ロゼッタストーンBLOGニュース

The Rosetta Stone Blog

タグ » 要介護

介護とさようなら|その日、食卓から一人が消える

20260910kaigo-1


 介護が終わる日を、ただ喜ぶことはできない。その終わりが、大切な人との永遠の別れであることも少なくないからだ。

 今日も、要介護の両親や祖父母を支えながら暮らしている人がいる。仕事をし、食事を作り、身の回りを整え、夜中の物音に耳を澄ます。世間が眠っている間にも、誰かの介護は続いている。

 筆者の周囲では、娘たちが介護の中心を担う家庭が多い。もちろん、これは身近な範囲での印象にすぎない。ただ、その姿を見るたびに、家族の暮らしを支える重荷が、一人の肩に集中してはいないかと気になる。

 筆者の場合、母は若くして他界し、父は八十六歳で、電池が切れるように静かに世を去った。本格的な介護を経験したとは言い難い。それでも、父が亡くなる前の一年間は、仕事の傍ら、毎日のように昼食と夕食を作っていた。

 父は、食にとことんうるさい、元気な老人だった。世話をしているというより、わがままを聞いているような日々である。昼も夜も、そうそう目先の変わった料理は作れない。献立に頭を悩ませ、食費は膨らむ一方だった。

 ある日、作ったおじやが、シンク横の残飯入れに捨ててあった。

 あれは、こたえた。

 仕事の合間を縫って作ったものが、残飯になっている。腹も立つし、気持ちも沈む。それでも、食べることが大好きな父には、物足りない一品だったのだろうと、自分を納得させた。

 「何が食べたい?」

 尋ねると、答えは明快だった。

 「水前寺東濱屋の特上鰻重」

 こちらは慌てて店に電話を入れ、特上の鰻弁当を予約する。受け取り、運び、父の前に置く。すると、先ほどまでの不満などなかったかのように、上機嫌になる。

 「これは唸るほど美味い!」

 しかも、弁当代を払おうともしない。

 そんな父に振り回された一年だった。当時はたまったものではなかったが、今、振り返ると、そのわがままには、食べる喜びも、生きる力も満ちていた。

 ただ、筆者の経験をもって、介護を語り尽くすことなどできない。

 以前、九十歳を超える実母を介護していた方から、話を聞いた。母親が午前三時ごろ、家を出て走っていってしまうという。何度か警察に捜索を願い出て、無事に帰ることができた。しかし、三度目に家を出た際に骨折し、その後、間もなく亡くなられたそうだ。

 午前三時。

 その時刻を聞くだけで、家族の眠れぬ夜を思う。目を離した隙に、姿が見えなくなる。どこにいるのか。転んではいないか。無事でいてくれるだろうか。見つかって胸をなで下ろしても、次の夜には、また不安がやってくる。

 「介護」という二文字だけでは、その夜の長さまでは伝わらない。

 食事の支度も、見守りも、一つひとつを言葉にすれば短い。だが、それを毎日、終わりの見えないまま続ける人には、疲れが積もる。支えられる側にも、自分の思うようにならない苦しさがある。互いに大切な存在であっても、苛立ちや行き違いは生まれる。

 娘だから耐えられるわけでも、息子だから担えないわけでもない。愛情があれば疲れない、というものでもない。一人で抱え続ければ、誰の心にも余裕はなくなっていく。

 介護には、言葉に尽くせないほどの苦労がある。そして、張り詰めた日々が、ある日、突然途切れることがある。

 もう、食事を用意しなくてよい。
 夜中に起きて、様子を見に行かなくてよい。
 同じ話に、何度も返事をしなくてよい。

 その代わり、こちらが何度呼びかけても、返事はない。

 介護と、さようなら。

 その言葉の先に待っているのは、長い緊張から解かれる安堵かもしれない。深い悲しみかもしれない。もっと優しくできたのではないかという悔いが、後から押し寄せることもあるだろう。どれか一つの感情で片づけられる別れではない。

