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20年前にチブサン古墳をCG化!!

▼山鹿市役所 市長室で「チブサン古墳シミュレーション動画」を寄贈する場面(左が、当時の中原淳市長)
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 写真を整理をしていたら、20年以上も前の写真が数枚出て来た。その中で、凄く思い出深いものがあったので、是非紹介したい。

 当社(D&L社)が、当時、CG専用マシンであるシリコングラフィックス(1基3200万円/ソフト720万円)を導入し、熊本県で初の装飾古墳「チブサン古墳の再現」を動画として創り出したのだった。手前味噌だが、当時としては本格的なCG動画は大変珍しく、勿論、熊本県では初の画期的なものであったと自負する次第。

 筆者が最初に眼を付けたのは、古代建造物などの再現及び復元である。熊本県には、全国に存在する装飾古墳の内、4割近くが点在する。装飾古墳のメッカでもあり、中でも、珍しい装飾で知られる「チブサン古墳」の姿は幼い頃から気になって、気になって仕方がなかった。

 先ずは現地へ足を運び、取材許可を得て、実際に羨道を通り、玄室へと進んだ。しかし、そこは保管(湿度及び温度管理)の為に、分厚いガラスで仕切られ、やっと石棺が見れた程度だった。当時はデジカメなどなかったので、フィルムカメラを用い、ノーフラッシュで撮影した写真を、CG用のテクスチャーに使用した。現在のデジカメだったら、暗がりでの撮影はおてのものだが・・・現像を頼んで出来上がりを見ないと何とも言えない状態だ。

 そこで、現像した写真のネガをスキャナで読み込む必要があるが、これも色々と難航した。1200年前の石棺に描かれた絵柄を、如何にリアルに表現するか。又、盗掘されたのだろうか・・・石棺正面の一部の石板が紛失しているので、その手掛かりとなる物があるか否かも調査したが、結局はその当時の絵柄を突き止める事はできなかった。

 ようやく出来上がった1分少々のシミュレーション動画。・・・今ならば、大したレンダリング時間などは気にもならないが、当時は、1枚のCGをレンダリングするのに、数千万円のマシンを使用しても、20分以上掛かったのだ。仮に、1秒(30コマ)の動画を創るとしても、モデリングやマッピングの作業を別として、そのレンダリングには・・・何と、20分×30=10時間以上を要するのだ。

 気が遠くなるほどのレンダリング、そして、放送局用(業務用)デジタルビデオに落とし込む時間も必要となる。・・・取材、モデリング、テクスチャーマッピング、アニメーションプログラム、レンダリング、βカム落とし込みと、二ヶ月ほど掛けてやっと完成した。

 そこで、当社としては是非山鹿市の観光情報の一助となればと思い、「チブサン古墳CGシミュレーション動画」を、山鹿市へ寄贈する事にしたのだった。当時の中原淳市長も大変喜んで頂き、その動画を、同市役所のロビーと私立博物館にて定期的に放映する事になった。

 テレビ局や新聞社などマスコミも、大々的に取り上げて頂き、微力ではあるが、山鹿出身の筆者としては、一つ故郷にお返しをできたかと安堵した事を思い出す。本来ならば、大スポンサーが付けば、もっとディテール及び学術的なシミュレーション動画が制作できたであろうけれども、筆者なりのささやかなプレゼントのCGを見て、マルチメディアの世界に飛び込んだ子供も居るんじゃなかろうかと、勝手に想像したものだ。

 CG制作は凄く大変辛い仕事だが、素晴らしいバーチャルワールドを創り出すもの。・・・また、機会があれば、このような歴史的に貴重な遺産など建造物、仏像などの再現、復元ができればと・・・まだまだ、その夢を捨てきれない筆者が居るのである。

 末筆ながら、当時の制作者は寝食忘れてこの動画制作に傾注した。本当に苦労を掛けたけれども、当社23年半の歴史における業務実績の中で、ナンバーワン、最高の逸品であり、感謝の気持ちを忘れたことはない。


▼1996年に当社が立ち上げた「チブサン古墳」のWEB SITE
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【ロゼッタストーン公式サイト】 http://www.dandl.co.jp/Link

【チブサン古墳当社サイト】 http://www.dandl.co.jp/gold/chibusan/Link

           


