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躱して行くのも一つの手だが・・・

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波風立てずに、躱して行くのも一つの手だが・・・

 オフィシャルでもプライベートでも、必ず、トラブルメーカーや虐め屋がいる。これらは、子供の頃からいくら躾をしようとしても、DNAの方が勝り、より本能的に動き、理性を持てない人なのだから、抑制するのは大変難しい話である。刑務所のような施設で、独房に入れて隔離しない限り、また繰り返す。

 だからと言って、常に神経過敏となり、波風立てずに、躱し凌ぎの人生となれば、自由もなく、息苦しさばかりで、虐められる方が精神的に参ってしまう。このような不条理なことが、あちこちで無数にあるのならば、何らかの制裁をもって、予防・抑制する仕組みを作るなり、良識的な人物が盾となり、その再発を防ぐ必要がある。

 子供の頃の虐めは、自然発生的なもの。殴られた方の傷や心の痛みを、如何に周知徹底させるかが問題となる。特に、コドナ(大人になり損ねた大人)が占める割合が多くなってきた現在では、PTAの挙動でさえも、その虐めの原因ともなりかねない。サラリーマン化した教職の言動も然りである。

 日頃の、つまらぬ井戸端会議の延長をそのままPTAの会に持ち込み、無駄な時間ばかりを過ごしているコドナも居る。会費を横領するような阿保も居る。幼い頃出来の悪かった人間ほど、また、世の中に貢献できない人物ほど、PTAではとんでもない挙動を展開するのである。

 三島由紀夫が嘆いていた言葉の一つに「大義」というものがある。それは、人間が踏み行うべき大切な「道」のことだが、その「大義」なき世の中になってしまったのが、現代なのだ。簡単に言えば「人の道」だが、それを日本国民、皆が気付くべきなのではなかろうか。

 堅苦しいようだが、「大義」を重んじ「勧善懲悪」の精神が宿れば、詐欺、横領、傷害、殺人、轢き逃げなどが激減するのではなかろうか。「大義」なき人間は、「これくらい分からないだろうから、やっちゃえ!」程度の軽々な乗りで、日頃から常習となってしまう。法的な制裁が及ばねば、何でもありで日々を送ることになる。よって、それを放置すると、延々と同じ繰り返し、想定外の事件が発生する。

 その被害者の大半は、一所懸命真面目に働く人々や、心優しすぎる人々なのである。「自分の身は自分で守らねばならない!」と、無責任なことを押し付ける警察や教育委員会などの御歴々。金銭が潤沢にある家は、ガードマンでも何でも雇って、身を守ることは可能であるが、大半の庶民は、その術を知りつつも、出来るはずがない。

 だったら、国家機関や地方行政が、全国津々浦々で起きている些細な「虐め」に対しても、警戒レベルを上げて、一人一人の被害者の盾となるべき、迅速且つ的確な初動を発令しなければ、監察期間において、取り返しのつかないことが、どんどん起きてしまうのは当然の成り行き。

 先ほど、Facebook上で語った「社内虐め」は、ノンフィクションである。50過ぎのコドナが、20代後半の部下を酒のツマミにしているようなもの。これを解決するには、トップがその現状把握を行い、適材適所にて人事を発令し、それでも問題が起きるのならば、降格、左遷の厳しい処断をすべきであったと考える次第。

 年功序列の腐った社会構造を作った日本だが、これからは「実力主義」をもって、若輩と罵られていた人間が、何段階も飛躍できる環境を早期に作ることが先決であると考える。勿論、飛躍した若者も、先ずは人間形成を重んじ、年上の上司となろうが、そこは常々、礼に始まり礼に終わるという、素晴らしい人格を持ち合わせなければならない。

 もはや、単なる憂さ晴らしで、コドナたちから「虐め」を受ける必要もない、共存共栄の優しく規律正しい日本人でなければ、これから、どんどん海外の見識の低い、だらっとした物事の考え方が、日本精神文化を侵食するのではないかと危惧する次第。

 ちまたでは、「癒し」と題して、色んなイベントや出版物、制作物が蔓延っているが、一過性のものに気をとられることなく、自らの人生というスパーンや、周囲の方々の気配りなどが、果たして、しっかりと出来ているのかなどの「自己反省・自己改善」をすべき時代(とき)ではないかと・・・。


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  • posted by Chikao Nishida at 2015/6/14 05:02 am

人生の迷路を歩む人たち

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 ここ数年、いろんな人たちが目の前を通り過ぎて行った。人は何故急接近したり、突然砂を掛けてまで絶縁して去るのか不思議でならないが、それを検証してみることにした。結論から言えば、「金の切れ目は縁の切れ目」と言うことだ。仕事上、メリットがないと決め込んだら、さっと身を引く人が、一番多かったような気がしてならない。

 昔の人は、大したものだ。それを「世の常」として、ズバリ言い当てている。よって、「金の切れ目」で豹変する人たちの特徴は、すこぶる「けち」で、普段は人様の為に一切身銭を切らないタイプが大半を占める。彼らのメリットとは、「只飯、只酒、只勉・・・」など、只で何らかのメリットを見出すと、さっと飛び込んでしまう。言葉は悪いが、コバンザメやハイエナのような習性である。

 世話になったら礼を言い、その恩を一生忘れず、必ず恩返しをすることが人の道だと、幼い頃から教えられてきたので、自分の出来得る範囲で、少しでも恩返しができるように努めたいと、日頃から己に言い聞かせている。

 しかし、先人がズバリ言い切った「世の常」とは、親密な関係であろうがあるまいが、御構い無しに、それまでの恩など全てをひっくり返し、己を正当化し、恩人達を愚弄してまで、逃げ去って行く人も居るのだ。とんでもない悪行であるが、筆者も含めて、これが社会底辺層における非道極まりない「輩」の存在であり、それを甘受せざるを得ないのである。

 筆者は思う。・・・今、自分に備わったスキルやキャリアは、自分の努力も細やかながらあるけれども、諸先輩や知人、友人の大きな支えの下に、今の自分が存在しているのだと。その方々と、どんなに喧嘩別れして疎遠になろうが、死ぬまでその方々のご恩は、忘れてはならぬもの。
 
 話は戻るけれども、砂を掛けてまで去って行った人たちは、どんどん迷路に入り込むが、自らの過ちなど認めることはない。それは、一度認めてしまえば、これまでの己の所業の渦に巻き込まれることへの「畏れ」があるに違いない。だから、世の中を転々と移り動き、新たな縁を繋いでは切り、また、縁を切っては別の縁を繋いで行くのである。

 SNSで絶賛されている「緩い関係」だが、筆者はあまり好まない。何故なら、その「緩い関係」が、上記の落ち着きのない人たちの所業を助長する可能性も高くなってくるからだ。そんな「緩い関係」で、真剣勝負の仕事などできるはずもないのだから。

 先見塾にて、IT総論各論、Macなどのパソコンのハード&ソフトの概念と操作法、英会話などなど、一所懸命教授してきた。数十年間、数億という自己投資をしてきた中で得たことを、惜しげもなく教えてきた訳だが、それも、素知らぬ顔して、無償でそのノウハウを盗み取ろうとした人間も何十人も居たことは否めない。・・・今の時代、恩師を蔑ろにすることなど、心も痛まぬ身勝手者・・・即ち、人生の迷路を歩む人たちが、随分増えてきているのである。

 悲しいかな、それが現実。

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  • posted by Chikao Nishida at 2015/5/24 12:48 am

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