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グローバル感覚を磨くということ

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これからの時代、パソコンや主要アプリの習熟は当然のこととなる。小生がネットに着手したのは1994年、そしてポータルサイトを構築したのが1995年8月22日であった。

それから四半世紀以上が過ぎ、2000年を起点にデジタルが世界を席巻してきた。しかし、その流れに追いつけない人がいまだに数多く存在することも否めない。

理由の一つは、「仕事にそこまでパソコンは必要ない」「使うとしてもワードとエクセル程度で十分だ」と思い込んでいるからである。それはそれで構わない。だが現実には、時代はAI(人工知能)の時代に突入し、小学生からプログラミングを学ぶのが当たり前になりつつある。時代はまさに、秒進分歩の勢いで急変している。

一方で、「スマホに自動翻訳があるから英語は不要」「ネットで調べれば百科事典のように何でも分かる」「企画書や契約書も雛形をダウンロードすれば簡単だ」と言う人がいる。確かに便利ではあるが、それを言い訳にして自らの頭を使わず、すべてをデジタルに依存しているようでは、スキルアップは望めない。脳みそを使わずして、プロフェッショナルな仕事などできるはずがない。これこそ視野狭窄の最たる例である。

小生は学生時代、勉強嫌いの典型であった。だが新聞社に入社した頃から、自らにいくつかの課題を課した。

パソコンのエキスパートになる
英語を独学で習得し、ネイティブのように話せるようになる
手書き文字を人並み以上に上達させる
国際儀礼を学ぶ
業務に必要な法律を習得する
ホテル文化と食文化(食育を含む)を徹底して学ぶ


特に、田舎・熊本で社会人としてスタートした身としては、ローカルスタンダードに染まらず、常にグローバルスタンダードを身につけることに専念した。国内外どこに行っても堂々と振る舞えるよう、徹底して自らを鍛えたのである。

その結果、帝国ホテルで食事をしようが、ザ・リッツ・カールトンへ取材に行こうが、海外取材に赴こうが、物怖じすることは一度もなかった。もし入社当時にこうした課題を自らに課さなければ、異次元の環境に放り込まれた時、萎縮して何もできなかったに違いない。

そもそも日本人は、一つの技術を習得すると「プロフェッショナル」と呼びたがる。しかし海外では感覚が異なる。イギリスのプロゴルファーが辣腕弁護士でもあったり、アメフト選手がメジャーのプロゴルファーに転身したりと、彼らは多種多様な挑戦を続けている。

生涯をかけて一つの道を極める人生観は立派だ。だが同時に、なぜ狭い世界に留まろうとするのか、不思議に思えてならない。世界は広く、職業も環境も千差万別である。視点を変えて挑戦すれば、自分でも気づかぬ能力が開花するのではないか。
人生は一度きりである。

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文責:西田親生

                 

  • posted by Chikao Nishida at 2022/11/28 12:00 am

いい人が居ると、いい風が吹く。いい風が吹けば、周囲にもいい風が吹く。

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 人生、紆余曲折、波乱万丈のようでも、それだけ人間としてアクティブに動き、生きている証である訳だ。

 人と接することがない人は、アクティブな人と比べれば、確かに「諍い」は少ない。「諍い」や「事件事故」の要因は、人であったり物であったり自然であったりと。

 それを考えれば、ニューノーマルな時代となり、籠の鳥になっていた方が「諍い」も少なく、平穏無事なる生活ができる可能性は高い。

 ただ、ネット世界であり、どんなに静かに生活していても、ネット上で誹謗中傷が飛び交ったり、犯人探しの誤認逮捕で炎上し被害者となったりする。

 妙な時代になったものだ!と言いたいが、人を攻撃するような輩の人物像が容易に特定できないから、安心し切った輩は仮面を被って、ネット上で暗躍する事になる。卑怯者のつまらぬ集まりである。

 ネット上で、第三者を攻撃するのは、自分を棚に上げての、心無い、身の程知らずの輩が多い。仮に、攻撃を楽しんでいた輩が、逆に反撃を受けると、被害者の心の痛みが分かそうだが、そこはおバカなので気づかない。

 はっきり申し上げれば、他人が何をしようが、何処にいようが、誰と結婚しようが、誰と不倫しようが、不適切な発言をしようが、ネット上で暴露して楽しんでも、全く生産性はない。一銭の価値もない。

 それより、小腹が空いた時に、カップヌードルに熱湯を注ぎ、スープの最後の一滴と残りの具材を呑み込んだ瞬間が、断然、幸せだ。他人を攻撃して、何が残る?他人を晒し者にして、誰も幸せになるはずがない。残るのは、攻撃するものの醜態のみである。

 世の中は、「恨み」、「辛み」、「妬み」などが、理性を潰してしまう。「恨み」も「辛み」も「妬み」も、他人と比較することから生じるものであるが、実に大人気ない、味気ない。

 自分の実像を客観視して欲しい。「不細工に生まれた?」って、誰かと比較するからでしょ。「頭が悪い!」って、本も読まないからでしょ。「美味しい物が食べれない!」って、お母さんのおにぎりが最高だよ。

 そんなこんなで、何かと他人と比較することで、自分の優位に歓喜したり、劣位に凹んだり。すこぶる狭い世界観の中で、人生を歩んでいる。

 他人の噂をするのが日常茶飯事の輩もいるが、これこそ、民度が最低レベルの人間に多い。揶揄する輩の方が、心が汚れている。「他人に罵詈雑言を投げ掛けて安堵するより、自分自身を醜さを鏡で見てみろ!」と物申したい。

 周囲の蛮行や愚行を気にせず、さっさと輩とは遠ざかり、一度の人生を謳歌して欲しい。人生は上述のように悪いことばかりではない。周囲の接点を一度リセットして、自分に一番心地良い世界を創ったら如何だろうか。

 標題の通り。

いい人が居ると、いい風が吹く。
いい風が吹けば、周囲にもいい風が吹く。


▼西田親生の自由気まま書

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文責:西田親生


                 

  • posted by Chikao Nishida at 2022/11/26 12:00 am

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