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人は「自分スタンダード」を誇示するために、身近な人を比較対象にすることが多い。しかし、そんな狭い範囲での比較ではサンプリングが少なすぎて、その基準がどれほどのレベルなのか、優位性があるのかなど分かるはずもない。これこそ、ローカルスタンダードの最大の落とし穴であり、無知の証である。
世の中には想像を絶するほど多様な人々が存在する。我が国だけでも1億2千万人が暮らしている。その中で、自己評価を太平洋に浮かぶ木の葉一枚ほどの小さな枠内に閉じ込め、「俺は優れている」「あいつよりセンスが良い」「この業界では誰よりも視野が広い」などと自己満足している人間は少なくない。
熊本の「高校閥」
特に熊本市内では「高校閥」という悪しき風潮が見られる。先日レストランで食事をしていたところ、後ろの席から「○○高校と△△高校はいつも群れている。しかし□□高校は優秀だけど、閥に関係なくマイペースの人が多い」との声が聞こえてきた。だが、全国で通用しない「熊本高校閥」など、まさにローカルスタンダードの典型である。
地方に行けば行くほど視野は狭くなり、インターネット時代であっても、大都市との情報格差はむしろ拡大している。多くの地方の人々はその格差に気づかぬまま、特有の慣習に染まり、日ごとにローカルスタンダードを積み上げていくのだ。
比較の愚かしさ
もちろん自己評価をすること自体は構わない。しかし本当に重要なのは「自分との闘い」である。人と比較する時点で、内心に劣等感が潜んでいることが透けて見える。オリンピックの金メダリストが口にするのは決まって「自分との闘い」であり、そこに尽きる。
視野狭窄な人ほど、狭い世界で自らの優位性を豪語し、虚栄に浸って暮らしている。その姿は実に子どもじみている。
虚栄の象徴
先日も虚栄の象徴のような場面を目にした。旧型のメルセデス・ベンツがホテルの玄関前に急停止し、ベルボーイを睨みつけるような態度を取る運転手である。まるで「俺はベンツに乗っているんだ。だから堂々と真ん中に停める」と言わんばかり。ドアの閉め方も歩き方も、子どもより躾がなっていない。これぞ、人との比較に依存した典型的な低民度の表れだ。
今やメルセデス・ベンツに乗っている人間は珍しくもない。海外の五つ星ホテルの玄関では、ベンツなど裏や地下駐車場に回されるのが常識だ。正面に停められるのは、ロールスロイス、ブガッティ、ベントレー、マイバッハといった、3,000万円を超える超高級車だけである。
結論
結局、人と比較して自己評価を下すのは愚の骨頂である。歪んだローカルスタンダードの価値のなさに気づけるか否かで、人生の道幅は決まってくる。イギリスも「ルーモア好き」のお国柄だが、日本も島国根性で似たところがある。だが、隣の芝生の色など、所詮どうでもよい話ではないか。
▼コスモスの花々(今年は不発気味であった)







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