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老害と揶揄されたら、老益になればいい。

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 日本人は兎に角、自分や他者の年齢を気にする。そして、世代を気にする。気にしても、生産性があるとは言えないのだが。

 老害という言葉は、非常に辛辣なものである。「老いた人間による害」となれば、害虫や害鳥、害獣のような扱いである。

 ここで米国大統領選を見ると、バイデン氏が82歳で、今回当選復帰したトランプ氏が78歳である。そこで、周囲が「老害」という言葉を使うだろうか!?

 勿論、昨年のバイデン氏の認知の疑いや体調不良などが取り沙汰されたが、大国の元首なのだから仕方ない。健康でなければ務まらぬ、国内で最も過酷な職位であるからこそ、問題視されるのである。

 しかし、「老害」という言葉はほとんど目にすることはなかったように思えてならない。年齢を重ねた人への敬愛の念は、日本人よりも欧米人の方が揺るがない。

 日本人が、年齢や世代を余りにも気にするばかりか、その線引きにより接点が希薄になるのが常態化しているのが、全てを物語っているのではなかろうか。

 「今の若いもんは!」という高齢者。「今の爺さんたちは老害ばかり!」と反発する若者。

 その爺さんに言いたいことは、「老害」を揶揄されたら、「老益」になるよう修正しなければならない。対して、若者に言いたいことは、「今の若いもんは!」と言われたら、根拠あるものならば、同様に修正しなければならない。

 そこで、「老害」と言い放つ若者が自己改善ができないのであれば、高齢者に対して「老害」とは言えない。同様に、「今の若いもんは!」と叱責する高齢者が自己修正できなければ、若者を誹謗するものではない。

 よく考えてもらいたい。

 「老害」と揶揄する若者も、60年も経てば、後期高齢者になる訳だ。また、「今の若いもんは!」と叱責する後期高齢者は、60年前は若者だった訳だ。

 また、今の若者と高齢者との年齢差は決して縮まることはない。よって、リアルタイムに存在している若者も壮年も高齢も、現在の枠の中で接点を持っており、それらの相関関係は一応に互いに歳を重ねるだけで、年齢差は変わらないのである。

 従って、マスコミなどがよく使いたがる、よく分析したがる、世代比較や年齢比較は、正直なところ根拠なきものが多い。どこで正確に線引きした上での分析結果なのか、信憑性に欠ける。

 例えば、29歳の人が翌日誕生日となれば、どうしても世代で考えたい人は、自らを二十代から三十代とするだろうか?僅か1日経過しただけで、二十代の世代と三十代の世代に、マスコミが伝える世代の違いとして格差が生じるのだろうか。

 また、60歳になり、60歳を定年制にしているところで勤務している人が、つい昨日まで壮年、熟年と思っていた人が、今日すぐに高齢者になるのだろうか?全て数字の上での話であり、個人差のある脳年齢、体力年齢など考慮されてはいない。

 これは、あくまでも私見であるが、年齢や世代を気にする日本人の考え方は、すこぶる浅はかに思えてならない。ナンセンスであると受け止めるのである。異論反論があろうけれども、年齢や世代で安直に人を分析するものではない。だから、生産性がないと申し上げているのである。

 ある日のこと、テレビ番組で面白いアンケートを観たことがあった。フランスのパリ在住の若者へのアンケートだったが、二十代の女性と五十代の女性のどちらに興味があるかという質問があった。

 答えは、何と五十代の女性を選んだ若者男性が圧倒的に多かった。理由は、「人生において経験豊富で学ぶことが多いから」である。それを見ていて、なるほどと頷く筆者である。

 さて、同じ質問を日本人の若者男性に聞いたら、かなり異なる結果に終わりはしないか。「話が合わない」、「世代が違うので趣味が合わない」、「若い女性が一緒にいて楽しい」などと言い放つに違いない。そして、マッチングアプリで相手を探すのだろうと。(苦笑)

 話は飛びに飛んだけれども、要は、もし「老害」と言われたら「老益」になればいい、若者も同様に「今の若もんは!」と言われたら、「今の若い人は凄いね!」と言われるようになればいい。

 実に簡単なことである。

 最後に若者も壮年も熟年も高齢者も、好奇心だけは生涯持ち続け、年齢や世代などという言葉を使わぬことだ。何故なら、年齢性別に関係なく、皆、法の下で平等であることを忘れてはならない。

