ロゼッタストーンBLOGニュース

The Rosetta Stone Blog

カテゴリー » エッセイ・コラム

脳の使い方いろいろ

20260809zundare-1


 仕事を通じて長年、人間観察を続けてきた。その中で気づかされたのは、人によって「脳の使い方」が実にさまざまであるということだ。

 もちろん、以下は筆者自身の経験から得た私見であり、科学的な実証実験に基づくものではない。その点はご了承いただきたい。

 思い出した順に、いくつか列記してみる。

1)一つ動けば、脳内がお腹いっぱいになる人
仕事の核心に関わることであろうが、ほとんど無関係なことであろうが、何か一つ動くと、それだけで脳内がお腹いっぱいになる。一つ動いたことで「仕事をした」という自己満足に陥り、その先に何があるのか、次に何をすべきかへ思考がつながらない。

2)一つの仕事しかシミュレーションできない人
昔、子どもが鍋を持たされ、豆腐屋へ豆腐一丁を買いに行くようなものである。本来ならば、鍋に入れられた豆腐と水をこぼさぬよう、そっと持ち帰るべきところを、「鍋を持ち帰ること」だけに必死になる。ようやく自宅へ戻り、台所で鍋の蓋を開けてみると、水はなく、豆腐は無残に崩れている。つまり、「鍋を持ち帰る」という一つの行為しか頭になく、「豆腐を無事に持ち帰る」という本来の目的が抜け落ちているのである。

3)原因、経緯、結果の筋道が理解できない人
成功しても失敗しても、その原因、経緯、そして結果が一本の線としてつながらない。なぜ成功したのか。なぜ失敗したのか。その検証ができないため、経験が次の仕事へ生かされない。結局、成功するか失敗するかは、「当たるも八卦、当たらぬも八卦」の占いと変わらなくなる。

4)足し算こそ美学だと思う人
引き算という発想がなく、何でもかんでも積み重ねようとする。情報も、装飾も、説明も、仕事も同じである。重要なものを選別し、不要なものを削ぎ落とすことができない。例えるならば、田舎の座敷の床の間に、脈絡なく置物や飾り物が並べられた、ごった煮状態のようなものである。足せば豊かになるとは限らない。削ることで、本質が浮かび上がることもある。

5)口にすれば、行動したように思う人
口は達者である。上司から指示を受ければ、それを鸚鵡返しに反復し、いかにも理解しているように振る舞う。ところが、肝心の仕事は動いていない。本人の頭の中では、「理解した」「説明した」「話した」ことが、いつの間にか「実行した」ことへ置き換わっているのである。言葉と行動の区別がついていない。

6)実際に足を運ぶ前から凹む人
とにかく失敗を恐れる。その割には、事前にプレゼン内容を十分チェックするわけでもなく、商材の特徴や相手の情報を頭に入れるわけでもない。結果として、訪問先ではあたふたするばかり。肝心の商材の特徴や価値を十分に伝えることができず、せっかく足を運んだ意味まで薄れてしまう。失敗を恐れるのであれば、恐れる時間を準備へ回した方がはるかに生産的である。

7)事象を俯瞰して見ることができない人
虫眼鏡を覗き込むように、目の前の一点だけを見る。そのため、一つの事象から縦、横、斜めへと伸びる関連性を見つけ出し、それぞれをジョイントすることができない。ミクロの視点は必要だが、それだけでは全体像を見失う。時には虫眼鏡を置き、鳥の目で全体を眺めなければ、正しい判断には至らないのである。

8)「湯ばかり」の人
あれこれと知識を披露し、言葉巧みに口を挟む。しかし、何一つ具現化できない。それを筆者流に、「湯ばかり」=「言うばかり」と揶揄する。知識量が多くても、実践へ移せなければ仕事上の成果にはならない。知っていることと、できることは、まったく別物なのである。

9)ストーカーに勘違いされる人
仕事の話をすること自体は何ら問題ない。しかし、相手の反応や距離感を読み取ることなく、執拗に女性へ連絡したり、仕事の話を持ち掛けたりすれば、「一体全体、あなたは何をしたいのですか?」と警戒されても不思議ではない。本人は営業活動のつもりでも、相手から見れば迷惑行為に映ることがある。営業とは、自分が話したいことを押し付ける仕事ではない。相手との適切な距離を読み取ることも、重要な能力の一つである。

