ロゼッタストーンBLOGニュース

The Rosetta Stone Blog

インターネット黎明期(1)

 当時、電子メールとは何ぞや、HP(HPと記事に書いたら、ヒューレットパッカードじゃないかと、わざわざメールで批判した人間も居た)とは何ぞや、更にはHTMLとは何ぞやと・・・殆どの人たちが、実態が掴めず、大勢がセミナーに集い、インターネットという生き物を、恐る恐る触れては首を傾げる光景を何度も見たのだった。

 筆者が県内で逸早くネット事業をスタートさせたのは、1995年8月22日。当時、インターネットセミナーに講師として招聘され、毎週のようにレクチャー会、セミナーへ足を運び、ネットの将来性と活用法について、熱く語っていた。

 その中でも、想い出深いセミナーは、熊本県商工会連合会が主宰した、YahooJapan、NTT東日本とD&L社の三社合同セミナー(熊本ホテルキャッスル)、それにNTT西日本、同仁科学研究所とD&L社の三社合同セミナー(当時のニュースカイホテル)である。

 特に、1995年12月5日に開催されたNTT西日本、同仁科学研究所とD&L社の三社合同セミナーは、忘れようとも忘れる事ができないセミナーであった。

 実は、そのセミナーで講演後に、検査入院をして2ヶ月半経っても退院しない実母が余りにも気になったので、同日午後8時頃に入院先へ見舞いに行った。ネット事業開始早々の時期でもあり、実母には大変申し訳なかったが、初めての見舞いだった。

 しかし、胸騒ぎが的中し、12月5日の見舞いが、実母との最後の対話となってしまった。・・・そして、実母は12月7日深夜に息を引き取った。前日、相当具合いが悪そうだったので電話したのだが、最後の言葉は「死ぬ事はないと思うけど、身体がきつくて・・・電話切りますよ。・・・インターネット事業をしっかり頑張って、社会貢献して下さい!」だった。

 そして、12月8日葬儀の日。・・・熊本県菊池郡大津町のインターネット研修会の講演が決まっていたので、実母の骨を拾う事無く、講演会場で、ネットを熱く語ったのだった。

 そんなこんなで、ネット事業のお手本がない上に、自分の行き先へのレールは自分で敷設するしかなかった。悪質なプロバイダなども出て来たが、完全無視をしながら、日々見えざる敵と闘っていたのだった。

 それから1年が経った。・・・1997年の秋である。上天草の松島観光ホテル岬亭を知人から紹介された。早速、同ホテルを訪ねると、小柄で元気の良い社長とその長女である専務(現在の社長)や、支配人をはじめとする愉快なスタッフたちが迎えてくれた。

 10分も掛からなかっただろうか、同社長が「ほんなら良かたい。何か分からんばってん、印鑑ば押すと良かっでっしょ!?」と、一つ返事で契約をしてくれたのだった。「あたは、テレビかなんかで見たことがあるばってん、思い出さん。・・・」と冗談混じりで話されたが、一代で築いた辣腕経営者の眼はギラリと光っていた。

 その一つ返事で、同ホテルは1997年9月にネット事業に着手したのである。当時、熊本県内のホテルとしては早期着手であった為に、マスコミなども沢山取材をしてくれた。・・・しかし、熊本市内駅前にあった某ホテルをはじめ、筆者と会って話をした事もないのに、「怪しい!」、「オウムの奴らと一緒だろ!」、「詐欺のような連中だ!」など、まあ、ありとあらゆる罵詈雑言を吐いて、筆者や会員たちを誹謗中傷した。

 田舎特有の、「無知なる者の馬鹿騒ぎ」を自覚もせず、あちこちの寄り合いやセミナーで、インターネットを否定し、その存在を徹底的に攻撃していたのである。実に情けなかったし、これほどまでに、阿呆な輩の罵言を受ける事に、ほとほと疲れ果てていたのは否めない事実である。

 そのような見えざる敵の誹謗中傷や陰謀に反して、筆者はザビエルのようにインターネット伝道師として、東京、滋賀、大阪、京都、福岡、佐賀、長崎、鹿児島、そして熊本を走り回って、「ネットの活用法と将来性」を語り続けたのである。

 このようなインターネット黎明期に、筆者の心を理解してくれて、じわじわと当社が管理運営するポータルサイト「ロゼッタストーン」に会員が集り始めた。毎月の様に、問い合わせがあり、足を運べば、すぐさま契約をしてくれる経営者が沢山出て来た。当時、某団地で一度に8社契約を貰った事もあった。

 当社スタッフは寝食忘れ、制作に傾注し、その8社分を2週間で制作完了した事も、昨日のように覚えている。本当に、世話になったし、凄く勇気を貰った時であった。


▼1997年9月にロゼッタストーン会員としてネット事業を開始した
「松島観光ホテル岬亭」の公式サイト(表紙) http://www.misakitei.co.jp/Link
misakitei



