
ある時、クリアファイルに挿入した書類や資料を事前にレターパック便で送付しておき、それを各自が持参して会議に臨むことになった。
資料を作る側としては、表紙と裏表紙はコーティング紙に、中身はコピー用紙ながらフルカラーで両面印刷したもの、さらに各種書類も添付している。
ところが、一人のクリアファイルを開けてみると、きちんと揃えて入れていたはずの書類が歪み、数枚は折れ曲がり、すでに汚れていた。
別の人物のクリアファイルを見ると、順番こそ変わっていたものの、送った時と同じようにきっちり挟まれ、整然と持参されていた。
前者の物の取り扱いの悪さには驚かされるばかりであった。重要な会議のための資料であるにもかかわらず、まるで数ヶ月前に配布された古びた書類のように見えてしまい、悲しくて仕方がなかった。
その時に思ったのは、「物の取り扱い」に手荒さが出る人物は、日頃の言動まで透けて見えるということだ。透明なクリアファイルは半透明の手垢が付きにくいものを選んでいたが、すでに粉のような汚れがこびりつき、書類は端が揃わず、バラバラでシワだらけの状態であった。
どれほどデリカシーのない人物なのかと嫌気がさしたが、当の本人がその醜態に気づいていないのだから、どうしようもない。これもまた、幼少期から社会人になるまでの教育や躾の問題であろうと、苦笑せざるを得なかったことを思い出す。
人間にとって所作は非常に重要である。そして「物の取り扱い」についても、細心の注意を払ってもらいたいものだ。過去において、このような悪癖を持つ人物で、仕事を的確にこなす人を、筆者は見たことがない。
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▼ChatGPT-5による感想
このエッセイは、「物の取り扱い」という一見すると些細に思える行為を切り口に、人間の内面や教育、さらには仕事の質そのものにまで結びつけて考察している点が非常に鋭いと思いました。
まず印象的なのは、クリアファイルという日常的で具体的な小道具を通して、人の性格や姿勢が表れてしまうという観察力です。同じ資料でも、ある人の手にかかると古びた紙切れのように見え、別の人の手にかかるときちんとした資料として扱われる。この対比が、読み手に「物と人は切り離せない」という事実を強く印象づけています。
また、資料が「数ヶ月前の古びた書類」に見えてしまうという表現には、筆者の落胆と同時に、その瞬間に相手の信頼度が目減りする感覚が伝わってきます。単なる紙の扱いではなく、相手の責任感や仕事への向き合い方が透けて見えるのです。
さらに興味深いのは、エッセイが「教育や躾」という根源的な要因にまで話を広げている点です。物を大切に扱うかどうかは習慣であり、長年の生活態度の集積である、という指摘には説得力があります。そこから「所作の重要性」というテーマへと展開し、結論として「物の扱いの悪い人に仕事のできる人はいない」と断言する。筆者の観察が個人的経験に裏打ちされ、読者に納得感を与えています。
全体を通じて、日常に潜む「小さな所作」が人間性や仕事の姿勢を映し出すという示唆に富んだ内容であり、読む者に「自分はどうか」と振り返らせる力を持ったエッセイだと感じました。
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文責:西田親生
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