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名刺交換で人脈は生まれない

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 「人脈がない」と肩を落として呟く人がいる。人脈といっても多種多様である。仕事のつながり、趣味のつながり、私生活におけるつながりなど、さまざまなタイプの人脈が存在する。

 筆者は、群れることが得意ではない。したがって、広く浅い人脈は皆無に等しい。そこで、自分の人脈とはどのようなものなのか、改めて自問自答してみることにした。

 一言で言えば、絶対数は少ない。しかし、筆者の周囲にいてくださる方々は、筆者以上の人格者であり、クレバーな方々が圧倒的に多い。数は少なくても、日頃から刺激を与えてくださる人たちに恵まれていることは、実に幸運なことだと受け止めている。

 代理店の一部には、「人脈がないので、どう動いていいのか分かりません」と、初手から意気消沈を表に出す人物もいる。しかし、その性格や姿勢こそが、これまで人脈を築けなかった理由を物語っているように思えてならない。

 近視眼的に、何かが起これば天秤にかけ、自分が優位になる方へと風見鶏のように動いてきた人物に、自慢できるような人脈が備わるはずがない。世のため、人のために一所懸命に仕事をしている人には、驚くほど立派な人脈が存在している。(もちろん、筆者のことではない。)

 それは、損得から生じた人脈ではない。人としての道へと導いてくださる人たちの存在である。あるときは、苦言を呈してくれる人。あるときは、救いの手を差し伸べてくれる人。そのような方々が、範たる「人の道」へと導いてくださるのである。

 信頼なきものは、人脈とは言い難い。それは、単なる軽々しい接点に過ぎず、自分の人生を豊かにするものではない。ただ知っている。ただ見たことがある。その程度の関係であり、人格者との深い接点とは程遠い。

 振り返れば、起業して間もない頃、関西テレビ、NHK衛星放送、その他テレビ局との仕事のつながりは、関西テレビの一人のプロデューサー故 苧木晃(おぎあきら)さんとの出逢いが引き金となった。出張のたびに、新たな仕事が舞い込んできたのである。

 本当に足を向けて眠れないほど、素晴らしい仕事を依頼していただいた。いつの間にか、そのプロデューサーとは親友としてのお付き合いが始まり、筆者が大阪へ行けば自腹で接待し、彼が熊本へ来れば、もちろん自腹で美味しいものを食べに行った。

 筆者より年上であったが、四十代で急逝された。そのショックは、実母を亡くしたときよりも、実父を亡くしたときよりも深い悲しみであった。若ければ癌の進行は早く、病に倒れ、二年もしないうちに、向こうの世界へ逝ってしまわれたのである。

 葬儀には、関西の芸能人の多くが駆けつけ、悲しみを共有した。それから半年後だったか、お別れの会が大阪の大手シティホテルで開催され、その会場へも足を運んだことを、昨日のように覚えている。

 結局、親しい交友関係に支えられ、関西テレビとは十二年という長きにわたり仕事を続けることができた。その後、CG立体動画が次第に話題性を失ってきたこともあり、仕事上の関係は自然に途絶えていった。それは時代の流れでもあり、仕方のないことであった。

 しかし、大阪へ行くと、有名芸能人のご主人が局長であったこともあり、多くのプロデューサーやディレクターを紹介してくださった。当時、毎月一度は関西テレビへ足を運んでいたように思う。

 一人の素晴らしいプロデューサーとの出逢いが、普段であれば決して会えないような方々との遭遇を、毎回のようにもたらしてくれたのである。今思えば、筆無精の筆者であったがゆえに、連絡が途絶え気味になってしまったことを悔いている。

 以前、記事でも紹介したが、ある窯元でお会いしたご老体が、小笠原流礼法三十二世宗家(ご先祖は小倉藩主/譜代大名)の故 小笠原忠統さんであるとは、露ほども知らなかった。出逢いから数ヶ月後、東京のご自宅まで足を運び入れたこともある。これもまた、偶然ではあるが、人脈が一つ増えたことになる。

 人脈という言葉は、一言で表現するのは簡単である。しかし、重要なのは、その人脈の質である。ただ群れるための人脈であれば、筆者には価値なきものでしかない。お一人お一人の素晴らしい方との出逢いが、人生の宝物としての人脈につながるのだと、自分に言い聞かせている。