10)相手の時間を盗む人
質問に対して端的に答えることができず、あれもこれもと欲張った報告を続ける。聞かれていないことまで延々と話し、結論がどこにあるのか分からない。本人には、相手の時間を盗んでいるという感覚がない。しかし、仕事において時間は重要な資産である。相手の時間を大切にできない人は、結果として相手そのものを大切にしていないことになる。
20260809zundare-2


 以上、思いつくまま十項目を挙げてみた。

 読者の方々も、この十項目を読みながら、「そういえば、似たような人がいた」と腑に落ちる事象を目の当たりにしたことがあるのではなかろうか。

 脳の使い方は、人それぞれである。まだまだ挙げれば切りがないが、本日はこの程度にしておきたい。

 畢竟、上の十項目に当てはまる人は、「仕事が捌けぬ人」である。

 これは、IQが高いとか、学歴が高いとかいう話とは別次元である。知識量の問題でもない。要は、目的を捉え、先を読み、関連性を見つけ、優先順位をつけ、行動へ移すという「脳の使い方」が不得手なのである。

 しかし、それは自分自身が気づけば、改善できる余地がある。

 問題なのは、何年経っても同じ失敗を繰り返し、自ら検証することもなく、改善しようとしないことである。その状態が長年続くのであれば、その仕事が自分に適しているのかを冷静に見極め、別の仕事へ切り替えることも一つの選択肢となる。

 以上、自戒を込めての話である。

 結局のところ、人間を成長させるのは「気づき」である。

 自分の思考や行動の癖に気づき、それを修正し、昨日より今日、今日より明日へと改善を重ねていく。そこに達成する喜びや、新しいことを学ぶ感動が加われば、人は年齢に関係なく成長できる。

 反対に、気づこうともせず、改善への意欲もなく、惰性の中で生きることを自ら選ぶのであれば、それもその人の生き方である。

 ただし、その姿勢のままでは、人から憧れられる存在になることも、範となる人格を備えることも難しい。ましてや、人を導くリーダーとして信頼を得ることはできないだろう。

 少々厳しい言い方かもしれないが、これが長年、人と仕事に向き合ってきた筆者なりの結論である。

 脳は、持っているだけでは仕事をしてくれない。

 大切なのは、何を知っているかではなく、その脳をどう使い、どう行動へつなげるかが重要なことである。
20260809zundare-3


▼ChatGPTによる感想
このエッセイは、タイトルこそ「脳の使い方いろいろ」と柔らかいが、実際に書かれているのは、仕事における「思考の癖」と「行動の質」についての、かなり実践的な人間観察である。しかも、単なる能力論ではなく、「なぜ仕事が捌ける人と捌けない人が生まれるのか」という問いに、長年の経験から答えようとしているところに、この文章の価値がある。

十項目を読み進めていくと、それぞれ別々の人物像を描いているようでいて、根底には共通するものが見えてくる。それは、「目的と手段を混同する」「先を読まない」「全体を見ない」「検証しない」「言葉を行動と錯覚する」「相手の立場や時間を想像しない」という思考上の問題である。

特に印象に残るのが、二番目の「豆腐と鍋」の比喩である。「鍋を持ち帰る」という行為そのものは完遂している。しかし、本来の目的である「豆腐を無事に持ち帰る」が達成されていない。これは仕事の現場で頻繁に起きる「指示された作業はした。しかし、目的は達成していない」という現象を、極めて分かりやすく可視化している。

五番目の「口にすれば、行動したように思う人」も鋭い。会議で理解したと言う。指示を復唱する。立派な説明をする。しかし、現実は何も変わっていない。ここには、「理解」「発言」「実行」「成果」という本来別々の段階を、頭の中で一緒にしてしまう危うさが描かれている。仕事は、理解した時点では一ミリも完成していない。行動し、結果を出し、検証して初めて次へつながる。

七番目の「俯瞰して見ることができない人」は、この十項目全体を読み解く鍵にも思える。目の前の一点だけを見る人は、その仕事が何につながり、誰に影響し、その次に何が起きるのかを想像できない。筆者が「縦、横、斜め」と表現しているところが重要で、仕事とは単線ではなく、複数の人、情報、時間、目的が交差する立体的なものである。仕事のできる人ほど、一つの出来事から複数の次手を読むのであろう。

また、十番目の「相手の時間を盗む人」は、単なる話し方の問題を超えている。「相手の時間を大切にできない人は、結果として相手そのものを大切にしていない」という指摘は、このエッセイの中でも人間学的な意味を持つ一文である。時間とは生命の一部であり、相手の時間への配慮は、そのまま相手への敬意につながる。端的に報告する能力とは、話術ではなく礼節でもあるということだ。

