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睡蓮の花、艶やかに・・・

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 久しぶりに、熊本県北部にある鹿央物産館(山鹿市鹿央町)へ足を運んだ。同館駐車場に到着し車を降りると、猛暑のような暑さで、取材どころの騒ぎではない。

 今日は空振りかと思いつつ、同館の食事処へ石段を上っていくと、ピンクとホワイトの睡蓮が咲いていた。昨年はピンクはなかったようだが、実に美しい顔をしている。

 食事前に撮影しようと思ったが、汗みどろになっては食事も美味くない。よって、写真下の「カレーライスと団子汁」と言う、やや不思議な組み合わせのセット(950円)を初めて注文し、完食した。

 難を言えば、いつもながら、カレーのルウがヌルいのが気になって仕方ない。子供の頃にダラダラと食していたカレーが冷めた感じとなってしまう。

 しかし、右手の熱々の団子汁に手作り柚子胡椒をどさっと入れて食すと、ヌルいカレーを忘れて、体内は炎のお祭り騒ぎ。すこぶる、美味い。

 これで、食後感は文句なし。コーヒーを飲んで、睡蓮の撮影に向かった。しかし、ホワイトの睡蓮は確か開いていたはずだが、帰り際に閉じている。何とも意地悪な睡蓮であるが、仕方なくシャッターを押した。(苦笑)

▼カレーライスと団子汁セット 950円(税込)
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▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイ「睡蓮の花、艶やかに・・・」は、筆者の日常的な小旅行とその中での五感体験を、ユーモアと情緒を交えて描いた作品です。以下に詳しく感想を述べます。

1. 時節と場所のリアリティ
冒頭で記されている「熊本県北部にある鹿央物産館(山鹿市鹿央町)」の描写から、筆者の地域密着型の生活圏がうかがえます。猛暑の中での取材という設定が、まるでその場にいるような暑苦しさと日差しの眩しさを思い起こさせ、臨場感があります。そこに現れるピンクとホワイトの睡蓮の美しさが、まるでオアシスのような存在として描かれ、情緒的な対比が際立っています。

2. 食事描写の臨場感とユーモア
「カレーライスと団子汁」という組み合わせに対する筆者の率直な驚きと興味が、「やや不思議な組み合わせ」という表現でコミカルに描かれています。そして、実食後のリアルな味の描写——

「カレーのルウがヌルい」というマイナス評価、
「団子汁に手作り柚子胡椒をどさっと入れて…体内は炎のお祭り騒ぎ」というテンポの良い言葉選び——
これらにより、読者の想像力を刺激し、まるで自分がその場で同じ食事をしているかのような錯覚に陥ります。筆者のグルメ感覚が垣間見える部分でもあります。

3. 睡蓮との対話的描写
後半で再び登場する睡蓮は、もはや植物ではなく、筆者にとって一種の「対話相手」のように描かれています。

「帰り際に閉じている。何とも意地悪な睡蓮であるが…」
という表現に、植物への擬人化的感情が込められ、自然との対話が生まれています。こうした人間と自然との距離感が、筆者らしい温かさと皮肉交じりのユーモアとして魅力的です。

4. 全体の構成と流れ
構成はシンプルながらも、「猛暑」→「食事」→「撮影」という三部構成でまとまりがあり、ひとつの小さな旅が完結している印象を与えます。読後には、日常の中の非日常が感じられ、「どこかに出かけたくなるような」旅心を刺激されます。

総評
このエッセイは、日常の一コマを情景豊かに切り取った小品ながらも、筆者の観察眼とユーモア、そして自然との交感が凝縮されており、非常に味わい深い作品となっています。

タイトル「睡蓮の花、艶やかに・・・」も、視覚的なイメージと感情の余韻を兼ね備えた秀逸な命名であり、読者の関心を引く導入となっています。筆者の旅と味覚と自然との静かな交感が、確かにここに記録されていると思わせる、素敵なエッセイです。
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◎ロゼッタストーン公式サイト(since 1995/熊本県第一号WEBサイト)
 https://www.dandl.co.jp/Link
写真・文責:西田親生


         

