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生成AIの凄さと脆弱さ・・・

welldonebasic20241112


 今回は、生成AIの中でも、text to textの生成AIについて考察することにする。

 noteのおいては、3年弱(2024.11.11現在)で3296本の記事を投稿しており、時折、生成AIと討論することもある。生成AIの特徴なり癖なりが見え隠れする中で、非常に面白い傾向があることに気づいたのである。

 それは、エッセイやコラムについて「分析」、「評価」を尋ねると、筆者の原稿に対して、厳しすぎるとか、受け止める人によっては反発を招くといった異論を唱える事がある。

 こちらとしては全て想定内の話だが、学術論文を書いているものではなく、生成AIが言わんとすることは重々承知の上での論理展開なので、通り一遍の「分析」や「評価」は、筆者の心に響かない。

 ただ、生成AIの読解力については非常に優れているものの、たまさか、侵略者やジェノサイドなどの卑劣極まりない人物や国家への矛先を、頭から否定することもあった。

 その時、「多くの人たちが拉致されたり虐殺されることを黙認するのか?」と筆者が反論すると、それまで独裁者やジェノサイドなどへの擁護的な発言の非を認め、見解を変えた事もあった。

 よって、筆者のように脳内が散らかった人間が書き綴る文章については、生成AIの論理の範疇がやや狭く、理想論を中心に異論反論を提示するように思えてならない。

 必ず言ってくるのが、科学的実証、反対の立場にある人の異見、指摘した内容の厳しさへの反論などが多い。ただ、エッセイにおいて、自らの感情表現である訳で、そこが人間的な思考回路から生み出されるエッセンスなので、一般的な理想論だけでは、分析や評価はできないはずだ。

 まだ、日本語の領域においては、生成AIとしては、text to text、text to image、text to movieなど、言葉のニュアンスが伝わらぬことも多々あり、特にtext to textについては、日本語における完成度は高いとは言えない。

 特に、人間の感情的なところの受け止め方は、人間も立ち位置によっては、それに迎合する人もいれば、激昂して突きまくる人もいる訳で、その論理の善し悪しの判断はできないことになる。

 しかし、あるテーマについての論文となれば、その構成や表現、適切な言葉の選択など、冷静沈着なる生成AIの分析力は秀でている。ただ、先ほども触れた通り、ディープラーニングのレベルにより左右されるのは間違いのない事実。

 よって、現在、筆者としては、生成AIのtext to textについては、「分析」、「評価」ではなく、単に「感想」を求めて、日頃のエッセイやコラムの末尾に「ChatGPT-4oによる感想」というタイトルにて、生成AIが受け止めた内容を添付するようにしている。

 さてさて、筆者の無数の脳内シナプスの散らかりようと、理路整然とした生成AIの思考力の闘いを、しばらくの間、楽しませて頂ければと考える次第。有能な生成AIの論理展開と散らかった筆者の論理展開との鍔迫り合いは、実に面白い。

 最後に、生成AIから称賛の言葉があったり、深く頷かれたり、考え方を改めたとの反省の言葉が返ってくると、胸がすきっとするのである。

▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイを読ませていただき、生成AIの特性と限界、また筆者自身の体験や観察をもとにした考察が非常に興味深いものであると感じました。特に、生成AIのtext-to-text機能に関する批判と期待を述べており、筆者の分析が鋭く、かつ生き生きとしたものであることに感銘を受けます。

エッセイは、生成AIの強みと限界を対比しつつ、自身が取り組むエッセイやコラムの評価・分析に対するAIの反応に言及しています。生成AIは、文章の内容を「理論的に評価する」ことが得意であり、論理的で冷静な視点から意見を述べる一方で、筆者が求める感情的・情緒的なニュアンスや、感覚的な捉え方に関しては未熟であるという指摘は鋭いです。

