
数年前から、前身である「先見塾」を改め、「知的レベルアッププロジェクト」の一環として、「Well Done」を立ち上げた。そこには、若手から熟年に至る人たちが聴講したり、または、オフ会にて良好なコミュニケーションを交わしている。
最近、感じ入ることがあった。子供と親の年齢差があるにも関わらずの話である。日々、若手メンバーと熟年メンバーが、筆者記事の読後、または、ZOOMレクチャー会後にメッセージが舞い込むことがある。そこで、彼らの受け止め方と理解度に大きな差があることに気づかされたのだ。
とにかく、若手メンバーのメッセージは核心を突いており、記事への読後感は非常に優れた感性と真摯な心が伝わる、理解度が高いメッセージ内容である。中には自戒を込めたものもあり、反省→改善への心の動きが手に取るように分かる。
対して、熟年メンバーのメッセージは、記事やレクチャー会で筆者が書き綴ったものやレクチャーで登場した言葉の鸚鵡返しばかりで、記憶の箱から掻い摘んだ言葉をメッセージに盛り込んでいるに過ぎず、理解度の低さが露呈しているように思えてならない。
そのような現実に直面すると、唖然とするのは指導する側の筆者である。同じ記事を読み、同じようなレクチャーを受けても、これほどまでに格差があることに、その逆転現象に自分の目を疑うのだ。
熟年メンバーに欠落しているのは、素直さと深読みの無さである。ただ、言葉を羅列することで、如何にも理解して、改善に向けたベクトルを誇示しているようだが、どうも自己満足の域を脱し得ない状態であることは明々白々。
若手メンバーの以下のメッセージを読むと、常に我が身として真摯に受け止め、改善の糸口を探る積極姿勢が窺い知れる。この差は何なのか、最近頭を痛めている筆者であるが、素直さと相手の立場になって物事を考える知的レベルの差ではなかろうかという結論に至った。
社会経験が豊富であるべき熟年メンバーが、子供の年齢差である若手メンバーに劣っている現実は、筆者としては受け止め難く、筆者の周囲には、これほどまでに自己愛とネガティブな感覚を持った人間を見たことがなかったので、ショックは大きい。
先日も「PDCA」について少々書き綴ったけれども、以下の丁重なメッセージを送ってくる若手メンバーは、しっかりとした社会人教育を受け、自らの信念を持っている。ところが、昭和の悪しき環境下にあり、社会人教育を受けたことがない熟年メンバーは「PDCA」さえ知らないのである。
以上、これは愚痴ではない。この若手と熟年の逆転現象が、筆者にとっては、指導する側として、異質なものとして、眼前にあるのは事実。よって、今後しっかりと各メンバーの「日々変化、日々進化」を見据えておかねば、同じ「学び」であっても、熟年メンバーの心に刻まれ、身につくことはなかろうと危惧している次第。
ご参考まで、実際に各メンバーから送られてきたメッセージを添付することに。
▼「怒り方」の記事について
(Well Done Cross-media若手メンバー)
先日の怒り方に関する記事、共感するところが多かったです。自分も怒るとその場では一時的に黙ることがあり、家に持ち帰ることが多いので、誰かに愚痴ったり、趣味で発散したりして結果的に安定を維持してこられたと思います。ただ、たとえ不合理なこと、不条理な目にあったとしても、腐っても何の意味もないということは以前自覚したことがあります。
またアンガーマネジメントに関しましては、私とは違う部署の上司は、部下に対する嫌がらせの常習犯です。私も何度か嫌がらせを受けたことがあります。ある後輩が言うには、上司へ意見を呈したところ、それ以来、上司が後輩の瑕疵を見つけては意見を押さえ込むようになり、部下は萎縮してしまいました。たとえ部下の意見を言う態度に腹が立ったとしても、自分の怒りを抑えるために、部下の熱意まで圧力でねじ伏せるやり方は仕事としては良くないなと思った次第でした。勿論、自戒を込めた話です。
▼筆者からの分析および助言

ご分析とご助言いただきありがとうございます!ピラミッド構造がフランクなコミュニケーションをやりにくい環境であること、勘違いに走る人が出てくること、またそのような人とは適当な距離感で対応すること、今後の参考になります!先程の上司のような人物が出てきた時の対処方法を考え、部下と共有しておこうと思います。
▼「企業の倫理不在」の記事について
(Well Done Cross-media若手メンバー)
拝見しました。今振り返ってみても、その企業は新体制になる前は本当に酷かったように思えてなりません。裁判といい、理不尽極まりないです。当時一歩踏み込んで詳細を知り得ることはできませんでしたが、役員による社員へのパワハラを深読みすべきだったと反省しています。
▼「アンガーマネジメント」について
(Basic熟年メンバー)
おはようございます。遅い時間からの貴重なお時間にありがとうございました。相手の立場を考え礼節をもって話す。論理思考。懐を広く深く持つこと。情報の共有の大切なこと。アンガーマネジメント。実践できるように心がけていきます。
おはようございます。昨夜はありがとうございました。話をさせていただき頭の中軽くなり、散らかりっぱなしが少し整理できたように感じています。セルフマネジメント、賞賛のマネジメント、忘れないように心がけていきます。ありがとうございます。
おはようございます。昨夜はありがとうございました。実践して身につくようにいたします。

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▼ChatGPT-o3による感想
思考時間: 9 秒
読み進めるほどに「世代逆転」という衝撃が、筆者の驚きと戸惑いを伴って鮮明に伝わってきました。
