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治水事業の神々

▼右から宇土櫓、大天守、小天守。
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 大いなる自然に逆らわず、自然を利用した「治水事業の神」と称されるのが、武田信玄(たけだしんげん/1521-1573/甲州)や加藤清正(かとうきよまさ/1561-1611/肥後)、成富兵庫茂安(なりとみひょうごしげやす/1560-1634/鍋島)の三武将たちである。

 以前、実戦型の要塞である熊本城を調べているうちに、ふと「治水事業」の文字に目が留まり、いつの間にか城の仕組みを調べるのを忘れ、治水事業の歴史に釘付けになったことがあった。

 特に、当時ハイカラな武将(胴着の下には幻の染辻が花を着用・・・現在であれば、アルマーニやヴェルサーチ)で知られた武田信玄の治水事業は、将棋頭、十六石、信玄堤などの巧妙な仕掛けにより、途方もない水の力に逆らわず、その力を無理なく抑える武田流の治水事業が目を見張るものがある。

 しかし、そのアイデアも歴史を紐解けば、二千数百年前の中国四川省成都盆地で治水事業を行った利冰とその息子利一郎の話を禅僧が直接信玄に伝えたことから発端している。

 更に、その治水事業の根幹を成すものが「孫子の兵法」ということに驚くばかり。彼らは決して自然に逆らわず、その自然の力を上手く利用して、当時としては大変困難であった治水事業を親子で成し遂げたことが素晴らしい。

 よって、時系列に古いものから並べてみると、利冰とその息子利一郎→禅僧→武田信玄→加藤清正→成富兵庫茂安ということになるが、特筆すべきは清正の偉業の数々である。例えば、肥後藩は石高54万石とされてい。

 ものの本によれば、武田信玄を手本にした加藤清正の治水事業の成果で、細川の手に移り90万石を軽く超えていたと記録されている。細川は他の大名から暴露されぬよう、当時の江戸にいる老中には虚偽の申告をしていたかもしれない。(袖の下の存在がちらほら)

 尚、清正は治水事業を行うにあたり、信玄の偉業を参考にしたが、独自のアイデアを盛り込み、高度かつ完成度の高い、意表を突くような治水事業を成し遂げた。また、その知恵は治水事業の範疇に留まらず、熊本城築城当時を紐解けば、あらゆるところに清正の天才的で憎たらしいほどの知恵の痕跡を見ることができる。

 茶臼山の自然の起伏をそのまま活かし、川の流れを直接外堀へ引き、万が一の籠城戦に備えて、城内には食用として銀杏を植樹し、各部屋の畳床には芋茎を編み込んでいる。これにより、戦いの最中であっても、食糧が不足した場合も、その芋茎をお湯で戻せば、即座に飢えを凌ぐことができるといった具合だ。

 清正は、「超人」としか言いようがない。今でも、熊本県内各地に清正が残した治水事業の跡が点在しており、現在でも役立っているのだから、驚きである。

※「知識と知恵」+「洞察力と判断力」+「行動力」

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画像生成AIプロンプト・文責:西田親生


                   

  • posted by Chikao Nishida at 2013/9/10 03:38 am

2020年東京オリンピック開催決定の知らせ

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 今朝午前5時20分に、2020年東京オリンピック開催が決定した。・・・頭の中は、シマルテーニョスリーに昭和39年(1964年)当時テレビで見た東京オリンピックの映像が溢れ出てきたのだった。

 先ず脳裏を過ぎった映像はマラソンの円谷幸吉選手。最後のトラックで抜かれてしまい銅メダルになったものの、凄く感動的なシーンだった。勿論、裸足のアベベ・ビキラ選手(エチオピア)が断トツの金だったが、私の記憶に間違いなければ・・・円谷選手は左右の足の長さが若干違い(原因は分からない)、長距離ランナーとしてはかなりの負担があったのではないか。しかし、4年後同選手が自殺したニュースが報じられた時、オリンピックという競技が、これほどまでにメンタルなところまで押し潰すのかと、子供ながらに随分凹んだのだった。

 次に印象深かったのは、女子バレーボール・・・日紡貝塚の東洋の魔女たちである。今、当時の写真を見れば、提灯ブルマでヘアスタイルが何とも言えず、スポーティーではないが、秘策の回転レシーブには度肝を抜かされた。決勝戦は、当時のソ連との攻防戦でハラハラドキドキの3セット目・・・願い通りに金メダルを奪取してくれた。それから国内ではバレーボールブームで、近場の体育館を借りてバレーボールを始めた割烹着を着たママさんたちが急増したらしい。当時は太平洋戦争終結から苦難の戦後復興を経ての、19年目。まだまだ国民が趣味のバレーボールで、ユニフォームなどを揃える余裕などない貧しい国であった訳だ。

 話は前後するが、国内の家庭に白黒テレビが浸透して行ったのが、現在の天皇陛下と皇后陛下のご成婚の年・・・昭和34年頃だったと記憶している。それまで、電波媒体ではラジオ、紙媒体では新聞や雑誌に頼っていた国民が、リアルタイムに動画を見れるテレビに釘付けとなって行った。・・・更に、昭和39年の東京オリンピックで国内初のカラー放送となり、当時、故郷の某電器店に設置されていたカラーテレビで、チェコスロバキアの美人女子体操選手、噂のチャフラフスカの平均台を見ることができたのだった。蛇足だが、思い起こせば・・・赤のレオタードがテレビ画面上でかなり滲んでいたのは、8歳の筆者でも気付いていた。

 男子体操も当時は凄かった。遠藤幸雄選手が主将だったと記憶するが、他の日本人選手が肩を痛めながらも、痛み止め注射を打ちながら、気力だけで、それも死に物狂いでメダル奪取の為に闘っていた。・・・現在も筆者の頭の中には、遠藤幸雄選手の吊り輪の十字懸垂の美しく静止した映像が焼き付いている。その他、100メートル短距離走のボブ・ヘイズ(米国)もしっかりと覚えている。

 気付けば、昭和39年は今から49年前の話。・・・ほぼ半世紀経っている事が信じられぬほど、気が遠くなるような記憶だろうけれども、いやはや、当時焼き付いた歓喜溢れる衝撃的な映像は、今も尚、筆者の脳裏にしっかりと刻まれているのである。

 政治も宗教にも影響を及ぼすことができぬスポーツの世界。・・・現在、柔道界などドロドロと膿が出ているのが現状だが、これからは、旧態依然とした団体や絡みに絡んだ人脈を通しての既得権益者などを全てリセット解体し、2020年東京オリンピックには、日本の武士道、日本のスポーツ精神、日本古来からの礼節などが、地球上のグローバルスタンダードになるよう、早期に大改革をすべきではないかと!!

 何はともあれ、今回のオリンピック開催決定の知らせは、すこぶる喜ばしい事である。・・・よって、2020年に向けて、我々国民には大きな目標ができた訳で、リーマンショック後のへたれた国の再興に向けて、国民が一丸となって、一人一人がそれを強く意識して突き進む時が来たのではないかと考える次第。・・・タイミング的には小説のような流れでもあるが。


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  • posted by Chikao Nishida at 2013/9/8 08:02 pm

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