  • posted by Chikao Nishida at 2014/8/17 02:11 am

山鹿、そして八千代座。

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 筆者の故郷でもある熊本県山鹿市は、800年以上の歴史を誇る温泉町。また、チブサン古墳やオブサン古墳、弁慶ケ穴古墳、鍋田横穴群など、装飾古墳のメッカでもある。・・・欲目で見ても、この悠久の歴史の流れを紐解けば、山鹿独特の異質な文化が育まれた、大変魅力ある地域であると言っても過言ではない。

 八千代座は、明治44年にこけら落としされた、全国でも珍しい現役の芝居小屋。それは、同市の中心部に位置しているが、その歴史については、下記の解説をご参照頂くとして、今回、同芝居小屋にやその他、筆者なりに瞬間的に思い出したものをランダムに書き綴ってみたいと思う。

 八千代座の記憶として、筆者が山鹿小学生低学年の頃に、色んな映画を上映していたことがあった。時には、演劇もあった。・・・先生たちに引率され、「どろかぶら」や「肥後の石工」などの演劇を、この芝居小屋で鑑賞したことをおぼろげながら記憶に留めている。

 また、筆者の幼い頃から世話になっていた女流プロカメラマン 古閑直子女史の尽力により、坂東玉三郎定期公演に漕ぎ着けた事は、筆者の記憶に新しい。ちなみに、同女史が女流プロカメラマンとして脚光を浴びたのは、「トラック野郎」の個展だったと記憶する。実は、山鹿市(1954年4月1日市制施行)初代市長 古閑一夫氏(故人/当時全国市長会会長)の長女でもあり、家族ぐるみの付き合いをしていた。

 同女史が高校2年生、筆者が小学校5年生だった頃の話。・・・同女史は大の沢田研二ファンで、当時、沢田研二の妹さん(京都在住)に手編みマフラーを作ってプレゼントした事を覚えている。・・・これは飽くまでも筆者の推測の域を脱し得ないが、現在、同女史が「織り姫伝承塾」を主宰しているのは、当時から「手作り」が大好きだったのかと・・・ふと、思った次第。

 何はともあれ、故郷に足を運ぶと、昔の事が走馬燈のように頭に浮かんでくる。近場の山々でシイの実や竹の子を採りに行ったり、菊池川中流域で鯉や鮒を釣ったり、古墳の周辺に埋まっている埴輪の欠片を拾ったりと・・・自然と一緒に、思う存分遊び回っていた。

 今回、八千代座、さくら湯などを撮影しながら、遠い昔を思い起こし、ノスタルジックにふけた一日だった。・・・日々、血走った目をして「仕事、仕事!」と言い放つ、殺伐とした生活環境から脱して、ゆったりとファインダーを覗き込むのも、実に素敵な時空の流れだと感じだ次第。

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▼八千代座の歴史(山鹿市教育委員会資料より/1996年に許諾を得て掲載しているもの)

 熊本県北部の山鹿市。いで湯と灯籠祭り、装飾古墳などで知られる歴史の街。そこには江戸時代の参勤交代にも利用された豊前街道が通り、その街道沿いに「八千代座」は今も尚歴史を語り続けている。

 明治43年当時商工業で栄えた山鹿の旦那衆が八千代座組合を創設、一株参拾円の株を購入し建てた芝居小屋である。こけら落としは同44年1月で、歌舞伎の松嶋屋総勢91人による興業であった。当時の記録を紐解くと、松井須磨子、岡田嘉子、長谷川一夫、片岡千恵蔵らの名前を見ることが出来る。八千代座は大正から昭和初期にかけて、当代一流といわれる芸能人の熱演を多くの人々の心に深く刻み込んできたのである。

 国指定の重要文化財である八千代座であるが、昭和40年代に老朽化し朽ち果てる寸前であった。山鹿の老人会が「瓦一枚運動」で募金を行い、5万枚の屋根瓦を修復。現在では若者も活動を始め、平成2年から「坂東玉三郎舞踊公演」が定期的に開催されている。「い・ろ・は」から始まる桟敷席、廻り舞台やスッポンなどすべてが健在である。ちなみに、奈落で廻り舞台(人力式)を支え続けるレールには、1910年のドイツ・クルップ社の刻印が刻まれているのである。

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  • posted by Chikao Nishida at 2014/5/25 02:19 am

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