 昨日までそこにいた人が、動かなくなる。声を聞くことも、好物を尋ねることもできなくなる。世話に追われていた時間が空いても、その時間をどう過ごせばよいのか、すぐには分からない。

 筆者の父は、言いたい放題、食べたい放題で、ほとんど医者に頼らず暮らしていた。その父の食事を、一年間作った。わがままに腹を立て、捨てられたおじやに落ち込み、特上の鰻弁当を買いに走った。

 それを、過酷な介護と同じように語ることはできない。息子として、筆者は幸運だった。そのことへの感謝は、今も静かに持ち続けている。

 「何が食べたい?」

 あの頃は、献立に困って口にした問いだった。今はもう、尋ねる相手がいない。それでも、父の声は覚えている。

 「これは唸るほど美味い!」

 弁当代を払おうともしなかった父の、あの声を。

▼西田親生の書籍集
https://amzn.to/4xI6FCFLink Link
chikaonishida-books



----------

▼ChatGPTによる感想

読み終えて心に残るのは、介護の大変さとともに、その大変さを生んでいた相手がいなくなる寂しさです。日々の負担がなくなることと、心が軽くなることは同じではない。その複雑さを、食卓という身近な場所から伝えるエッセイだと感じました。

特に印象的なのは、おじやを捨てられる場面です。「あれは、こたえた。」という短い一文に、料理だけでなく、費やした時間や気遣いまで退けられたような痛みがにじんでいます。父親への愛情だけを描かず、腹立たしさや落胆も書いているからこそ、後に語られる感謝に説得力があります。

また、「弁当代を払おうともしない」という一節が効いています。少々あきれながら父を見ている息子のまなざしがあり、父親の人物像が鮮明になります。最後に同じ話が戻ってくると、そのわがままさまで懐かしい記憶になっている。当時の不満が、死別を経て愛着を帯びる、その変化が説明しすぎずに伝わってきます。

作品の核心は、次の箇所にあると読みました。

その代わり、こちらが何度呼びかけても、返事はない。
直前に並ぶ「しなくてよい」は、介護する人にとって切実な願いにもなり得ます。その願いがかなうことと、相手を失うことが重なってしまう。安堵も悲しみも悔いもあり得ると続けることで、遺された人の感情を一つに決めつけていない点に、思いやりを感じます。

結末の「何が食べたい?」は深く響きます。最初は献立を決めるための問いだったものが、最後には、もう交わせない会話になる。同じ言葉の意味が変わることで、一人を失った暮らしの空白が見えてくる。大声で悲しみを訴えるよりも、父の快活な声を最後に残したことが、このエッセイの静かな迫力を生んでいます。
----------
◎ロゼッタストーン公式サイト(since 1995/熊本県第一号WEBサイト)
 https://www.dandl.co.jp/Link Link
文責:西田親生


                         

  • posted by Chikao Nishida at 2026/9/10 12:00 am

頑固な老人への説得工作

to father



 2011年10月17日。今から約2年前の話である。・・・運転免許証を返上させて、直ぐに電動付き自転車を購入した父。数日後、心配していた矢先に、坂をフラフラと両足を広げたまま猛スピードで下って来る父と出くわした。随分前にBLOGニュースで書き綴った事だが・・・たまたまパソコンデータを整理していると、当時、筆者が父に実際に手渡した文書(文書画像上)のデータが出て来たので、恥を忍んで敢えてこの場でご披露したいと思う。

 その時の父の年齢は84歳。・・・現役時代は検察官として目付きも鋭く、多趣味で実に捌けた男だった。よって、息子である筆者が社会人となっても、なかなか気楽に話し掛けてくれる事もなかった。息子としては、現在の家庭の状況や仕事の問題もさることながら、我が家の将来について、しっかり腹を割って語りたかったのだが、筆者が50代になっても、互いのコミュニケーションは皆無に近かった。