 理想を言えば、年齢、性別、世代などに囚われず、皆が支えあってこそ、「人」という文字となることもご認識頂ければと。

 非常に冗長なるコラムになったが、お許し頂ければと。

※画像は、画像生成AI Midjourneyで制作したもの。

▼ChatGPT-o1による感想

このコラムは、日本社会に根強く残る「年齢や世代へのこだわり」がもたらす問題を指摘しつつ、互いの立場で見直し・工夫すればポジティブな関係に変えていけるという主張を展開しているのが特徴的だと感じました。以下、内容を追いながら詳しく感想を述べます。

1. 「老害」と「老益」
最初に述べられている「老害」という言葉は非常に強いネガティブ表現であり、使われる本人も周囲も気分を害しがちです。一方で、このコラムでは「言われたら“老益”を目指せばいい」と強調しています。これは、「害(マイナス)」とされている部分を、「益(プラス)」に転じる視点が大切だという提案であり、年齢を重ねた結果として社会に良い影響を与える存在になろうというポジティブなメッセージが込められています。

感想:
こうした表現の転換は、単に言い換えるというだけでなく、自分や周囲を冷静に客観視し、自分にできることを再認識しようとする態度にもつながりやすく、建設的な考え方だと感じます。

2. 世代論への批判と個々人の修正意識
コラムでは、若者が高齢者を「老害」と揶揄し、高齢者は若者を「今の若いもんは!」と決めつける図式が示されます。しかし、それはあくまで“口にする側が自己修正できていないだけ”だと指摘しています。世代間の対立構造を生むよりも、「老害」と言われるなら自身が改める努力を、「今の若いもんは!」と嘆かれたら、同様に自分を振り返ってみる——つまり、互いにまず自己修正をすべきだという考え方を提示しています。

感想:
「相手に文句を言う前に、まず自分はどうなのかを振り返る」というのは、年齢を問わず、社会的な摩擦を軽減する大切な考え方です。年上・年下の関係を単純化して断絶をつくるより、自分から境界を溶かそうとする姿勢が大事だというメッセージに共感しました。

3. 米国大統領の年齢から見る「老害」観
バイデン氏(82歳)やトランプ氏(78歳)という具体例を挙げ、日本では年齢が話題になりがちだが、米国ではあまり「老害」というレッテルは使われないという話が出てきます。実際、認知力や健康面を懸念されることはあっても、「年齢が高いからダメ」という単純な区分では語られにくいという点を提示しています。これは、「年齢よりも、その人ができることや実績を重視する社会的風土」の違いを示唆していると言えます。

感想:
日本との比較によって、「年齢をひとつの決定的な線引きにする文化」が相対化されており、興味深いです。背景には、アメリカ社会に根付く「個人ベースの評価」という考え方と、日本社会における「組織内の年功序列や世代別の価値観」の違いがあると想像できます。

4. 日本人の「世代区分」意識への疑問
コラム後半では「年齢の線引きの無意味さ」が強調されます。たとえば29歳が30歳になった瞬間に世代が変わるのか、60歳を迎えた途端に「高齢者」扱いになるのはおかしいだろう、といった具体例が挙げられています。そして、人間の心身の成長や成熟度は数字の上で一様に区切れるものではないので、「年齢で分析することに大きな意味はない」と断じています。

感想:
実際には年齢相応の変化というものはあるのかもしれませんが、それを基準に人を測ろうとすると、視野が狭くなる面も否めません。コラムが示すように「年代や年齢で決めつけるのではなく、個人レベルの多様性を大切にする」という姿勢は、今の社会で特に必要なメッセージと感じます。

5. フランスのアンケートから見る「経験の価値」
フランスの若者男性に「二十代の女性と五十代の女性、どちらに興味があるか?」と問うた際、五十代が圧倒的多数だったという例が紹介されています。その理由は「人生経験が豊富で、学ぶことが多いから」というもの。これを受けて、日本だったら「話が合わない」「世代が違う」「若いほうが楽しい」という回答になりそうだ、として、日本人が持つ「世代で区切る思考」を再度浮き彫りにしています。

