ロゼッタストーンBLOGニュース

The Rosetta Stone Blog

カテゴリー » コラム・エッセイ

聴き上手は話し上手・・・

▼こちらに耳を傾けている野兎

listen-001


 他人の話に耳を傾けて聴いてくれる人は、理解力があり、冷静な判断を行い、すこぶる的確なアドバイスなりサジェッションなりを常としている。他人の話を最後まで聴いている中で、話の内容に整合性があるのか否か、感情論に傾いていないかなどを、しっかりと見極め、最短最善の回答を与えてくれる。

 人それぞれの性格にも左右されるが、慌て者は他人の話を数秒聞いて、根拠もない相槌を打ったり、初手から否定したり、全く会話が成り立たない状況を作り出してしまう。また、何事にも無関心な人は、他人の話が耳に入らず、他人が話している最中に、全く別のことを考え、絵空事のように無視する。

 文章の場合も同様に、文才ある人は一言一句漏らさず眼を通し、書簡内容をしっかりと理解した上で、最良の答えを引き出し、返事を書く。ところが、面倒臭がり屋や慌て者、被害妄想癖のある人は、提案されている内容を、攻撃的な批判や難癖と決め込み、大変無礼なるリアクションに終始し、自滅する。

 「聴く」と「聞く」とは異なり、上で「聴く」と「聞く」を、敢えて使い分けているのはお分かりかと。姿が見えない電話でも、相手が「聴く」スタンスなのか、単に「聞く」スタンスなのか、声帯の響きや抑揚にて、大抵把握できる。本日、市内在住の某氏に電話をすると、残念ながら「聞く」であった。

 文章も言葉のチョイスによっては、相手の心を傷つけることがあり、メールによるパワハラ事件も後を絶たないようだ。ただ、電話のような肉声となれば、文字よりも、感情が直接伝わるので、恨み辛み妬みを含んだ罵詈雑言を発すれば、心の傷は文字と比較にならぬほど、記憶に深く刻まれてしまう。

 聴き上手な人は、懐が深い。聴き下手な人は、常に独りよがりで、自己中心的な人が多い。バルカン砲のように喋りまくる人は、のべつ幕無しに喋ること自体がストレス発散となる。だから、自己中な人と長時間話していたとしても、何も参考になることはないし、逆にストレスがこちらに溜まるばかりとなる。

 これからは、特に、大切な方々との語らいにおいては、耳を傾けて「聴く」を実践されては如何だろうか。自身の心にも余裕ができ、尚且つ、相手との信頼関係がより大きなものに育って行くはずだ。相手の立場や現況をしっかり共有できれば、双方にポジティブ且つ円滑に物事が進む近道が見えてくるに違いない。

 畢竟、人との会話において、「充耳不聞(じゅうじふぶん)」や「不聞不問(ふぶんふもん)」は、人として醜態を曝け出すことであり、善き人生において、絶対にお法度ということになる。


▼動物の耳は常にこちらを向いている
isten-000


isten-002


isten-003


isten-004


isten-005


isten-006


isten-007


isten-008



◎ロゼッタストーン公式サイト(since 1995)
 https://www.dandl.co.jp/Link
◎ロゼッタストーンBLOGニュース
 https://www.dandl.co.jp/rsblog/Link
◎Facebook
 https://www.facebook.com/chikaonishida.dandlLink
写真・文責:西田親生

         

  • posted by Chikao Nishida at 2021/9/21 12:00 am

信頼の証は有言実行に尽きる・・・

JOSUI


 人は十人十色。考え方も価値観も全て同じという人は一人としていない。時には、確約していたつもりが、その温度差により、「その時は言ったけれども、今は情勢が違う!」とか「確約したつもりでしたが、思うように動きませんでした!」と、「けれども」や「つもり」の連発で言い訳が返ってくる。

 如何に人が十人十色と雖も、「約束」とは考え方や価値観とは次元が異なる。都合が悪ければ、核心に触れないように迂回を選ぶ姑息さが出てくる人がいたり、その場凌ぎのために全く別な話で茶を濁してしまう人も少なくない。だったら、「約束なんぞ、するな!」と言いたくもなる。