 冒頭に戻るが、ある代理店が「人脈がないので困っている」などと口にしている。しかし、身の程を知らず、視野も狭いままでは、人脈など築けるはずがない。偉い人と名刺交換をしただけで、自分まで偉くなったように錯覚する人。有名人と写真に写っただけで、自分も有名人と同列であるかのように考える浅はかな人。そういう人物に、善き人脈ができるはずはない。

 まず、自分自身を磨き、人として恥ずかしくないレベルまで引き上げることである。そうすれば、ある程度の方々の前でも、威風堂々としていられる。しかし、そこには視野の広さ、敬愛の念、そして誠意が備わっていなければならない。それらを欠いたまま相手に近づくことは、大変失礼にあたるばかりである。

 新聞社時代を思い起こせば、加山雄三さんとジャズバンドのシーラカンス、十二代目 故 市川團十郎さん、故 西城秀樹さん、高杉良著『大脱走(スピンアウト)』の主人公であるコスモエイティ代表の碓井優さんら、著名人と接する機会も多かった。しかし、それはあくまでも仕事上の接点であり、人脈とは程遠い、質を異にするものであった。

 思い起こせば、数限りない著名人の顔や、当時の会話も記憶に残っている。若きペイペイの筆者に衝撃を与えてくれたのは、和製ボブ・ディラン、フォークの神様と称された岡林信康さんと、二度ほど二人で飲んだことだろうか。また、軽井沢プリンスホテルのパーティー会場で、隣のテーブル席に田原総一朗さんや『プレジデント』の当時の社長さんらがいらっしゃったことも、強く印象に残っている。

 何はともあれ、仕事上の一瞬の接点と人脈とは、全く異なる。それは周知の事実である。ただ、「自分には人脈がないから」と言い放ち、責任逃れのような言い訳をする人間になってはならぬということだ。

 話はあちこち飛んでしまったが、現在、筆者の周囲にいてくださる知人友人には、心から感謝している。わがまま放題で育ってきた筆者を、何とかして引き上げてくださった人たちが大勢存在している。そのことに、重ねて感謝の意を表したい。

※ヘッダー画像は、ChatGPTが生成したもの

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▼ChatGPTによる感想

このエッセイは、「人脈」という言葉の軽さを剥ぎ取り、その本質を「信頼」「人格」「時間」「相互の敬意」に置き直した、人間学的な随想である。タイトルの**「名刺交換で人脈は生まれない」**は極めて強い。読者が一瞬で内容を理解でき、同時に、ビジネス社会に蔓延する薄っぺらい人脈観への痛烈な警鐘にもなっている。

特に良いのは、単なる説教ではなく、筆者自身の実体験が厚みを与えている点である。関西テレビのプロデューサーとの出逢い、十二年にわたる仕事、親友としての交友、早すぎる死への深い悲しみ。この一連の記述によって、「人脈とは仕事を取るための道具ではなく、人生を支え、時に運命を変える人との縁である」という核心が自然に浮かび上がっている。

また、著名人との接点をあえて「人脈とは程遠い」と切り分けている点に、筆者の冷静な自己認識がある。多くの人は、有名人と会ったこと、名刺を交換したこと、写真を撮ったことを誇示しがちである。しかし本稿では、それらを「一瞬の接点」とし、信頼に裏打ちされた関係とは質が異なると明確に述べている。ここが非常に重要で、本文全体の品格を支えている。

一方で、代理店に対する批判部分はかなり辛口である。しかし、その辛辣さは単なる攻撃ではなく、「人脈がない」と嘆く前に、自分自身の姿勢、誠意、視野、行動を点検せよという教育的な意味を持っている。人脈を外側に求めるのではなく、まず己の内側を整えるべきだという主張は、社員教育や幹部教育にもそのまま使える。

この一文が核である。

「信頼なきものは、人脈とは言い難い。」

ここに本稿のすべてが凝縮されている。人脈とは、数ではない。肩書でもない。名刺でもない。写真でもない。相手が自分を信じ、自分も相手を敬い、時間の中で互いに何かを積み重ねてきた関係である。

