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Nikon党として最後まで続けるか、Leicaの世界に入るか!?

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 幼い頃は、父のカメラを眺めていて、触れたくても触れられない。モノクロフィルムを現像している部屋には入れてくれない。貸してくれるのは、ミノルタの小さなフィルムカメラだけだった。

 父は、Leica党であり、モノクローム大好きで、現像機まで買い込み、現像室まで作ってしまった。当時、部屋の中から薄暗いが赤い電球がチラチラ見えたことを思い出す。

 社会人となり、初めてフィルムカメラを購入しようと物色していたが、Leicaの値札を見て腰を抜かし、NikonとCanonを比べ、結局、Nikonのフィルムカメラを購入することにした。

 それから現在に至るまで、Nikon党として、ずっとNikonのカメラを取材のお伴としている。

 途中、何度か浮気をして、Canon E0S 5D Mark IIを1台、Leicaのコンパクトカメラを3台ほどゲットしたことがあった。結局、起業後はNikon F4に始まり、それからNikon D1、D800、D800E、Df、D600、D750、D500、D850、Z7と、日々の取材のお伴をしてくれた。

 レンズは、それぞれに癖もあり、Nikkor、Sigma、Tamron、そしてCarl Zeissなど20本ほど揃えていた。しかし、現在は壊れたり間引きしたりで、10本程度しか残っていない。

 カメラで一番のお気に入りは、Dfであった。残念ながら、その愛機も壊れてしまい、修理費を見積もってもらったところ、十九万円ほど掛かると言うので、修理を断念した。今や、Dfは中古市場で値段が上がり、すごいことになっている。勿体無いことをしたものだ。

 D800は結構使いこなしたカメラで、Dfの次に好きなカメラだったが、これもまたミラー部分など複雑に故障し、シャッターが下りなくなった。これもまたDfと同様に修理費が高いので、今では飾り物になっている。

 Nikonで撮影した写真で気に入っているのは、独特な緑色の美しさである。勿論、レンズの特性によって左右されるので、一概には言えないが、花々の描写は素晴らしいと、自分なりに感じている。

 「どんなカメラが欲しい?」と聞かれれば、諄いようだがNikon Dfであろうか。「どんなレンズが欲しい?」と聞かれれば、24mm-105mmのズームレンズと、俗称お姉ちゃんレンズの85mmレンズである。

※姉ちゃんレンズ=女性の人物像を撮影するのに、美人に撮れるレンズ。85mmは歪みが少なく、ある程度の離れた距離にて撮影するので、モデルとなる人物に圧が掛からず、自然な表情が撮影できるレンズ。

 撮影するのは大好きだが、撮影されるのは苦手である。最近、季節柄、素敵な被写体を見つけるのに苦労していたけれども、『お散歩カメラ』にて、遭遇の一瞬間を撮影するのは堪らない。

 ただ、シャッタ一つにしても、気が散って粗雑に扱うと、微妙にシャッターブレを起こし、折角の写真がダメダメになるので、最近、初心に戻り、しっかりとカメラやレンズを支え、一つ一つを丁寧に撮影するように心掛けている次第。

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写真・文責:西田親生

                               

  • posted by Chikao Nishida at 2022/10/6 12:00 am

起業し、『事業化』の成功事例を、こっそり教えます!!

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<起業して間もない頃>

 新聞社を経て、1990年10月1日に起業し、ディー・アンド・エルリサーチ社を創設。先日32期を終え、33期目に突入した。

 起業した時のテーマは、Apple社のMacintosh(現在のMac)を駆使した『インタラクティブ・マルチメディア』。しかし、その業務は熊本の地では全く理解されることもなく、仕事のオファーはなかった。結局は、グローバルな業務展開を考えていたので、無理もなかった。

 因みに、Macintosh関連はパソコンと周辺機器に800万円ほど掛かり、自腹現金で支払った。(とんでもない冒険が始まる!)

<本格的な3Dコンピュータグラフィックス(1991〜2005)>

 初めて事業化して成功したと言えるのは、『本格的な3Dコンピュータグラフィックス(アニメーション&シミュレーション)』の動画供給である。当時、1秒百万円と言われ、その制作には超高速ワークステーションが必要であった。

 因みに、『本格的な3Dコンピュータグラフィックス』の動画を制作するには、シリコングラフィックスの高価なマシン(2基で1億近い)を導入し、その他、SONYのプロ仕様βカムビデオデッキや、保存用のレーザーディスクなども次から次へ揃えて行った。

 NHK衛星放送様の仕事を引き受け、その後、関西テレビ様から依頼が殺到する。更に、フジ系のテレビ局合同番組や、九州朝日放送様などからも人気番組『ドゥオーモ』のタイトルCG制作の依頼があった。

