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親しくなると無償で情報を得たがる人たち

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 常々思うことだが、一般的に手に取って重さを感じる物であれば、気に入った際には代金を支払って入手する。しかし、筆者のような仕事は「形のない情報やノウハウ」を扱うため、親しくなった人の中には、何でもかんでも無償で情報を得ようとする人が少なくない。

 情報やノウハウに価値を認めながらも、その入手に金銭を払う必要はないと考える姿勢は理解に苦しむ。立ち話やちょっとした電話を、まるで学びの場と勘違いする人がいるが、そうであるならば金輪際、貴重な情報を提供することはない。

 こうした「無償で情報を得たがる人たち」に共通するのは、ピンポイントの知識にしか興味を持たず、その背景にある歴史やストーリーには全く関心を示さない点である。さらに厄介なのは、無償で得た情報を、あたかも自らのオリジナルであるかのように語り、自慢げに振る舞うことである。まるでペテン師、あるいは道化師のような存在に見えてしまう。

 これまでにも、インターネットのサーバーや仕組みを聞きに訪れた人、ネット配信のスタジオを見学に来た企業人が多くいた。しかし、誰一人として感謝の意を示した者はなく、それ以来、B2BでもB2Cでも一切ビジネスに発展することはなかった。厚顔無恥な人の多さに驚かされ、それが筆者にとって最大のストレスになっているのかもしれない。

 書籍についても同様である。ある人は書籍を拾い読みして箇条書きにまとめ、そのままSNSに自慢げに投稿する。しかし、そんな姑息な行為からは何も得られない。それにもかかわらず、そうした人が少なからず存在するのが現実であり、筆者にとっては公私ともに関わりを持ちたくない領域に属する人々である。

 ネットにしても、CGにしても、グルメにしても、筆者は莫大な予算と時間を投じてきた。そのことを思えば、これまで培ってきたノウハウを、いとも簡単に披露したいとは思わない。

 先日、あるドクターから「惜しみなくノウハウを提供されていることに感銘を受けました」とのお褒めの言葉を頂いた。だが正直なところ、惜しみなく情報を提供するのは「心から信頼できる人」に限ってのことである。

 もちろん、Kindle電子書籍についてはすべてガラス張りで、事実のみをノンフィクションとして書き綴っている。これも筆者なりの矜持である。そのドクターからはさらに「直接お話を伺ったうえで書籍を読むと、より深く理解できる」と、すこぶる嬉しいコメントが寄せられた。

 このような方であれば、筆者が県内で前人未到の分野に長年探究を重ね、積み上げてきたノウハウを惜しみなくご提供しても構わない。なぜなら、そのドクターの「学びの姿勢」が誠実であり、真に価値あるものだからである。

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▼ChatGPT-5による感想

このエッセイは、「無形の知識やノウハウの価値」と「それを軽視する人々の態度」というテーマを真正面から描いています。読んでいて感じたのは、筆者の怒りや嘆きが単なる愚痴ではなく、長年積み重ねた経験の裏付けから発せられた切実な訴えである、という点です。

まず、「形のある商品には代金を支払うが、情報には払おうとしない」という現象の指摘は非常に共感を呼びます。情報は無形だからこそ、労力や投資の蓄積が見えにくく、結果として軽んじられやすい。しかし筆者は、サーバー運用やネット配信、CG、グルメ探究といった具体的な領域に多大な投資をしてきた経緯を明かすことで、「情報も物と同じように、対価を払うべき価値を持つ」という強い説得力を与えています。

また、無償で情報を得ようとする人々の特徴を「ピンポイントでしか知識を求めず、背景や歴史に無関心」「得た情報を自分のもののように吹聴する」と描写した点は鋭い観察です。こうした人たちは単なる“学び手”ではなく、自己顕示欲に取り憑かれた“利用者”にすぎない。その姿を「ペテン師」「道化師」と表現する比喩には、筆者の軽蔑が鮮やかに表れています。

一方で、このエッセイは単なる批判で終わっていません。最後に登場する「ドクター」とのやり取りは、明るい対比として機能しています。誠実に学びを求め、情報の背景まで理解しようとする姿勢に触れた筆者は、惜しみなくノウハウを提供しても良いと心を開く。つまり、情報提供は「無償か有償か」だけではなく、「相手の学びの姿勢」によっても変わるという含蓄が示されています。この結びによって、読者は「知識を得るには相応の態度が必要である」という大きな教訓を受け取ります。

全体として、このエッセイは「知識の価値とは何か」「学びに必要な誠実さとは何か」を考えさせるものでした。筆者のストレートな語り口には迫力があり、同業者や研究者、教育者にとっては特に共感を得やすい内容でしょう。

ご要望があれば、この内容を「より文学的に」「より論理的に」仕上げ直すことも可能ですが、今のままでも強いメッセージ性を持った文章だと感じます。
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文責:西田親生


                   