読後感としては、派手さよりも重みが残る。前半は人脈論、後半は筆者の人生回想、最後は感謝へと着地しており、単なるビジネス論ではなく、人生論として読める。特に最後の「わがまま放題で育ってきた筆者を、何とかして引き上げてくださった人たち」という表現には、筆者の照れと感謝がにじみ、文章全体を柔らかく締めている。

note記事としての訴求力も高い。ビジネスマン、経営者、営業職、代理店、若手社員、そして「人脈がない」と悩む人すべてに刺さる内容である。ただし、読者によっては耳が痛い文章でもある。だからこそ価値がある。甘い慰めではなく、「人脈がない理由は、自分の生き方にあるのではないか」と読者へ問いを返す力がある。

総じて、本稿は人脈論の体裁を取りながら、実際には人格形成論である。
名刺を集める人間ではなく、信頼を積み上げる人間であれ。そこに、本稿の最も強いメッセージがある。
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文責:西田親生


                             

  • posted by Chikao Nishida at 2026/6/8 12:00 am

怖いもの知らずの二十八歳(回想録)

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 前職である新聞社勤務の頃を思い起こせば、二十代でも二十八歳の時が一番アグレッシブに動いていたように思える。

 企画を本業としており、何も怖いものがなく、厚顔無恥にも県外へ足を運び、いろんな方々とお会いすることができた。

<東京の巻>
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 思い出に残る方は多いが、中でも、故 小笠原流礼法三十二世宗家の小笠原忠統氏との再会はとても嬉しかった。

 たまたま、熊本の窯元でお会いして、寒さで咳が止まらぬ様子だった同氏へ熱いお茶を差し上げたことがきっかけで、東京で再会することになった。

 当時、目白のご自宅へ足を運び入れ、座敷で待つこと30分ほど。正座のまま足の痺れで身動きできぬ状態で、足の甲がチリチリと刺すような痛みを我慢しつつ、ようやくお話をすることができた。

 ややお痩せになっていたが、眼光は鋭く、学校の給食のご飯茶碗の話やら、早朝に川の土手で摘んできた可愛い野草を指さしながら語られる笑顔を、つい昨日のように覚えている。

 特に学校の給食についての話は面白く、アルマイトのご飯茶碗はダメだと言い、各自、自分のお茶碗と箸を持参して、炊き立てのご飯を食べることを力説されていた。

 給食室の大釜で炊くご飯よりも、炊飯器を何十台も置いて、炊き立てのご飯を子供たちに提供することが決まったのは良いが、その学校の給食室が温室のように暑くなるので、エアコンを設置して、電気代が上がったというオチだった。

 翌日、高輪プリンスホテルでランチに誘われ行ったところ、お能の喜多流宗家である十六世喜多六平太氏を紹介され、古文書を開きながら、ワイワイガヤガヤ。結局、何を食べたのか、いまだに思い出せないでいるのである。

<京都の巻>
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 京都では、辻ヶ花の作家のところへ行き、数百万円から数千万円の着物や辻ヶ花の絵柄を描く実演を拝見した。当時の熊本ニュースカイホテルの玉樹の間(約300坪)にて、実演および販売の企画の契約印をもらったのである。

 京都駅に到着し、作家の工房へ足を運ぼうとすると、ちょうど祇園祭であり、宿泊するホテルも予約ができなかったが、作家のおかげで、烏丸にあるホテルを当日予約してもらい、契約の話はなく、芸妓さんや舞妓さんがいる置き屋へ挨拶回りに付き合わされた。

 多分、帯付きの1万円札を懐に入れていたのか、「今年もよろしゅうに」とのご挨拶であったと記憶するが、そこに入るや否や、「おみ足をお洗いやす」と言われた言葉が、すこぶる新鮮であった。

 その場でつまみを口にしながらビールを飲んでいたが、それから食事処を経て、クラブで遊び、午前0時頃になり、一人の芸妓さんをタクシーで送ることになった。

 筆者は契約書の印鑑をもらわねば熊本へは帰れないと不安だったが、無事、芸妓さんの住むマンション前で降ろし、烏丸のホテルへ着いたのである。

 フロントで鍵をもらおうとすると、「〇〇先生からメッセージを預かっています。」と聞き、それを読むと、「無事戻られたのであれば、〇〇の寿司店へ来てください。」と。
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 寿司店に着いたのが午前1時。「あんたはん、真面目に送ってくれはったんやなあ。」と含みのあるご挨拶の後に、「どこに印鑑押せば?」と言いながら、実印を取り出して、筆者が持参した契約書に押印してくれたのである。