 関西テレビ様に至っては、CGタイトルを使用した番組の内、六割ほどを当社(熊本市)が制作していたことになる。

 福岡県内や熊本県内からも、CGコマーシャル制作の依頼が殺到。福岡県内のコマーシャルで懐かしい作品には、パスタの『ピエトロ』、運送会社の『ランテック』などがある。

 しかし、余りにも高価なマシンであり、維持費もバカにならず、段々とCG製作費が安くなりつつあり、14年ほどで3D CGの歴史を閉じた。

<インターネット(1995〜2022)>

 その間、1994年秋に着手した『インターネット』。この事業化は最初は想定外に苦労した。上述の『インタラクティブ・マルチメディア』と同様に、熊本県内の当時の経営者には全く理解されなかったのである。理解というより、拒絶、誹謗中傷されたと言った方が正しい。

 されど、当時は、東京、大阪、福岡、熊本など各地で講演をしつつ、九州圏内を走り回り、『インターネット』について啓発活動を続けて行った。

 翌年、1996年の秋頃から、じわじわと熊本県内の旅館やホテル、卸業大手の企業8社が参加して頂くなど、『インターネット』は事業化としては県内初として成功し、長期間継続することになり、現在に至っている。

<SEO対策(2000〜2022)>

 『SEO対策』という名前を良く聞くようになった。しかし、Googleなどのアルゴリズムが公開されている訳でもなく、ネット業界では、殆どのIT企業は手探りの状態であったと推察するが、いい加減な『SEO対策』にて、法外な料金を搾取している悪質なプロバイダも出てきた。

 筆者は、当初から『SEO対策』は念頭にあり、クライアントへは『SEO対策』を無償で提供するように考え、今でも、その方針は変わっていない。それが奏功したのか、筆者が書き綴る記事の検索エンジンでの抽出が早く、ネット上での露出度アップに大変役立っているのは、有難いことである。

<Podcasts(2005〜2007)>

 2005年に事業化した『Podcasts』もネットに関わるものであり、熊本県内で協賛して頂く企業がある程度集まり、県内では数少ない成功事例ではないかと自負している。

<仮想現実世界 SecondLife(2007〜2022)>

 2007年に事業化に挑んだ『仮想現実世界 SecondLife』についても、協賛して頂く企業も多々あり、地元テレビ局も2局参入し、事業化としては成功と言える。これもまた、熊本県内では唯一の成功事例となった。

<YouTube(2007〜2022)>

 『YouTube』は、その黎明期から着手していたものの、これをメディア戦略として事業化するには時期尚早であった。よって、事業化の対象から外すことにした。

 もし、当時、現在のように『YouTuberの時代』であるのならば、事業化にゴーサインを出していたはずだが、やや、早過ぎた着手が裏目に出たような気がしてならない。

<SNS時代へ突入(2009〜2022)>

 話は前後するが、2009年頃に多種多様なる『SNS』がじわじわと台頭してきた為に、先ずは、どの『SNS』を選択するのが良いのか、情報発信の補完的役割を果たすかの検証を行った。

 当社クライアントに対しては、2010年1月から、『Facebook』と『Twitter』を『SNS戦略』として一斉スタートさせたことになる。しかし、『SNS』については事業化ではなく、あくまでもクライアントのサブツールとして活用して頂き、それをサポートする程度にしていた。

<Ustream(2010〜2012)>

 2010年から事業化した『Ustream』というライブ配信の番組も、理解ある協賛社のお陰で事業化が可能となり、これもまた、熊本県内唯一の成功事例として事業履歴の中でも光っている。

 しかしながら、『Ustream』の本体が途中で高額有料化し、更には『Ustreama Asia』が退散することになり、それに伴い、それまで『Ustream』側のサーバーに搭載していた動画データを全て『YouTube』へ移行し、『Ustream』の番組を終了させた。

 僅か2年の命ではあったが、事業化としては成功だと言える。

<マルチメディアからクロスメディアへ>

 起業から32年。とても長いようで短い時空を飛んできたように思えるが、上述の通り、時流に乗った事業化というものは、すこぶる華々しくもあり、逆に、大きなリスクや心労を伴うことがお分かり頂けたのではないか。

 畢竟、事業化とは何ぞや!?・・・『同じ業務内容で、長年ブレなく仕事ができる環境を創出すること』が、事業化の理想形ではないかと・・・。

<ローリスク&ローリターンで>

 筆者は、1984年に入手したApple社のMacintoshの思想に惚れてしまい、新聞社を早期退職し起業したけれども、今思い起こせば、山あり谷あり、紆余曲折の時代をフルスロットルで駆け抜けてきた。

 今後は、これまでの32年間の集大成として、新たなビジョン、新たなベクトルにて、意表を突くようなプロジェクトを立ち上げたい。勿論、以前のような『ハイリスク&ハイリターン』はとんでもないことであり、『ローリスク&ローリターン』で、世のため人のために役立てればと・・・。

<西田親生のICT教育>

 最後のご奉公は、『ICT教育』に心血を注ぎたい。勿論、それは『ICT 』のみならず、『人間学』も含めた、総合力を兼ね備えた『捌ける人間』を育てることへ、全力疾走したいと考えている次第。

 ご興味ある方で、『捌ける人間』、『次世代を牽引したい人間』になりたい方があれば、お気軽に声をお掛け頂ければと。

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写真・図・文責:西田親生

                 

  • posted by Chikao Nishida at 2022/10/5 12:11 am

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