【ロゼッタストーン公式サイト since 1995】 http://www.dandl.co.jp/Link

                       

  • posted by Chikao Nishida at 2014/10/11 02:11 am

鮓 枉駕(総集編)

DFD_9590


 本日は、先般から連載して来た「鮨 枉駕(おうが)」の総集編である。

 12年前に出逢った職人 木村聡文さん。当時、ホテル日航熊本7階にある、寿司カウンター弁慶で働いていた。現在、ロゼッタストーン会員でもあり、博多で人気寿司店として頑張っている「鮨と和の食 清吉」の店主 岡本毅さん(当時、寿司カウンター弁慶の料理長)の後輩でもある。

 10月1日、執務用のデスクに置いてあった案内状。誰から来たのだろうと、開封してみると、それが木村聡文独立の嬉しい知らせだった。昨日の様に鮮明に覚えている人物だったが、博多で独立するという知らせを聞き、間髪入れず、お祝いの電話をしたのだった。

 積もり積もった話を互いにしたのは良いが、筆者の心は既に博多取材に動いていた。プレオープンは10月2日と言うので、3日に新幹線に乗り、「鮨 枉駕」へ足を運んだ。タクシーで片道1000円前後で行けた。博多駅から凄く近かったので、驚いた。

 しかし、タクシーから降りたものの、同店の入り口が分からない。何度か覗き込んでいたら、道向かいのおばさんがやって来た。・・・有り難い事に、「あら、取材か何かしら。ここですよ、ここです!」と、入り口を開けて、筆者を誘導してくれたのだった。

 カウンター8席の、隠れ家的な寿司店だ。店内は木の香りが充満しており、「これが和の世界なんだよね!」と呟いた。

 到着して互いに挨拶を済ませて、早速取材に入った。店主お任せのコースのようで、それを次から次へと撮影して行った。実は、この日の睡眠時間は2時間半程度。朝食もせず、新幹線に乗り込んだので、撮影中に腹の虫が高らかに鳴っていた。普段はある程度胃袋に何か入れて撮影するので、今回は胃袋が捩れるほど、撮影が辛かった。・・・と言うか、余りにも旨そうで、フォーカスが定まらない。

 37歳にして独立。人として一番力が出る年齢でもある。筆者も新聞社を経て、現在の会社を創立したのは34歳の時。当時を思い出した。何から何まで、オフィス内の機材や人の世話を、独りでしなければならなかった。10月1日が当社の創立記念日で、この取材の2日前にちょうど24周年を迎えたことになる。

 若い人たちが独立して頑張る姿を撮影するのは、すこぶる気合いが入る。怒濤の勢いで、シャッターを押しまくる。何の打ち合わせも無く、ひたすら店主がサーブする器を覗き込んでは、パシャパシャと撮りまくったのである。

 人の縁は不思議なものだ。12年前に出逢った人物と、12年後にこうやって同じ場所で、夢を語り合えるとは幸せな事だと、頷いてしまった。そこには、店主の弟さんの姿もあった。兄弟で踏ん張って、この店をどんどん大きくして行くのだろうと。

 ところで、今回の取材を思い起こして不思議な事が沢山続いたというのを、ここに記しておきたいと思う。

 一つは、殆ど案内状の中身は社員に開封させて判断されていたのだが、今回に限っては、私のデスクの中央に未開封のまま置いてあった事。次に、間髪を入れず、祝いの電話を掛けた事。そして、翌々日には博多に足を運んだ事。更に・・・店主への土産に思い付いたのが球磨焼酎(1977年もの)の原酒。・・・実は、店主は1977年生まれなのだ。その木箱入りの焼酎が、たまたま熊本駅の売店に置いてあった事。

 たぶん、良縁のいうものは・・・何の障害もないこのような流れがあるのだろうと、僅か数日前の事を回想したのだった。

※枉駕=わざわざ乗り物の進路を変えて、お客様が来てくれる事への感謝の意が含まれいる。(枉駕来臨)

ouga3


ouga1


ouga2


DFD_9734



【鮓 枉駕(すし おうが)】
 店主:木村聡文
 〒810-0003 福岡市中央区春吉3丁目14−32 
       サンライトマンション1F
 TEL:092-741-7011
 ※営業時間:17時〜24時(OS:23時)
 ※定休日:日曜日・祝日

                   

  • posted by Chikao Nishida at 2014/10/9 12:04 am

1995年以来情報発信している老舗ポータルサイト「ロゼッタストーン」のブログをお楽しみ下さい。詳細はタイトルまたは、画像をクリックしてご覧ください。

behance如水美食研究会オブスクラ写真倶楽部facebook-www.dandl.co.jp