 まだ二十八歳と若かったので、世の中を十分知る由もなく、怖いもの知らずとはこういうことなのだろうと。今思い起こせば苦笑いしかないが、日頃からお会いできない方々との接点は、今でも筆者の記憶の宝として大切にしている次第。

 畢竟、二十八歳頃から暴れまくり、三十四歳にして起業したのだから、無謀という一言に尽きるような気がしてならない。しかし、それなりに実績は積み上げてきたのだが、現在は、当時のように怖いもの知らずで動けないところが、何とも悔しい気持ちで一杯となってしまうのである。(苦笑)

 まだまだ多くの立派な方々との出会いがあったが、今回はこのお二人のご紹介にて筆を置くことにしたい。

▼内田皿山焼でちょいと遊ぶ
辻ヶ花の絵柄を皿に描いて焼いてもらったもの。心に残る大切な1枚。
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▼ChatGPT 4oによる感想

以下、誠実かつ具体的な感想を述べます。

1)全体印象

このエッセイは、

「28歳の怖いもの知らずな行動力」を回想し、読者に若さの価値を再確認させる力がある作品です。
笑顔を誘う軽妙な筆致でありながら、文章の背後に「若さの無謀さと、その先に続く人生の伏線」がしっかり描かれている点が魅力です。
一つひとつのエピソードに**実在の著名人や具体的な地名、状況描写(正座の痺れ、午前1時の寿司屋、祇園祭の熱気)**があり、時間旅行のように読者を連れて行く臨場感があります。

2)内容面の注目ポイント

(1)東京編
小笠原忠統氏との再会は、人との縁の不思議さと大切さを感じさせます。
給食のご飯茶碗の話題は庶民的で微笑ましく、偉大な人でも生活感のある視点を持つことが伝わり、人間味がにじんでいます。
「眼光の鋭さ」「笑顔」の記述があり、故人の生き様を短文で鮮やかに描き出しているのが印象的です。

(2)京都編
祇園祭の時期に飛び込みで宿泊先を取るエピソードが、当時の大胆さと地元の人との信頼関係を感じさせます。
芸妓さんとのやり取り、「おみ足をお洗いやす」という言葉の記憶は、文化の奥深さを垣間見せ、京都らしい情緒があります。
午前1時の寿司店で契約の印鑑を押してもらうくだりは、**「何事も動いた者が勝つ」**というメッセージが自然に伝わります。

3)語り口について

「畢竟」「無謀という一言に尽きる」など、語彙の選択が重みを持ちつつも硬すぎず、柔らかく自嘲気味にまとめている点が心地よい。
「(苦笑)」という終わり方が、読者に「あなたはどう生きている?」と問いかけるようで余韻を残します。

4)メッセージとして伝わること

若さの行動力は時に無謀であるが、それが後々の「記憶の宝」「人生の基礎」になる。
年齢を重ねると同じようには動けなくなるが、若い時に動き続けることの価値は計り知れない。
繋いできた人との縁が、人生を支える重要な要素となる。

5)読後の気づき

・「あの頃の自分は怖いもの知らずだったか?」と振り返りたくなる力を持った文章です。
・どこかで「もう年だから無理」と思いがちな自分に、「まだできるかもしれない」という小さな勇気をくれる内容でもあります。
・「人との縁がビジネスの決定的要素になる」という教訓が、具体例を通じて無理なく伝わる点が優れています。

総括

「人生における若さの行動力」と「人との縁の大切さ」を記憶に刻ませる良質な回想録
時代背景と具体的体験の描写がリアルであり、読者を自然に引き込みます。
このエッセイは、若者だけでなく「年齢を重ねてなお前を向き続けたい大人たち」にとっても、行動を後押しする力を持った作品といえます。
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◎ロゼッタストーン公式サイト(since 1995/熊本県第一号WEBサイト)
 https://www.dandl.co.jp/Link
プロンプト・文責:西田親生


                     

  • posted by Chikao Nishida at 2025/7/9 12:00 am

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