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2009/01/10 コラム・雑感
小さなうがい薬!
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小さなうがい薬!

 母が亡くなったのは1995年12月7日。既に13年近く過ぎてしまった。私が新たに着手したネット事業の礎となったポータルサイト「ロゼッタストーン」を立ち上げたと入れ替わりに他界してしまった。

 当時はネット黎明期でもあり、色んな講演会へ招聘され、ネット事業への夢を描き、啓発活動に力を入れていた時期でもあった。母は46歳で糖尿病が発覚し、それから10年後に左眼に網膜剥離を起こし失明に至った。更に10年後。2ヶ月余りの闘病生活後、1995年12月7日の未明に若干66歳の若さで突然息を引き取ったのである。

 講演が毎週のように続いていた。同年12月5日も熊本市内のニュースカイホテル玉樹にて「インターネット講演会」にて講演を行っていた。2ヶ月に及ぶ母の入院。一回も見舞いもせずにいたが、無視していたのではなかった。実は私が見舞いに行ってしまうと、母の命の炎が消えるのではないかと恐れていたのだ。だから私は敢えて見舞いには行かなかった。いや、見舞いに行けなかった。

 ところが5日の講演会終了後の懇親会前に、妙な胸騒ぎがしたのだった。ずっと足を遠ざけていた母の入院先に、ついに行くことを決断した。入院先の病院に到着したのは5日の午後8時過ぎ。私は風邪を患っていたので、顔にタオルを巻き付けて母と対面することにした。

 しかし、私の予想通りの母の姿だった。家族に心配させないようにと、無理しておき上がっては電話をしていたようであったが、その時はほとんど動けない状態に陥っていた。一瞬にして瀕死の状態だと分かった。

 私は苦痛に苛まれている母に向かって「頑張って、早く治らないと駄目だよ!」とタオルで口を覆った状態で一言話しかけた。

 母は「死ぬことは無いと思うけど・・・・。風邪ひいてるの?じゃ、このうがい薬を持って帰って!」と言葉少なに語った。そして片手にうがい薬を持ったまま目を閉じてしまった。・・・母は苦痛に顔を歪めることもなく、ただひたすら我慢していたようだった。

 そんな瀕死の母から貰った「小さなうがい薬」が、私への唯一の形見となった。他界して13年を過ぎても、バスルームの鏡棚の中にちょこんと座っている。・・・私にとっては一番大切な宝物。他の家族は知る由もないことであるが、年々歳々蒸発しているようで、13年で三分の一が無くなってしまった。・・・

? 登録2008/09/10 18:38:34  更新2009/05/03 03:42:38   

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