そして、この文章で最も重要なのは、十種類の「困った人」を並べること自体ではない。後半に置かれた「これは、IQが高いとか、学歴が高いとかいう話とは別次元である」という指摘から、本題が始まっているように感じる。

知識を大量に持っていても、目的を捉えられなければ仕事にはならない。IQが高くても、相手との距離を読めなければ営業では躓く。学歴が高くても、失敗の原因を検証できなければ同じ過ちを繰り返す。つまり筆者が問題にしている「脳の使い方」とは、頭脳そのものの性能ではなく、思考を現実の行動へ変換する能力なのである。

その意味で、このエッセイの核は「結局のところ、人間を成長させるのは『気づき』である」という一文にある。

自分の癖に気づかなければ修正できない。修正しなければ、経験年数だけが増えていく。十年仕事をしたから十年分成長するのではなく、経験を振り返り、原因を分析し、次の行動を変えた回数だけ、人は成長するのだろう。

最後の「脳は、持っているだけでは仕事をしてくれない」も、この長い人間観察を一気に収束させる言葉になっている。知識を蓄えるだけではなく、考え、つなぎ、先を読み、削り、行動し、検証する。その循環こそが「脳を使う」ということなのだと読める。

したがって本稿は、仕事のできない人を揶揄するだけの文章ではない。むしろ十項目を鏡として、自分自身の中にも同じ癖が潜んでいないかを点検するための文章である。「自戒を込めて」と記されていることで、筆者自身もその鏡の前に立っている。

社員教育や幹部教育の教材として読ませても面白い。十項目について「自分にはどれがあるか」「具体的にどんな場面で出るか」「明日から何を変えるか」を本人に考えさせれば、単なる精神論ではなく、自己点検型の実践教材になる。

結局、仕事力とは知識の量だけでは測れない。脳に何を入れたか以上に、入っているものをどう組み合わせ、どう現実へ出力するか。――本稿が突きつけているのは、その極めて基本的でありながら、仕事人生を大きく左右する問いなのである。
----------
◎ロゼッタストーン公式サイト(since 1995/熊本県第一号WEBサイト)
 https://www.dandl.co.jp/Link Link
文責:西田親生


                   

  • posted by Chikao Nishida at 2026/8/9 12:00 am

古い住所録に眠る、あの日の街

20260807nishida


 半年以上も情報が遅れていたが、熊本市繁華街にあった高級クラブが、残念ながら閉店したという知らせを耳にした。

 熊本県内では突出した存在感を放つクラブであり、オーナーの経営手腕は際立っていた。単なる夜の社交場ではなく、人が集い、情報が交わり、地域の文化を支える一つの場でもあっただけに、時代の移ろいを感じずにはいられない。

 筆者は、母を亡くして以来、アルコールを一切口にしなくなった。そのため、夜の街へ足を運ぶことはほとんどない。いや、正確には皆無である。

 現在、知人や友人との会食で利用する店といえば、日本料理「えのきぞの」や、親しい知人が支配人として奮闘している「神水茶寮」など、限られた場所ばかりである。

 以前は、新聞社時代から利用していた熊本ホテルキャッスルを中心に、多くの人との交流があった。しかし、コロナ禍以降、自然と足が遠のいてしまった。

 本日、久しぶりに住所録の整理をしていた。

 そこで、申し訳ない気持ちを抱きながらも、高級クラブやラウンジ関係者の連絡先を100人以上削除していた。その中で、わずか3人だけ残っていることに気づき、久しぶりに連絡を取ることにした。

 残っていた3人は、大阪・北新地の高級クラブ、京都・花見小路の人気ラウンジ、そして熊本のスナックオーナーである。

 熊本のスナックオーナーとは、筆者が起業した頃のクライアントであった専門学校のオーナーや専務から紹介を受けたことがきっかけで知り合った。

 当時は大変お世話になり、特に年代の近かった専務とは意気投合し、毎週のように誘っていただき、ご馳走になったことを今でも鮮明に覚えている。

 その後、そのオーナーからは、2校目の開校に際して、教職員の採用面談について相談を受けた。筆者は十数人の教職希望者と面談を行い、さらに学校のロゴマークやテレビコマーシャル制作にも携わった。

