ロゼッタストーンBLOGニュース

The Rosetta Stone Blog

カテゴリー » コラム・エッセイ

会話の醍醐味とは!?・・・

josui-3


 会話とは頗る面白いもので、その人の性格なりが一挙に吹き出してくる。「聞き上手は話上手」がベストではあるが、なかなか上手い具合に話せない。一所懸命語っていると、目の前の人たちが一歩、二歩遠ざかって行く。自分で普通と思っているが、周囲はそう見ていないようだ。

 筆者は会話にのめり込むと、自分の口と顎の動きよりも、話したい事が頭に充満して、逆に滑舌が悪くなることもある。そこまで急ぐ必要はないけれども、短時間に、如何に心を伝えるかに集中するが故に、時折、そうなってしまう。

 話し相手のリアクションを見ると、「えーえー、はい。はい。」と肯定的に受け答えをしてくれる人との会話は、途切れる事なく、スムーズに進む。しかし、「いやいや!」、「いえいえ!」と否定的な言葉が飛び込んでくると、話が断続的になってしまう。

 これも、人の性格として面白いもので、「えーえー、はい。はい。」は心地良いけれども、スパイスが足りないカレーのようだ。逆に、「いやいや!」、「いえいえ!」で頭から否定的に受け止められると、会話が窮屈で、ボキッと折れてしまう。

 ベストなのは、「えーえ、いやいや、えーえー、いえいえ。」と、自分の気持ちをちゃんと言葉に乗せて交わす会話の方が、甘辛スパイシーで面白い。また、敢えて相手の出鼻を挫く企みにて、「えー↑↑↑???」と疑いの眼差しで茶化してみても面白い。

 会話の醍醐味は、抑揚にある。LINEやMessenger、Twitterの文字だけの偏平な乾いた文字交換よりも、生きているという実感が湧いてくる。文字だけでは、思いの外、誤解が生じることがある。そんなつもりでは無かったのにと、落ち込んでしまうのだ。(絵文字でカバー♪)

 Facebookやその他SNSでは、リアルタイムに知人友人がオンラインしているのが分かり、大変便利なようだが、何だか周囲から監視されているように感じてしまうこともある。ただ、仕事で活用するには、最高のコミュニケーションツールであるに違いない。

 どちらかと言えば、筆者は語り下手だと思う。友人たちは滑舌が良く、良く喋ると言ってくれるが、実はお喋りは得意ではない。キザな事を言えば、日本語よりも英語の方が全く訛りがなくて、思ったように言葉がスムーズに出てくる。(日本語の訛りが酷すぎるという事)

 もっと若い時期に、多国語を沢山学んでいたら良かったと、最近思うことが多い。Google translatorで翻訳しても構わないが、肉声にて、多国語を語り、リアルタイムに他国の人たちとの会話ができれば、どれほど楽しいか!?帰国子女が羨ましい限りである。

 これは自己反省であるが、パソコンのキーボードを叩きまくり文章にするのは、大の得意であることは間違いない。しかし、その得意とする高速活字発生機に頼ってしまう自分自身を背中から見ていると、近頃、心が鉛のように重く、闇の世界に佇む自分がいる。

 特に、訳の分からぬ「理不尽」な書簡などが届くと、猛烈に10本指が動き出し、自己防衛のために、書簡を瞬時に作ってしまう。そして、気晴らしのために、自分が書き綴った日本語をGoogle translatorで英語に翻訳させて、翻訳の精度を確認しては笑っている。

 少々、会話の話から遠ざかってしまったが、face to faceでの会話が、コミュニケーションツールとしては最高だろうと。確かに、記憶を刻み、記録を残す文字はとても重要なツールだが、バランスよく、会話と文字との連動を図り、笑いの絶えない人生を送ることが一番。

 「ルール厳守の人」、「民度高き人」、「裏切らぬ人」、「研究熱心な人」、「心優しい人」たちと共に、楽しさいっぱいのコミュニケーション畑に、新しい種を沢山蒔きたいものである。よって、価値観を同じにする人たちとの接点が、人生をもっともっと豊かにしてくれるのではなかろうか・・・。


▼八景水谷公園のサザンカ
camellia-1


camellia-2


camellia-4


camellia-5


camellia-6


camellia-3



ロゼッタストーン公式サイト(since 1995/熊本県第一号WEBサイト)
 https://www.dandl.co.jp/Link
文責:西田親生

               

