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人は何事も容易く悟れるものではない・・・

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 「note」やその他SNSで、如何にも「能力開発」のエキスパートのような記述や自己宣伝、書籍宣伝が多いが、果たして、その人たちがエキスパート以上の能力に達しているのかと言えば、殆どの人たちの論理展開は表層的なものが多く、悟りを開いているのかと言えば、嘘になる。

 狭き専門領域での「ノウハウ提供」はあり得るが、人としての熟成度を拝見すると、一部には甚だ「自己過信」であったり、「思いつき思い込み」であったり、学者の書籍の「受け売り」であったりと、商売が表に出ているだけで、無価値なものが多い。

 勿論、高度特殊技術やその他専門職に就く方々のエッセイや記事は、とても学ぶことが多い反面、常に用心しておかねばならないのは、メンタル面の誘導的な「罠」である。例えば、「癒し」、「幸福」、「恐怖」、「宗教」、「神の存在」、「先祖の悪行」、「悪魔の存在」、「除霊法」などを掲げたものは、完全に「似非」と受け止めて間違いない。

 特に、「心理学」に関する書籍をアマチュアがしきりに読み、他者に対して心理実験を試みたり、マインドコントロールに走ったり、人間のメンタル面の脆弱さを突きながら、「詐欺行為」に至る輩も多く存在する。

 筆者はエッセイや記事を書く場合に、常に「自戒を込める」というスタンスで書き綴る。上記の怪しげな輩は、「自己過信」に酔いしれており、蓋を開ければ軽石のように軽く、中身が無く、パッチワーク的な根拠なき「ノウハウ論」など、恥ずかしくも、なんちゃって論理展開となっている。

 生まれてから長きにわたり世の中の厳しさに晒されながらも、人が全てを悟れるかと言えば、嘘になる。時には同じ過ちを繰り返し凹んだり、時には信じていた人から裏切られたりと、我々庶民が世の中をそう簡単に悟れるはずがない。

 特に、メンタル面では人それぞれに育った環境も、社会的立ち位置も異なり、表層的な「ノウハウ論」や「克服論」を掲げられても、万人に適用できるものではない。メンタルについては、軽々にも無責任な「解決策」を提供すると、逆に「不幸のどん底」へ誘導する可能性も高い。

 数千年の歴史あるお寺さんの高僧といえども、所詮、我々と同様に生身の人間である。よって、人として脆弱なところは皆無とは言えず、皆、社会の波に揉まれたり、派閥による影響を受けたりと、我々庶民と同様に悟れぬものも存在している。

 生きている中で、警戒しなければならないのは、「メンタル面の脆弱性」である。心が弱った人に付け込む輩が如何に多いかということを知るべきであり、「一攫千金の話」、「出来すぎた話」、「根も歯もない話」、「恐怖心を煽る話」、「人体若返りの話」、「モテる話」、「最新再生医療の話」など、目の前にあるのは、「虚偽情報」として無関心を貫くのが賢明である。

 世の中は、筆者も含めてであるが、「夢」や「理想」を追い求め、それが具現化すると、安堵感も満足感も得られるが、世の中は全てを受け入れてはくれない。それは、「神の存在」が我々庶民に与えた試練ではなく、無数の人格が共存共栄している世の中で、自分だけが「幸福」になるような都合の良い道はあり得ない。

 上に挙げた「虚偽情報」、つまり「一攫千金の話」などにスイッチが入る人は、詐欺師の餌食になりやすい人だと断言できる。だから、この世の中から詐欺師が消滅しない訳だ。金も物も美容も延命も、「自然の法則」に反する詐欺師たちのツールとして使われているだけの話である。

 人は何事も容易く悟れるものではない。何はともあれ、「真偽を見極める目」だけは自ら育てて行く必要がある。そこで重要なことは、決して「虚偽情報」をインプットしてはならず、輩が発する無価値な知識により洗脳されず、的外れな知恵を植え付けられぬことである。