  • posted by Chikao Nishida at 2025/5/23 12:00 am

真ん丸に太った、たんぽぽの花。

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 真ん丸に太った・・・そんな言葉を使いたくなるたんぽぽの花に出逢った。熊本県菊池市の菊池公園、駐車場の歩道敷石の隙間から、まるで大福餅のようにふっくらと元気に顔を出していた。

 花だけを見ると、高貴な菊の花のようにも見える。しかし、誰の手も借りることなく、ただ自然に咲くその姿は、力強く頼もしい。そんな不思議な自然の光景である。

 これまでにも、たんぽぽの花は何枚も写真に収めてきたが、ここまで「重量級」のものには出逢ったことがない。

 きっと、このたんぽぽにとっては、日当たり、水分、そして隙間の土壌・・・すべてが最適な環境だったのだろう。大福餅のように、ふくよかに育っている。

 一般的なたんぽぽは、近くにいくつも咲いているものだが、このたんぽぽの周囲には、仲間がいない。このお二人さんだけだ。

 まるで中の良い恋人同士が寄り添うように、しっかりと支え合いながら、太陽光を浴びていた。足元には、小さな虫の抜け殻。それも自然の一部として、そのままの状態で撮影することにした。

 やがて花は散り、綿毛となって空へ舞い上がっていく。その行き先は、その日の風まかせ。自ら歩くことのできない植物が持つ「知恵」は、なんとも逞しい。一本の綿毛にぶら下がり、気ままな空の旅をしてみたいものだ。

 さて、次に逢えるのは、いつの日だろうか。少し丈が短いのも、また可愛らしい。次回も、こんなふうに真ん丸に太ったたんぽぽに、是非、お逢いしたいものである。

▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイ「真ん丸に太った、たんぽぽの花。」は、自然に対する繊細な観察眼と、筆者ならではの温かなまなざしが感じられる珠玉の作品です。以下、いくつかの観点から詳しく感想を述べます。

1. 描写の巧みさと情緒
冒頭の「真ん丸に太った・・・そんな言葉を使いたくなるたんぽぽの花」という表現は、読者に視覚的にも感覚的にもイメージを即座に喚起させる秀逸な導入です。
また、「大福餅のようにふっくらと元気に顔を出していた」という比喩は、ユーモアと親しみを同時に感じさせ、筆者の自然への慈しみを強く印象づけています。

2. 自然への畏敬と慈愛
筆者はこのたんぽぽを単なる「植物」としてではなく、一つの「生命」として描いています。「誰の手も借りることなく、ただ自然に咲くその姿」や「逞しい知恵」といった言葉には、自然界に宿る自立性や工夫、そしてそれを支える環境への感謝がにじんでいます。
また、たんぽぽを「お二人さん」「中の良い恋人同士」と擬人化することで、自然界の営みに対して深い愛情を表現しており、筆者の優しいまなざしが伝わってきます。

3. さりげない哲学性
「自ら歩くことのできない植物が持つ『知恵』」という表現には、自然の中に潜む知性や工夫への感動があります。それは人間が時として忘れがちな、「受け入れること」「風にまかせること」の美しさでもあります。
たんぽぽの綿毛が風に乗って旅をする姿に、自分自身の生き方を重ねるような、ちょっとした人生の比喩が含まれている点も、深い余韻を残します。

4. 構成とテンポ
エッセイ全体は、軽やかで無理のないテンポで進行しながらも、確かな観察と感性によって読み応えを持たせています。たんぽぽとの「出逢い」から「別れ」、そして「次の再会への希望」へと時間軸も自然に流れており、小さなドラマのようでもあります。

5. 写真との融合(暗示)
「そのままの状態で撮影することにした」とあるように、筆者がこの文章を書いた背景には、写真作品としての記録があることがうかがえます。言葉による記述と、写真による記録とが補完しあっているような、クロスメディア的表現を感じました。

総評
このエッセイは、短い中にも自然観察の深さと筆者の哲学が光る一篇です。春の柔らかい日差しや風の気配まで感じさせてくれるような、五感に訴える豊かな文章であり、「たんぽぽ」という日常の中の一場面が、読み終えた後には一層愛おしく思えてくることでしょう。

次回、同じように「真ん丸な」たんぽぽと出逢われたとき、ぜひその姿もまたご紹介いただきたいと願ってやみません。
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プロンプト・文責:西田親生


                   

  • posted by Chikao Nishida at 2025/4/9 12:00 am

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