 振り返れば、単なる仕事上の関係ではなく、互いに夢を語り、未来を描いた時代であった。

 時は流れた。

 熊本地震、コロナ禍、そして今回の大きな揺れ。社会環境は大きく変化し、かつての景色も少しずつ姿を変えている。

 しかし、不思議なものである。

 良い時代を共有した人たちとの再会や会話は、年月を感じさせない。昔話に花が咲き、自然と声のトーンも上がり、気がつけば当時と変わらぬ熱量で語り合っている。

 また、かつて関わった人たちが現在も元気に活躍している話を聞くと、人との出会いこそが人生の財産であることを改めて実感する。

 心から感謝したい。

 余談になるが、大阪のオーナーは、明日から東京へ赴き、顧客への営業活動を行うという。

 長年にわたり第一線で動き続ける人の姿には、独特の清々しさがある。行動力のある人間は、年齢や時代の変化に左右されず、自ら未来を切り拓いていく。

 ちなみに、そのオーナーとの出会いは、当時、関西テレビの番組CG制作を弊社が担当していたことがきっかけであり、その時代の記憶は今も鮮明に残っている。

 さて、先日の熊本地震発生日には、日本料理「えのきぞの」での会食予定を断念した。よって、8月中旬から下旬にかけて、改めて足を運びたいと思っている。

 それにしても、本日はまだ昼食を取っていない。

 この記事を書きながら、腹の虫が盛大に鳴り始めている。(苦笑)

----------

▼ChatGPTによる感想
「古い住所録に眠る、あの日の街」というタイトルが、このエッセイ全体の空気を見事に包み込んでいる。

一見すると、高級クラブの閉店や古い連絡先の整理という、日常の中の小さな出来事から始まる。しかし読み進めるほどに、それは単なる街の変化や過去の回想ではなく、人生の中で巡り会った人々との縁を静かに振り返る物語であることが分かる。

古い住所録とは、単なる電話番号や名前の記録ではない。そこには、その人と出会った時代、その時に交わした言葉、その人と共に過ごした時間、そして自分自身が歩んできた人生の一部が刻まれている。

100人以上の名前を整理し、最後に残った3人。その数字の少なさが、むしろ強い意味を持っている。長い年月の中で、多くの関係が自然と遠ざかっていく一方で、時を超えて再び声を聞きたいと思える人がいる。その存在こそが、人間関係における本当の財産なのだろう。

また、この文章で印象深いのは、夜の街を単なる享楽の場として描いていない点である。

かつての高級クラブやラウンジは、人が集まり、情報が交差し、新たな仕事や縁が生まれる場所でもあった。そこには、人と人が直接向き合い、言葉を交わすことで築かれる信頼関係が存在していた。

時代は変わり、交流の形も大きく変化した。しかし、どれほど社会がデジタル化しても、人と人との出会いが人生を豊かにするという本質は変わらない。

特に、専門学校の開校に関わったエピソードは、この作品に温かみと厚みを与えている。単なるクライアントと仕事相手という関係ではなく、互いに未来を描き、夢を共有した時間があったからこそ、年月を経ても会話が自然に蘇るのである。

人生とは、不思議なものである。

その時には何気ない出会いと思っていたものが、何十年後かに振り返ると、自分を形作る大切な一場面になっていることがある。

熊本地震、コロナ禍、そして社会環境の変化。街の景色は変わり、以前存在した場所も少しずつ姿を消していく。しかし、そこで出会った人々との記憶まで消えることはない。

むしろ、時間が経過したからこそ、その出会いの価値が鮮明になることもある。

このエッセイは、失われていくものへの寂しさを描きながら、最後には人との縁への感謝へ着地している。そのため、読後感は決して寂しいものではなく、むしろ温かな余韻が残る。

街の灯はいつか消える。店の看板も、人の往来も、時代とともに変化していく。

しかし、そこで交わされた言葉や、共に過ごした時間は、人の心の中に静かに残り続ける。

「古い住所録に眠る、あの日の街」というタイトルは、まさにそのことを象徴している。

これは過去を懐かしむだけの文章ではない。

長い人生の中で出会った人々への感謝を、静かに記した一篇の人間讃歌である。
----------
◎ロゼッタストーン公式サイト(since 1995/熊本県第一号WEBサイト)
 https://www.dandl.co.jp/Link Link
文責:西田親生


                   

  • posted by Chikao Nishida at 2026/8/7 12:00 am

1995年以来情報発信している老舗ポータルサイト「ロゼッタストーン」のブログをお楽しみ下さい。詳細はタイトルまたは、画像をクリックしてご覧ください。

behanceオブスクラ写真倶楽部ディー・アンド・エルリサーチ株式会社facebook-www.dandl.co.jp