 SNSが今の時代の主役となり、個々人の日々の動きが見え隠れするようになった。気づかぬは本人のみであり、その挙動がポジティブなのかネガティブなのかも、ダイレクトに窺い知れる。SNS時代の以前ではあり得ぬほどに、個々人の日頃の動静が鮮明に伝わってくるのも、なかなか面白い。

 昔は書簡に切手を貼って投函し、互いの意思疎通を図っていた。電話が発明されて、肉声を互いに聴きながら、会話を楽しめるようになったが、電話中に互いにお辞儀をする光景が滑稽であった。時には、相手が舌を出して苦笑いしているのも知らずに、真剣に話を聞いている正直者もいた。

 人と人とのコミュニケーションツールを紐解けば、大昔は、直接書状を渡すか矢文を使った情報共有、遠距離となれば狼煙(のろし)や鏡を使った光、伝書鳩などをツールとして、互いのコミュニケーションを取っていたことになる。それが今では、ネットを介したテレビ電話、それもグループ会話が可能となっている。

 災害時に現地の様子がライブで配信され、洪水や土砂崩れ、地震による建造物崩壊や被害の惨状をリアルタイムに把握することができる。何とも素晴らしい発明でもあり、それらの文明の利器の恩恵を受けて生活するというのは、実に恵まれていると、日々感謝するばかり。

 ただ、重要なことは、その情報の信憑性にある。SNSの相手が成り済ましであったり、時間差を利用した虚偽情報であったり、言い訳が充満した無味乾燥な情報であったりすれば、その文明の利器は何の役にも立たず、逆に、フェイクを撒き散らすツールと成り下がってしまう。

 周囲を見回すと、とんでもなく腰が重い人がいる。こんなに文明の利器が進化しているにも関わらず、何かが邪魔しているのか性格なのか。実は、アナログ思考の中で、ネガティブさが全てを遮断していることに気づいていない。有言実行の人は、常にポジティブで前に前に進むのだが・・・。

 どこかに損得勘定が埋め込まれていたり、どこかに狡さが潜んでいたり、どこかに「約束」の重要性とは裏腹で作為的サボタージュが存在していることになる。捌ける人は、こちらから問う前に言葉を発してくる。捌けぬ人は、聞かれてやっと言い訳から入ってくる。

 何とも捌けぬ人を見ていると、腑が煮え繰り返る。言葉の綾を連発されると、頭に角が千本生える。無味乾燥な話を挿入されると、苛立ちを抑えられなくなってしまう。先日アメリカの医療従事者が会話の中で「Don't beat aroud the bush!」と言い、すかさず、筆者が「Get to the point!」と返すと、「That's it!」と言って笑っていた。

 古今東西、「何事もグダグダと手前味噌なる意味のない言い訳をするよりも、さっさと核心を突いた話をせよ!」が肝要なのである。そこに気づかぬ人が多いのが残念だが、ビジネスではそんなに暢気なことは言ってはいられない。「遣ると言ったら、遣る。そして、早期に具現化せよ!」である。

 このSNS時代に乗り遅れぬように、また、自らの赤恥を上塗りせずに、全てにポジティブに動けるよう自己研鑽されることを望むばかり。結局、人と人とのコミュニケーションにおいて最も重要なことは、全てに「有言実行」が信頼の証であることを再認識しなければならない。


▼縁結びで知られる浮島神社(嘉島町)
ukishima-shrine-001


▼コラーゲンたっぷりの「ぷるぷる美肌膳」(熊本ホテルキャッスル)
purupuru-bihada



◎ロゼッタストーン公式サイト(since 1995)
 https://www.dandl.co.jp/Link
◎ロゼッタストーンBLOGニュース
 https://www.dandl.co.jp/rsblog/Link
◎Facebook
 https://www.facebook.com/chikaonishida.dandlLink
写真・文責:西田親生

         

  • posted by Chikao Nishida at 2021/9/19 12:00 am

1995年以来情報発信している老舗ポータルサイト「ロゼッタストーン」のブログをお楽しみ下さい。詳細はタイトルまたは、画像をクリックしてご覧ください。

behanceオブスクラ写真倶楽部ディー・アンド・エルリサーチ株式会社facebook-www.dandl.co.jp