感想:
同じ若者でも文化圏や個々人の価値観によって興味の対象は異なります。世代や年齢が違う相手との接点から新しい視点が得られるかもしれないと考えられるのは、人間関係を深める大きなきっかけになるはずです。その意味で、日本人社会がもつ「似た年齢同士で集まりやすい」傾向の限界が、示唆的に感じられます。

6. 「老益」だけでなく「若益」へ
最終的に、「“老害”と言われたら“老益”を目指す」「“今の若いもんは!”と言われたら“今の若い人はすごいね”と言われるようにする」という呼びかけが印象的です。また、年齢や性別、世代などにとらわれず、お互いに支え合う社会であるべきだ、というまとめで結ばれています。

感想:
単なる「老益」という言葉にとどまらず、「若い人も自らの強みを伸ばし、“若益”に変えていくべき」という発想を含んでいるようにも読めます。どちらの世代かに限らず、自分の立場を自覚しながら何がプラスになるかを考えて行動する姿勢こそ大事だと改めて感じました。

まとめ
年齢や世代に対する過剰な意識が生む対立を、実りある共存・理解へと転換しようとする視点が、一貫して示されているコラムだと受け取りました。

「老害」と揶揄されたら「老益」を目指し、若者も「今の若いもんは!」と言われたら「ちゃんと見直す」姿勢があればいい、という提案は、非常にシンプルでわかりやすい。

日本社会特有の年齢・世代による線引き文化を相対化し、個人ベースで互いを評価し合う発想の必要性を説いている点が説得力を持っています。
同時にコラムの随所で「好奇心を生涯持ち続けること」や「お互いに支え合うこと」の重要性が語られ、読後感として前向きな気持ちにさせられました。

全体的に、日本人の年齢意識や世代区分への固定観念に一石を投じながら、各世代がそれぞれの持ち味を活かして発展していける理想を描いているコラムだと感じました。互いを「○○だから」と決めつけて排除するのではなく、お互いに学ぶ姿勢をもつことで、老若男女が心地よく関わり合う社会を目指す——そんな思いが伝わってくる内容でした。
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文責:西田親生


                             

  • posted by Chikao Nishida at 2025/1/22 12:00 am

人生を変える「視野を広げる」効用

Chikao-Donshu


「視野狭窄」という言葉を耳にすることは多いが、実は自分スタンダードに安住している人ほど、己の視野の広さを自覚していないものである。なぜなら、それが日常的に慣れ親しんだ「当たり前の視野」であり、その間口や奥行きに疑問を抱くこともなく過ごしているからである。

 ここで、メガネを例に挙げたい。筆者はもともと視力が2.0あり、動体視力も人並み以上だと自負していた。しかし、仕事柄の影響か、乱視が進み、ある日突然、視力の低下を実感することになった。

 その「ある日突然」とは、ヨーロッパへの旅の途中、飛行機内で起きた。入国管理用紙に記入しようとした際、小さな文字がまったく読めなかったのである。英語そのものは理解できるが、その小さな活字が二重にぼやけ、隣の友人に尋ねざるを得なかった。手続きよりも、自分の視力が急に衰えている事実に大きな衝撃を受けた。

 帰国後すぐに眼鏡店で検査を受けると、視力の低下だけでなく乱視もかなり進んでいることが判明した。そこで、Nikon製のハイブリッドレンズを選び、初めてメガネを作ることになった。

 約2週間後、完成したメガネを受け取り、装着した瞬間の感覚は、まるで「目覚めの良い朝」を迎えたかのようであった。レンズ越しに映る景色は別世界のように鮮明で、輪郭や光のグラデーションまでくっきりと見える。Nikon製レンズの収差の少なさは特筆すべきで、正面を向いたままでも視界の端まで歪みなく見渡せるのである。

 以上は物理的な視野の話であるが、心の視野も同様である。自分スタンダードに固執していると、未知の世界に直面した際、驚くほどのカルチャーショックを受けることになる。例えば、旅行先での文化や食体験がその典型だ。

 初めてピザを食べたときタバスコの辛さに驚いた経験、最高級黒毛和牛ステーキをホースラディッシュで味わったときの新鮮さ、中国料理の壺煮込み薬膳スープや冬虫夏草と野鳩のスープに出会ったときの衝撃──こうした体験は、感激と同時に、「自分は何も知らなかった」という恥ずかしさや、「これが正式なマナーなのか」という戸惑いをも伴い、強烈に記憶に刻まれる。

