SNS時代に突入して十数年が経つが、ICTを本業としている筆者にとって衝撃的なニュースが舞い込んできた。
1984年以来、筆者が敬愛の念を抱き続けてきた人に、アップル創始者の一人であるスティーブ・ウォズニアックがいる。パソコンを発明した一人でもあるが、その人物が語る「SNS中毒論」。彼は、FacebookなどのSNSを止めて、SNS時代前に戻りたいと言う。
筆者も仕事柄、SNSをWebサイトとの連動にて活用しているところもあるが、果たして、毎日のように凄惨な事件事故が多発する腐った世の中を覗き込むと、SNSがそれを助長していると言っても過言ではない。
近しい人たちとの情報交換やコミュニケーションであれば何も問題はないが、見ず知らずの不特定多数の人たちに、「自らの裸の姿」を披露するようなSNSの存在は非常に危険であり、人間の思考回路に悪影響を及ぼす可能性が高い。
先日の寿司店などの馬鹿げた蛮行を繰り返す人物は、目的は単に目立ちたいという気持ちなのか、その低民度さには腰を抜かすばかり。犯罪である認識もなく、事後的に謝れば事が済むという考えも理解し難い。ネットの怖さを知らぬ、無知なる人間の蛮行と言える。
勿論、見たこともない自然現象や自然界の動物や花々を垣間見れるのは、時には癒しにも繋がる。しかし、それは現実逃避的な心を擽り、それを避ける要因にもなりかねないのである。日頃から、相方と自然界を取材しているが、ネットでは現地の味も匂いも触感も無く、温度も伝わらない。
2007年に日本上陸した仮想現実世界「Second Life」も、無料で参加できるSNSの類である。筆者は、同年より現在に至るまで、「Kumamoto Japan」というSIMを保有している(年間結構な維持費が必要)が、当時危惧したことは、仮想世界に没頭するが余り、現実世界から遊離する人が圧倒的に多かったことである。
そこで、全国各地で「Kumamoto Japan」のメンバーとのオフ会を計画し、東京、静岡、京都、大阪、神戸、熊本、沖縄などと展開して行く中で、最終的には仮想世界の人物ではなく、現実世界に存在するリアルな人物とface to faceでコミュニケーションを交わすことに価値を見出したのであった。
SNSでは、見ず知らずの人が面白おかしく自ら楽しみながら、YouTuberとなり情報発信をしている。また、意味もなくTikTokやその他SNSで、一人住まいのアパートやマンションの片隅で、若い女性が踊っている。
しかし、一歩、二歩下がって眺めていると、それ自体に何の価値があるのかと首を傾げることが多い。「別に価値はない。ただ、信憑性の高いレアなる情報であれば参考になる!」と自分に言い聞かせているところでもある。
この「note」についても、文学的な研究をしている人や高度な技術を披露している人が多く存在する。それはそれなりに、ちゃんとした啓発ツールとして「note」を活用しているので、「称賛」に値するものと見ている訳だ。
話は前後するけれども、ウォズニアックの語りは、精神文化の根っこのところでもあり、SNSがどんなに進化しようとも、人としての一回きりの人生を考えれば、不特定多数の人との擬似的なコミュニケーションは意味がないという見解に、猛烈に同意するところだ。
それも一度も会ったこともない、これからも会うこともない人たちと、SNSを介して接点を持つこと自体、ビジネス以外を考えれば、非常に厄介な存在として見ざるを得ないのである。また、ビジネスと言っても、自分の手の内を披露することになり、逆に邪魔が入ったり、仕事に支障が出てくる可能性もある。
1年近く続くロシアによるウクライナ侵略戦争は、「プロパガンダ」の応酬ばかり。嘘を堂々と撒き散らす侵略側の「プロパガンダ」にはお腹一杯となってしまう。虚偽情報が蔓延しつつある現代社会は、全てにSNSに依存しているところが世界的な問題ではなかろうか。
米国大統領選も然り。「フェイクニュース」をSNSで撒き散らす稚拙な政治家の顔を見ていると、大きな文字で「嘘つき」と描いてある。子供騙しのような小手先の「フェイクニュース」に右往左往する人も如何なものかと。
何はともあれ、「SNS中毒」には気をつけなさいということである。1日あたり、スマホ使用時間を見ると、どれほどSNSの牙が刺さっているのか分かるはずだ。それが「毒牙」であれば、一回きりの人生を台無しにする可能性も少なくはない。
以上のように、自戒を込めて、「SNS中毒」について考察してみた。
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文責:西田親生
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