  • posted by Chikao Nishida at 2020/12/6 12:00 am

『本物』を知ると、幸せが舞い込む!?

josui-3


 昨日の記事で紹介した『本物』の「栗饅頭」だが、饅頭の中は餡と言うよりも、栗の押し競饅頭の世界である。これを一度食せば、他の栗饅頭は、手抜きしているようにも、粗悪品と知りつつ陳列してあるようにも、感じてしまう。それは、『本物』を知ったからこその感覚なのだろうと。

 人の行動パターンを決める要因の一つとして、「潜在意識」というものがある。子供が「あのプラモデルが欲しいなあ!」と思えば、そのプラモデルをゲットする為に、無意識の内にプラモデル入手の為の行動バターンと変化して行く。少ない小遣いを貯めては貯金箱を覗き込み、ガチャガチャと振る。頭の中は欲しいプラモデルのイメージで一杯だ。

 幼い頃に、戦車のプラモデルに凝ったことがあった。ソ連製のジューコフやらドイツ製のタイガやらを組み立て、数人の幼友達と、有線にてリモートして動かして遊んでいた。1年が経ち、知り合いのお医者さん(父の同級生)がブルーメタリックのマーキュリーを購入したらしく、その外車の付録だったミニチュア(20分の1サイズ)の無線リモコンカーをプレゼントして頂いた。

 正しく、『本物』のリモートコントロールが無線にて手元で可能となる訳だ。それまで有線にてコントロールしていた、軽いプラスチック製のちびっこ戦車とは大違い。長さ30cm程のボディーは金属製で重い。ハンドルもタイヤも『本物』そっくりに動くのである。正直、腰を抜かすほど嬉しくもあったが、驚きの方が断然大きかった。(これがカーキチの出発点となった)

 また、ずいぶん昔の話だが、警視庁(東京)で剣道教官をしていた大叔父が帰郷した時に、零戦の布製飛行機(ゴムを捩ってプロペラを回すもの)を土産にくれた。それまで、紙製の飛行機(竹ヒゴと紙)しか知らぬ子供だったので、その布の触感がとても高級品に思え、一度も飛ばすことなく、自分の部屋の壁に大切に飾っておいた。

 それから数十年後、社会人としてデビューして、一番の『本物』との衝撃的な出逢いは、四川料理の「満漢全席」。熊の手、虎のペニス、でっかい乾燥鮑、血燕、子豚の丸焼きなど、中国料理の中でも、最高峰の珍味のオンパレードを体験したのであった。『本物』を目の前に、当時は食材の味がどのようなものか全く想像できなかった。

 例えば、熊の手が黒豚の角煮の数十倍の旨さを知り、虎のペニスのスープが養命酒のに体全体が火照ることを知り、分厚い層(断面)の乾燥鮑の絶妙な旨さを知ることで、『本物』がどれだけ一般的な食材と雲泥の差であるかを学んだのである。出逢っていなければ、前出の「リモコンカー」の楽しさも、「満漢全席」の素晴らしさも分からぬまま、この世を去ることになる。

 御多分に洩れず、筆者も庶民であるが故に、『本物』の高級品を入手するのは困難である。よって、たまたま好機に恵まれると、人生において「ビックリドッキリの本物」が少しずつ増えて行く訳だ。勿論、一般常識的な「所作」であったり、「国際儀礼」であったり、「」であったりと、手に取って重さを感じない『本物』の「ソフトウェア」も沢山ある訳だ。

 世の中に無数に存在する、『本物』。人間は生きている内に、どれほどの『本物』に遭遇し、それをモノにできるのだろうか!?・・・次の出逢いが楽しみである。


▼『本物』の「栗饅頭」(熊本県山鹿市菊鹿町)
HONMONO-4


▼『本物』の「満漢全席」(熊本ホテルキャッスル 四川料理 桃花源)
mankan



ロゼッタストーン公式サイト(since 1995/熊本県第一号WEBサイト)
 https://www.dandl.co.jp/Link
文責:西田親生

             

  • posted by Chikao Nishida at 2020/12/5 12:00 am

1995年以来情報発信している老舗ポータルサイト「ロゼッタストーン」のブログをお楽しみ下さい。詳細はタイトルまたは、画像をクリックしてご覧ください。

behanceオブスクラ写真倶楽部ディー・アンド・エルリサーチ株式会社facebook-www.dandl.co.jp