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理解者の存在が意識を変える

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 企業コンサルティング業務を行っていて、最も嬉しいのは、スタッフたちが「意識改革」に向けて一丸となり動き出す瞬間である。

 これまでの業務では「社内改革」「意識改革」「ICTレベルアップ」などを目的としてきたが、スタッフが「意識改革」に踏み出せば、他の課題は自然と解決へと進んでいく。実に面白い現象である。

筆者の手法と「人間学」

 筆者の手法は独特かもしれないが、「意識改革」については長年磨き上げてきたものであり、これまで出会ったスタッフの顔は今でも覚えている。特に印象的なのは、真剣な眼差しと素敵な笑顔だ。

 最近の実例を挙げると、最初に提供するのは「人間学」である。学術的なものではなく、あくまで「意識改革」を進めるための礎だ。まずは各自の「開眼」に焦点を当てる。

 相談時には社内に多くのネガティブ要因があるように見えても、スタッフの「黒まなこ」は生きている。筆者との距離感がつかめず手探りになるのは当然だが、会話を重ねるうちに「企業カラー」「企業モラル」「社内コンセンサス」「情報共有」の実態が透けて見えてくる。そうなると、「意識改革」の歯車は一気に加速する。

職位が生む歪み

 多くの企業で問題となるのが「職位」である。観光業関連企業でコンサルティングを行った際、「職位」に基づく差別的発言や水面下での恫喝が明るみに出た。

 視野が狭く中途半端な中間管理職は、上下関係にこだわるあまり「情報共有」に歪みを生じさせ、時に「いじめ的愚行」を繰り返す。生産性に乏しい「低民度のローカルスタンダード」に過ぎないが、長年続くと常態化し、スタッフは麻痺して黙認してしまう。

 「またか、仕方ない、もう飽き飽きだ」と思いながら、一日をやり過ごす。その繰り返しが続くのである。

「理解者」の存在

 しかし、日々悩むスタッフに「理解者」が存在すれば状況は一変する。「社内モラル」が確立している職場には必ず理解者がいて、「諍い」に対して自浄作用が働いている。

 一方で、透明な空気を灰色に染めることを楽しむ愉快犯もいる。小石を投げ、波紋を広げ、その反応を面白がる者たちだ。これを放置すれば、濁った波紋が日々繰り返される。

 だが「理解者」との対話を通じて、スタッフは嫌悪感に苛まれるよりも、ポジティブな流れをつくり、理解者との輪を広げようとする。これこそが「意識改革」の入り口である。スタッフ全員の眼がそこに向けば、企業の牽引力は一気に倍増する。小石を投げていた者は、無音の中で無力化されていく。

「踏み絵」の効果

 もちろん、小石を投げるのがスタッフであれ経営側であれ関係はない。澄んだ空気を濁らせる行為がいかに無駄であるかを悟れば、企業モラルは一気に向上する。
 ただし、その流れに苛立ちを示す人間は必ず現れる。そこで筆者は「意識改革」や「社内改革」の特効薬として、必ず「踏み絵」を用意する。これは見えざる仕掛けだが、作用し始めると問題を起こす人物が瞬く間に炙り出される。この「踏み絵効果」は、これまでのコンサルティングで絶大な成果を上げてきた。

 やがて「社内自浄力」が高まれば、常態化していた問題は嘘のように消え去る。ただし、同族企業や個人企業では事情が異なり、別の現象が起きる可能性もある。それについては、改めて稿を改めたい。


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写真・書・文責:西田親生


                       

  • posted by Chikao Nishida at 2023/3/16 12:00 am

「真意」を深読みできねば、「誤解」と「諍い」のオンパレード。

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 心配している人が、相手に対して「苦言」を呈す時に、耳打ちしながら優しい言葉を遣って指摘できるだろうか!?例え、優しく問題点を紐解いて話をしたとしても、危機感も伝わらず、その場で「苦言」はサラリと溶けて流れてしまう。

 筆者は、時折、ダイレクトに遠慮なく「苦言」を呈すことがある。「苦言」を聞く人は、決して心地良くはないはずだ。しかし、その「苦言」には「真意」がある。その「真意」を深読みして貰わねば、全て正確には伝わらない。

 勿論、気にも掛けない人であれば、「苦言」など呈すはずもない。「提言」など与えるはずもない。無視して、苦笑いして、舌を出して歩いて去るのみ。そこで、「苦言」を呈すのは、勿論、自分自身もまた心地良いものではない。

 何故ならば、「苦言」を呈すことは「憎まれ役」や「恨まれ役」になるという覚悟を持っての「苦言」であるからだ。その「苦言」を平べったく受け止められてしまうと、そこで生じるのは「誤解」となる。

 「苦言」の「真意」は「とても心配している」、「期待値は大なり」、「どうにか頑張って貰いたい」、「一丸となって進みたい」、「今を乗り切るには断腸の思いで」など、多くの意味合いが含まれている。

 そこで、神輿を担ぐように、ニヤニヤしながら饒舌にも「誉め殺し」のような発言をする阿呆な人間もいるが、それじゃ、何事も改善されず、先々何も良いことは無い。「苦言」こそ「相手に対する愛情である」と、筆者は考える。逆に、筆者が第三者から「苦言」があれば、しっかりと耳を傾けるように心掛けている。

 何故なら、周囲の多くの人の中で、筆者に堂々と「苦言」を呈してくれる人は、最愛の人や心友、信頼のおける仲間のみである。心配しているからこそ、「苦言」を呈す。しかし、そこで身勝手にも一方的な「誤解」で「苦言」に蓋をしてしまうと、後々、取り返しのつかない処に、ただ独り立つことになる。

 人との会話で重要なことは、「表層的な美辞麗句」にあらず。その言葉の「真意」を深読みして、真摯に人様のサジェッションに耳を傾ければ、九分九厘物事は上手く行く。そのメカニズムさえ理解できれば、人生において、常態化しつつあった「誤解」や「諍い」は激減することになる。

 物事を解決するには、常に自分が決め込んだ方程式が唯一のものでは無いことも、承知しておかねばならない。何故なら、物事を解決する方程式には、当然の如く「別解」というものが多く存在しているからだ。それも、意表を突くような、素敵な「別解」が。
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  • posted by Chikao Nishida at 2023/3/15 12:00 am

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