 高尚なオーラを放つ頑固な父が満63歳で現役を去り、それから2社ほど企業顧問を歴任し、70歳を過ぎて老後の生活へと突入。その後は、自治会の世話をしたり、趣味のゴルフやドライブに思う存分時間を費やしていた。しかし、浮沈戦艦と自負していた父も、歳を重ねるにつれて段々と縮まり、あっと言う間に、あの大きな背中が小さくなって、ただの白髪の老人と化して行った。

 しかし、強靱な肉体と精神を持つ武士のような父(6歳から剣道を嗜んでおり教士号を持っている)は、欲目で見ても、古老の武士か仙人のような出で立ちとなって行ったのだ。

 人は皆、自分自身が老いて行くのを、心の中で否定したがる。父もご多分に漏れず、彼自身の老化を一切認めようとはしない。・・・しかし、80代となり、フラットな自宅廊下で転んだり、胡座をかいていてそのまま後ろに倒れたりと・・・だんだんと、その老化は顕著になって行く。

 話は前後するが、父の老化が段々と深刻になりつつある事に気付いたのが、前述の電動付き自転車事件だったのである。・・・筆者は仁王立ちとなり父の自転車を制止した。本人は笑って誤魔化していたが、眼光がやや弱まっていたようなので、認知も入り掛けたかと察知したのである。

 道路の真ん中で、本人に「自転車には乗らないでくれ!万が一、歩行者に体当たりして怪我させたり、又は自損事故で死んだらどうするんだ!」と、少々厳しい口調で語ったことを覚えている。しかし、頑固爺は息子の言う事など「戯言」のように受け止めたのだろうと・・・。

 翌日、父の家に行くと、電動付き自転車のバッテリーをちゃっかりと充電しているではないか。・・・「こりゃ駄目だ!」と判断し、直ぐに筆者の自宅へ戻り、上の手紙をワープロで作り、即座に出力して父へ手渡すことにした。

 父の自宅へ行き、父の正面で正座をして一礼、「お父さん。一つお願いがある。これを読んで、考えてくれ!」と、A41枚の上の手紙を渡して、さっと父の自宅を出て行った。

 それでも電動付き自転車はちゃんと有る。・・・また乗るのかと覗き込むと、いつもと様子が違い、自転車には銀色のカバーが掛けられてしまったようだ。

 それから数日後、検察時代の後輩K氏が父の自宅を訪ねて来ていたようだった。・・・K氏は、父とはゴルフ友達で、OBとなっても毎週のように一緒にゴルフを楽しんでいた仲間の一人だった。

 K氏が戻って直ぐに、父から筆者の携帯へ電話があった。「お前が書いたあの手紙を読んで、K氏は感激し、是非自分の息子に見せたいから、その手紙をくれと言って、持って帰って行ったぞ。・・・だから、自転車は乗らないと決めたので、安心して貰いたい。」と、人が変わったかのように、おとなしいトーンで語ってくれたのだった。

 それから1年5ヶ月後の今年3月6日に、父は虚血性心疾患で急死した。痛みも何もなく、息を引き取っていた。・・・たぶん、頑固な仙人は、その当時、自分が世を去るとは予期もしてなかったのだろうと推測するが、自分の両親が老齢になった時に、どう対処すべきかを日々考えさせられた、この2年間でもあった。

 他界するまで医者いらずだった事には感謝したいが、ただ一つだけ心残りは、親子間の胸襟を開いた対話は度々すべきだったと。・・・反省している筆者が居る。


【先見塾公式サイト】 http://www.senkenjyuku.com/Link


 

               

  • posted by Chikao Nishida at 2013/10/4 09:13 pm

1995年以来情報発信している老舗ポータルサイト「ロゼッタストーン」のブログをお楽しみ下さい。詳細はタイトルまたは、画像をクリックしてご覧ください。

behanceオブスクラ写真倶楽部ディー・アンド・エルリサーチ株式会社facebook-www.dandl.co.jp