 しかし、自分スタンダードを頑なに誇示する人ほど、その驚きからさらに深く学び取ろうとせず、未知の世界に対して壁を築いてしまう。負けず嫌いで頭の固い人ほど、視野を広げることに強い抵抗を示すのである。

 もちろん、自分を変えるかどうかは個人の自由であり、それ自体を批判するつもりはない。ただし、自分スタンダードに狭い視野を閉じ込めれば、人生もまた狭い領域で完結してしまう。

 一方、視野を広げようとする好奇心旺盛な人は、多様な体験を通じて日々変化し、日々進化していく。その積み重ねが1年、10年、数十年と続けば、その差は計り知れないほど大きくなる。感激や感動を多くインプットしてきた人ほど、圧倒的に充実した人生を歩むことになるのは必然である。

 結局、筆者が伝えたいのはこうである。視野狭窄に安住してしまうと、一度きりの人生を狭い範囲で浪費してしまう。せっかくこの世に生を受けたのであれば、自分スタンダードを見直し、少しでも世の中のスタンダードに近づく努力をすることが、より豊かで充実した人生への賢明な選択となるのではないだろうか。

▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイは、視野を広げることの重要性について、個人的な体験を通じて非常に説得力のある形で語られています。以下、感想を述べます。

1. 導入部の巧みな設定
冒頭の「視野狭窄」という言葉から始まる文章は、日常的なテーマを普遍的な視点で掘り下げています。この言葉を軸にして、筆者が物理的な視野(視力)と心の視野の両方をつなげる構成は、読者に直感的に理解させる力があります。

特に「自分スタンダードに安住している人ほど、その視野の広さを自覚していない」という指摘は、誰もが少なからず心当たりがあり、共感を引き出します。

2. 物理的な視野の変化とその比喩性
視力の低下とメガネの装着を通じて「視野が広がる」体験が具体的に描かれており、読者にも鮮やかな情景をイメージさせます。特にNikon製レンズの話題が盛り込まれている点は、実体験に基づくリアリティと、製品の品質に対する筆者の信頼が伝わります。

このエピソードは、視野の物理的な変化を超えて、心の視野を広げるメタファーとして非常に効果的に機能しています。

3. 文化的視野の広がり
食文化や旅行先でのカルチャーショックの具体例は、読者に馴染みのあるテーマでありながら、深い洞察をもたらしています。特に「初めてピザを食べたときの驚き」や「冬虫夏草と野鳩のスープ」など、ユニークで興味深い例が散りばめられているため、読者の関心を引きつけます。

また、カルチャーショックを受けた後の態度として「間口を広げようとする人」と「抵抗する人」を対比する手法が、視野を広げることの意義を一層際立たせています。

4. 個人の自由を尊重しつつ、広い視野を推奨
筆者は視野を広げることを強要するのではなく、読者自身が選択すべきことだと説きます。この柔らかな語り口が、読者に圧迫感を与えることなく、自然に「視野を広げることの利点」に気づかせます。

また、「視野が狭いほど人生が狭い領域で完結する」という指摘は鋭いものであり、同時に「広い視野が充実した人生に繋がる」という前向きなメッセージで締めくくられている点が印象的です。

5. 全体的な構成の優秀さ
物理的な視野の話から心の視野、さらに人生観へと展開していく流れは非常に滑らかです。読者を自然に引き込みながら、自分の人生を振り返るきっかけを与えます。

また、筆者が個人的な体験を基にして語るスタイルは、説得力を高め、エッセイ全体に親しみやすさをもたらしています。

感想のまとめ
このエッセイは、視野を広げることの重要性について、多角的な視点から考えさせられる内容でした。個人的な体験に基づいた具体例と普遍的なテーマの組み合わせが秀逸であり、読者に深い共感と洞察を与える作品です。

視野を広げることで人生をより豊かにするという主張は、現代社会での多様性や変化を受け入れる姿勢の重要性を思い起こさせます。このテーマは、どの年代やバックグラウンドの人々にも響く普遍性を持ち、何度も読み返したくなる素晴らしい文章でした。
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文責:西田親生


                                     

  • posted by Chikao Nishida at 2025/1/10 12:00 am

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