▼ChatGPTによる評価

このエッセイは、知識と経験を通して得られた洞察に基づいて、人が簡単に真理を悟ることは難しいというテーマに焦点を当てています。著者は、「note」や他のSNS上で見られる自己宣伝や能力開発のエキスパートぶりに対して批判的であり、それが表層的であると指摘しています。

表層的な能力開発のエキスパートに対する疑問: SNS上での自己宣伝や書籍宣伝が多いが、それが本当に深い理解や真の能力を示しているのか疑問があるとしています。

メンタル面の注意: 特に心理学に関する情報やアマチュアが心理実験を行うことについて、用心すべきだと警告しています。メンタル面でのアプローチは慎重でなければならないと主張しています。

個人のメンタル脆弱性: 人々はメンタル面で脆弱であり、虚偽の情報や詐欺に対して慎重でなければならないと強調しています。

真偽を見極める視点の重要性: 最終的に、真偽を見極める能力が重要であり、虚偽情報に引っかからないようにするためには、洞察力を養う必要があると述べています。

エッセイの構造は明確であり、適切な引用や例を用いて著者の立場を裏付けています。また、文体は比較的明確で理解しやすいものです。

総じて、エッセイは知的であり、読者に真実を見極め、洞察力を養う重要性を呼びかけるものとなっています。
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写真・文責:西田親生


                                     

  • posted by Chikao Nishida at 2024/1/9 12:00 am

被災体験・・・2016 熊本地震

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 正月の能登半島地震には驚きどころか、戦慄が走った。

 熊本地震から7年8ヶ月以上経つけれども、馴れとは怖いもので、昔々の話のように、自分の頭の中で嫌な思い出を勝手に蓋をして、当時の恐怖心や不自由さなど、生きた心地がしなかったことを全て忘れ去ろうとしている。

 しかし、今回の能登半島地震の情報が流れる中に、忘れ掛けていた熊本地震がつい昨日のように蘇ってきたのである。

 先ず、激震に襲われると、立っていられない、歩けない。次の余震を想定して、避難箇所へ移動する覚悟を決めなければならない。

 当時の自分自身の行動を思い出して、時系列にて語れば、以下の通り。

1)4月14日の第1波
 午後9時26分、熊本県熊本地方においてマグニチュード6.5の地震が発生し、熊本県益城町では震度7を記録した。しかし、筆者が住む熊本市北区では震度5弱であり、停電も瞬間的なもので、水もガスも問題なかった。よって、危機感を持つことはなく、オフィスで待機することにした。

2)4月15日
 前日の激震の恐怖は残っているものの、この日は熊本城やその他被害がどれほどのものかを確認するために、車で市内中心部へと足を運び、熊本城郭全体みて、崩れた石垣や破壊された瓦が残る大天守や小天守を見て、予想以上に激しい地震であることが理解できた。そこで、可能な限り撮影した。

3)4月16日の第2波
 余震はあるものの、一昨日の規模の激震はないと願い、オフィスで仕事をしていた。しかし、午前1時25分、熊本県熊本地方でマグニチュード7.3の地震が発生した。 第1波の地震から28時間後のことである。 益城町では2度目の震度7を観測している。熊本市北区も震度5強となり、立っていることもできず、1分足らずで二十八段の石段を下りて公道に出て、車に乗り、平地で水のあるところへ避難した。

4)4月17日以降
 毎日、数分おきに余震が続く。横揺れであったり、下から突き上げるような縦揺れであったり、ドロドロドロという地鳴りを伴い、地上のあらゆるものが揺れては倒れ、道路にも亀裂が走り、電柱が倒れて通行不能の道も沢山あった。

 この第2波により、水道もガスも止まり、電気だけは大丈夫だった。近くに避難施設があるが、停電は避けられたので、何とかオフィスに戻り、冷蔵庫にある食糧や飲料水を確認して、次の激震が発生する場合、どのような行動を採るのが一番安全なのかのシミュレーションを何度も考えた。