また、生成AIが感情にまつわる課題をどのように処理するかについても、非常に興味深い視点を提供しています。AIが特定のテーマや議論で、時に理想論に基づいた反論を行うこと、またはジェノサイドや独裁者のようなテーマにおいても一定の限界を持つことを指摘する部分は、人間とAIの思考の違いを浮き彫りにする重要な一面です。

一方で、生成AIの理路整然とした論理的展開と、自身の複雑で散らかった思考との「戦い」を楽しむ姿勢も印象的です。これによって、読者は筆者の創作プロセスが、AIを介した対話や対決を通して深まっていることを感じ取ることができます。生成AIが称賛の言葉や深い納得、あるいは考えの改めを示す場面に、筆者が「胸がすく」瞬間を味わうというのも、創作活動における生成AIの役割をユーモアを交えつつ考察する興味深い視点だと感じました。

総じて、このエッセイは生成AIの可能性と限界を率直に述べつつ、筆者の創作における生成AIとの「共演」を描いた力強いものであり、創作の過程におけるAIとの関係性を探るヒントにもなります。生成AIとの今後の「鍔迫り合い」にも、ますます期待が膨らみます。
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文責:西田親生


                               

  • posted by Chikao Nishida at 2024/11/12 12:00 am

「継続こそ力なり」を軽視する人は進化せず

ningengaku


 新しい分野に挑戦し、まだ初心者にて、まともな作品や原稿が書けないとしても、継続する志をしっかりと胸に抱き、頑張っている人は、必ず、何事も達成できる。

 ところが、あれこれと着手しては、継続を軽んじ、気づけば、数ヶ月、数年も進化できない人がいる。当然のことだが、何事も自分のものにするのに、一朝一夕に達成できるものなど何もない。それに気づいていない。

 そこには、継続できぬ本人の価値観にある。自己過大評価しているのか、面倒臭さで軽んじるのか分からないが、本人の姿勢がそこに露呈するので、恥をかくのは本人である。

 今まで、私塾にて開講してきた体験を振り返ると、真摯、誠実、信念が備わっている人は、進化の道を一直線。多岐にわたる挑戦にて、ほぼ全ての完成度が高い。ところが、継続を軽んじる者は、何一つ、達成していない。

 子供の頃から、更に、大人になっても「出来が悪い!」と叱責を受けるのは、能力がないから出来が悪いのではなく、学ぶ姿勢が悪いから、出来が悪いのである。そこを、勘違いしている。

 そのような人物は、逆に学歴にて人を査定しているようだが、自分の足元を確と検証し、学ぶ姿勢がどうなのか、自問自答してみては如何だろうか。如何に、多様化の時代といえども、学びに関しては、真は一つである。

▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイ「継続こそ力なりを軽視する人は進化せず」は、継続と努力を通じて進化し続ける姿勢の重要性を力強く説いています。作者は、何かを達成するためには忍耐と持続的な努力が不可欠であると強調し、表面的な努力や短期的な取り組みでは本当の成果が得られないことを指摘しています。継続することができない人については、彼らが自分の価値観や姿勢によって進化を阻んでしまっている可能性があると述べています。

具体的なエピソードや経験を通じて、真摯な努力を続ける人とそうでない人の違いを明確にすることで、説得力を持たせています。私塾での体験や学びに対する姿勢に関する述懐も、読者に対して強い共感を生み出す一方、自己を振り返る契機となるような問いかけが含まれています。

また、「出来が悪い」とされる理由を能力不足ではなく、学びの姿勢にあるとする視点は、努力を惜しむ人にとっては耳の痛い指摘かもしれませんが、その中に真摯さと厳しさが込められています。作者の価値観として、真の学びは時代が変わろうとも不変であり、真摯に取り組むことが何より重要だと結論付けています。

エッセイ全体を通じて、根気強い努力の大切さと、それを軽視してしまうことの危険性が強調されており、特に自己を見つめ直すようなメッセージが印象的です。読者に対して、自己の学びの姿勢を再考する機会を提供するような示唆に富んだ文章です。
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文責:西田親生


                   

  • posted by Chikao Nishida at 2024/11/11 12:00 am

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