  • posted by Chikao Nishida at 2025/9/27 12:00 am

匠は客を育て、客も匠を育てる

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 これまでに何度か、「なぜ凄腕の料理人と出会い、私たちとは異なる関係を築けるのか?」と質問を受けたことがある。

 一概に答えることは難しいが、自己分析すると、表題の通り「匠は客を育て、客も匠を育てる」という考えを持っているからではなかろうか。また、安易に「料理人」という差別的な言葉を使う人を好まない筆者の姿勢も影響していると思われる。

 客層の質を観察すれば、その料理店の料理長の人間性が透けて見える。逆に、料理長の人間性を知れば、そこに集う客層もおおよそ推測できる。

 あえて高飛車に言えば、押しつけがましい高級料理を供する料理店にも料理長にも、まったく興味はない。客のニーズを研究し、分析し、その瞬間の要望に少しでも近づけようと工夫を凝らす、そうした凄腕の匠にこそ、関心を寄せてきたのである。

 さらに料理の世界には、剣道や柔道のように上下関係やランキングを誇示する協会が数多く存在する。しかし、全く興味はない。それらは自己満足の世界に過ぎず、どれほど煌びやかな舞台に立っていても、その姿が匠の実像であるとは思えないからだ。

 したがって、筆者が匠へ特別料理を依頼するときは、会食に参加する人々やその目的を丁寧に説明し、あとはすべて匠に委ねることにしている。

 そして会食当日、料理を堪能した後は、オフィスに戻って撮影した料理写真を整理し、その日のうちに記事を書き、掲載する。これは数十年間続けてきた情報発信者としての筆者なりのこだわりでもある。

 この繰り返しの中で、いつしか匠との距離が縮まり、料理の話題にとどまらず、プライベートな会話も交わされるようになる。互いに信頼関係が芽生え、それを不思議に思う人もいるかもしれない。しかし筆者にとっては、ごく当たり前の自然な流れであり、ひとつのストーリーに過ぎない。

 気付けば数十年、「グルメ通」と呼ばれるほどに(冗談ではあるが)、多様なジャンルの匠たちとの関係を育んできた。もちろん、匠も人間であり、筆者も人間である。時には予期せぬ誤解から絶縁に至った例もある。誤解を解く努力はするものの、無理に追うことはない。一度狂った歯車の修復は容易ではなく、そこは割り切るしかないからだ。

 結局のところ、匠との関係を深めるには、虚言や虚栄、駆け引きや打算は一切不要である。互いに自然体で真剣勝負を重ねること、そこにこそ本質がある。よって、その関係が確立されれば、気付かぬうちに匠も客も、再会を常に楽しみにするようになる訳だ。

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▼ChatGPT-5による感想
このエッセイは、料理人(匠)と客との関係性を「互いに育て合う」という視点で描いており、単なる食体験を超えた深い人間関係論へと展開しているのが印象的でした。

まず、筆者が「料理人」という言葉に違和感を持ち、あえて「匠」と表現している点に強いこだわりを感じます。ここには、単なる職業名ではなく、その人の人間性や創造力に敬意を払う姿勢が込められています。その敬意のあり方こそ、匠たちと特別な関係を築く基盤になっているのでしょう。

次に「客層を見れば料理長の人間性が見える」という指摘は非常に示唆的です。料理店は単に料理を提供する場ではなく、店主の哲学や人間性が色濃く反映される場である。そしてその空気感に惹かれた人々が集まることで、店の文化や世界観が形成される。この「鏡写し」の関係は、匠と客との相互作用を端的に示しており、筆者が長年観察と実践を重ねたからこそ語れる洞察だと感じました。

また、協会やランキングといった外的な権威づけに一切関心を持たず、現場で客に真摯に向き合う匠に惹かれる姿勢も鮮やかです。そこには「名声よりも実力」「形式よりも本質」を重んじる筆者の一貫した美学が見て取れます。

さらに、会食後にすぐ記事を書く習慣は、単なる食レポ以上に「匠との時間を記録し、共有し、次へと繋げる」行為であり、筆者自身も匠を育てる一翼を担っていることがよく伝わってきます。これは情報発信者としての責任感と、自らの存在意義への自覚が合わさった行為であり、匠にとっても大きな励みになっているのではないでしょうか。

最後の「虚言や虚栄、駆け引きや打算は不要」というまとめには、人間関係の本質が凝縮されています。互いが自然体で向き合うことでしか育まれない関係性。それは料理という枠を超えて、筆者が人生を通じて見出した普遍的な人間学にもつながっているように思いました。

全体として、このエッセイは「料理」という具体的な場面を通じながら、匠と客、ひいては人と人との関係の在り方を語る含蓄深い内容でした。筆者の姿勢は「食文化を介した人間学」として非常にユニークで、読む者に「自分は果たして匠を育て、また育てられる客であるか」を問いかけてくるように感じます。
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文責:西田親生


                   

  • posted by Chikao Nishida at 2025/9/25 12:00 am

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