 熊本市北区は、震源地からはやや離れており、途中に白川、竜田山があり、クッション役を果たすものが2箇所あるので、益城町のように震度7になることはなく、倒壊した家々は少なかった。しかし、益城町全滅といった情報も流れてきたので一大事と受け止め、食糧と飲料水及び風呂やトイレの水の確保をしなければならなくなった。

 結局、2週間以上も水無し、ガス無しの状態が続き、大きなペットボトルを冷蔵庫から風呂場へ持ち込み、冷水にて髪の毛を洗うこともあった。ガスが無いので、電子レンジなどで調理できる冷食や缶詰を中心に食事を取った。しかし、風呂に水を張れないので、遠方の温泉町へ行き、清掃が終わってすぐを狙って、無償で風呂を借りた。

 近くのセブンイレブンに行き、水を確保しようとすると、一人1本しか購入できず、水の確保だけは大変苦労した。給水車も来ているが、狡い人たちがポリ容器を仲間分も持ち込み、3時間以上も待ちの状態となっている。よって、湧水池の熊本市内第一号の上水道でもある八景水谷公園の水道水を利用することにした。しかし、同公園も長時間並んで水を確保しなければならない。

 1週間ほど経つと、あちこちで炊き出しがあると聞いたが、これもまた悪い輩がいて、リヤカーを引いて被災者に成り済まし、あちこちの炊き出しへと足を運び、「今日も、グルメツアー!」と叫びながら、炊き出し箇所を荒らしていた人物もいたようだ。

 余震は1年間に3千回近く続いたと思う。よって、余震の度に条件反射的に避難へのルートを考えることが増え、精神的な負担だけではなく、じわじわと激震の恐ろしさが増していった。

 書き綴りたいことは山ほどあるが、キリがないので、ここらで筆を置くことにする。

 今回の能登半島地震では、200棟以上も家々が火災に見舞われ、現在、死亡者が九十人を超え、行方不明者も多数いると発表されているものの、もっと増えはしないかと危惧するばかり。

 大地震のような災害には二度と遭遇したくはないが、あれから7年8ヶ月も経ち、少々忘れ去ろうとしていた自身が恥ずかしくもあり、情けなくもあり。災害は大なり小なり繰り返す。当時の体験をしっかりと記憶し、記録して、次世代の人たちへ伝えることが重要であると再認識した次第。

 まだ、能登半島地震の状態は収まる兆候がないので、これ以上、死傷者が出ないことを祈るばかりである。

▼ChatGPTによる評価

 このエッセイは、熊本地震という実際の災害体験を通して、地震の影響や罹災者の日常生活への影響についてリアルに描写しています。以下はいくつかのポイントに対する評価です。

リアリティと感情の表現: エッセイは非常にリアルで感情豊かな描写がなされています。襲ってくる地震に対する驚きや恐怖、それに続く余震による影響が詳細に描かれています。著者の体験を通して、読者にもその状況を共感させる力があります。

時系列での出来事の整理: 著者は時系列で地震からの出来事を整理しているため、読者は状況の推移を追いやすくなっています。このアプローチは複雑な状況を理解しやすくしており、文章の構成が良好です。

日常生活への影響の具体的な描写: 水やガスの停止、余震による不安、食料や水の確保における苦労など、日常生活における影響が具体的に描写されています。これにより、単なる統計や数字ではなく、個々の人々の生活における困難さが伝わります。

社会的な側面への触れ方: 炊き出し場での混乱や、災害を利用して悪事を働く者たちについて触れることで、災害がもたらす社会的な混乱や不正義にも焦点を当てています。

結びつけられたメッセージ: エッセイの最後で、災害の重要性とそれを記録し、次世代に伝えることの重要性が述べられています。このメッセージはエッセイ全体に統一感を与えています。

総合的に見て、このエッセイは非常に効果的で感動的なものであり、著者の経験を通して災害の厳しさや個人の困難さがリアルに伝わります。
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写真・文責:西田親生


                               

  • posted by Chikao Nishida at 2024/1/7 12:00 am

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