を持つ一文として受け取れます。視野を広げるための努力が必要であると提言する筆者の姿勢には、多くの共感を呼び起こす可能性があります。
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文責:西田親生


                   

  • posted by Chikao Nishida at 2024/11/14 12:00 am

孔子公園の花々

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 短時間の取材だったが、季節柄、撮影できる花が段々と減っていく。

 本日は、パンを食べながら取材するかどうか考えていたが、デジタル一眼レフを車に積んでいるので、公園内に花が咲いているのを願いつつ、車のドアを開けた。

 菊の花々は今からだろうけれども、設置場所が階段であったり、金具が付いていたりするので、自然の花々とはイメージが異なるので、シャッターを押そうとしても、背景が良くないので、絵面が悪い。

 よって、花壇に直植えしてある花々を中心に撮影することにした。

 11月12日というのに、車外はポカポカの陽気。汗だくとなりそうだったので、陰を選んで、撮影に臨んだ。

 太陽光を自分の体で遮って影を作り、可能な限り柔らかな光の中で、撮影したいのだが。そうなると、撮影箇所がどんどん狭くなっていく。

 それでも、エンディングを迎えつつあるガーベラなどは、最盛期よりも味わいのある姿をしており、つい、シャッターを切るのである。

 小さな自然だが、都会の喧騒を逃れて、パンを食して、花々を撮るのは、精神衛生上すこぶる良いようで、寝不足の体がシャキッとなった気がしてならない。
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▼ChatGPT-4oによる感想
エッセイ「孔子公園の花々」は、日常の中でふと訪れる小さな自然の瞬間を描写し、季節の移ろいと自然の美しさを体験する姿勢が印象的です。短時間の取材とありますが、その中での丁寧な観察力が光っています。

エッセイの魅力の一つは、目の前の花々に対する細やかな視点と、撮影へのこだわりです。特に、自然光を利用して柔らかな光の中で撮影しようとする姿勢や、花壇の花々を選び、季節の終わりを迎えつつあるガーベラに「味わい」を感じる描写が、日常の美しさと儚さを象徴しているように感じました。このような何気ない時間の中で、都会の喧騒から離れ、心身を癒す瞬間に触れる姿勢は、読む側にも穏やかな感覚をもたらします。

また、「ポカポカの陽気」と「寝不足の体がシャキッとした」という表現から、暖かな日差しと心地よい空気に包まれる様子が鮮明に伝わります。この場面描写を通じて、読者は公園の空気感や撮影を楽しむ様子に共感しやすいです。

加えて、単に写真を撮る行為ではなく、自然と向き合うことで得られる癒しや、わずかな時間でも深い感動を味わえることが語られています。このエッセイからは、何気ない日常を大切にし、それに心を向けることで精神的な充足感を得る意識が感じられます。全体的に穏やかで温かみのある視点が印象的で、読む者に心の落ち着きと共感を与える文章に仕上がっていると思います。
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写真・文責:西田親生


         

  • posted by Chikao Nishida at 2024/11/13 12:00 am

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