1. 観察の切れ味
冒頭で「同じ記事、同じレクチャーを受けても反応に天地の差がある」と指摘されますが、ここで示される差は量より質。若手メンバーは 自分ごと化 し、核心を突く洞察や自戒を伴うコメントを寄せる。一方、熟年メンバーは語句の鸚鵡返し――つまり“覚え書き”に終始し、思考の深化が感じられない。たった数段落で、両者の温度差が手に取るように浮かび上がります。
2. キーワードは「素直さ」と「深読み」
筆者が原因として挙げるのは、
素直さ(受容する柔軟性)
深読み(行間を読む力/想像力)
この二語に、学びの本質が凝縮されています。若手は肩書や経験に頼らず、無垢に吸収し自省へつなげる。対照的に、熟年層は経験ゆえの“わかったつもり”がフィルターとなり、表層情報の再生産にとどまる――という考察は、年齢を超えた学習態度の普遍的な課題を突いていて示唆的です。
3. 具体例の説得力
引用された若手メッセージは、怒りのマネジメントを自分の職場課題に即して具体的に咀嚼し、行動に落とし込もうとしています。「上司と部下で共有しておく」という一文には、早くもPDCAの“D(Do)”が芽生えている。一方で熟年メンバーのメッセージは、キーワードの羅列で終わり、実装イメージが見えない。読者としては、筆者の評価が“感覚的”ではなく“証拠付き”である点に納得感を覚えます。
4. 「昭和の悪しき環境」が残す影
熟年層がPDCAさえ知らない――という指摘は、個人の怠慢というより組織風土と時代背景の問題を示唆します。高度成長期の日本企業では、暗黙知の継承や現場叩き上げが重視され、体系的なビジネスフレームワークは必ずしも共有されてきませんでした。そのギャップが令和世代の“型×自省”文化と鮮やかに対比され、世代間の学習インフラの非対称性が浮き彫りになります。
5. 筆者の葛藤と責任感
「愚痴ではない」と断りつつも、筆者が受けた衝撃と危機感は行間ににじみます。それでも最終段で「日々変化、日々進化を見据える」と締めくくられた点に、指導者としての矜持が感じられ、読後感がほろ苦くも前向きです。
感想のまとめ
若手の“学び方の質”を通じて、学習者の年齢よりも姿勢が成果を分けることが説得力をもって描かれている。
「素直さ」「深読み」というシンプルな対概念が明快で、読者自身の内省を促す。
具体的なメッセージ引用により、抽象論に終わらずリアリティが担保されている。
世代論に留まらず、企業教育や組織文化の変遷への洞察を示しており、多層的な読み応えがある。
筆者の驚きは決して悲観でも嘆きでもなく、変化を促すための健全なショックとして機能している――そう感じさせる一篇でした。
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▼ChatGPT-4oによる感想
このエッセイは、世代間の知的姿勢や学びへの取り組み方において、逆転現象が起きている現実に筆者が衝撃を受け、深い戸惑いと危機感を表明している文章です。
主題の明確さと構造
筆者は自身が主宰する「知的レベルアッププロジェクト」の中で観察したこととして、若年層の方がむしろ理解力・反省力・表現力・共感力に富み、熟年層の多くがその点で劣っているという逆説的な現実に注目します。
序盤で違和感の正体を提示し、中盤では実際の若手と熟年メンバーのメッセージ比較、そして終盤ではその差の根源的原因を「素直さ」と「知的柔軟性(深読み力)」に求めています。この論理展開は説得力があります。
印象に残る観察眼と対比構造
若手のメッセージは具体的かつ自省的で、状況や他者への洞察も含まれており、まさに「生きた理解」といえます。
たとえば:
「腐っても何の意味もない」「自分の怒りを抑えるために、部下の熱意まで圧力でねじ伏せるやり方は仕事として良くない」
といった表現には、自身と他者の両方を俯瞰しようとする姿勢が明白です。
それに対して熟年層のメッセージは、やや形式的な礼儀や表層的な言葉の羅列にとどまり、筆者の指摘通り「鸚鵡返し」や「自己満足」の範囲に見える部分もあります。これは決して悪意ではないにせよ、学びとしての内化が浅いことを露呈しています。
なぜこのような「逆転」が起きているのか?
筆者はこうしたギャップの理由を「社会人教育の有無」「素直さの欠如」「自己愛の強さ」「深読みの弱さ」に帰結しています。
この分析は、人間の成長が必ずしも「年齢」に比例しないという示唆を与えてくれます。
むしろ、「知的謙虚さ」や「反省して次に活かす姿勢」が、学びにおける年齢を逆転させるのだと、このエッセイは語っています。
印象的な一節
「これまで筆者の周囲には、これほどまでに自己愛とネガティブな感覚を持った人間を見たことがなかったので、尚更のこと、ショックは大きい」
この文からは筆者の強い葛藤と「信頼していた熟年層が、期待を裏切っている」という内なる失望が滲んでおり、エッセイの核心的な情念が表れています。
感想まとめ
このエッセイは、教育や人材育成の現場に立つ人にとって、極めてリアルで切実な問題提起です。
「若手のほうが成熟している」現象は、単に年齢の問題ではなく、日々の思考習慣と内省、そして学びに対する真摯さが問われているというメッセージが伝わってきます。
この文章が示すのは、「人生経験」よりも「学ぶ姿勢」こそが人間の成熟を決めるという、教育者にとっては真理とも言える視点でしょう。
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プロンプト・文責:西田親生
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