ロゼッタストーンBLOGニュース

The Rosetta Stone Blog

タグ » 喜多流十六世宗家喜多六平太

怖いもの知らずの二十八歳(回想録)

20250707youngnishida-1


 前職である新聞社勤務の頃を思い起こせば、二十代でも二十八歳の時が一番アグレッシブに動いていたように思える。

 企画を本業としており、何も怖いものがなく、厚顔無恥にも県外へ足を運び、いろんな方々とお会いすることができた。

<東京の巻>
20250707youngnishida-2


 思い出に残る方は多いが、中でも、故 小笠原流礼法三十二世宗家の小笠原忠統氏との再会はとても嬉しかった。

 たまたま、熊本の窯元でお会いして、寒さで咳が止まらぬ様子だった同氏へ熱いお茶を差し上げたことがきっかけで、東京で再会することになった。

 当時、目白のご自宅へ足を運び入れ、座敷で待つこと30分ほど。正座のまま足の痺れで身動きできぬ状態で、足の甲がチリチリと刺すような痛みを我慢しつつ、ようやくお話をすることができた。

 ややお痩せになっていたが、眼光は鋭く、学校の給食のご飯茶碗の話やら、早朝に川の土手で摘んできた可愛い野草を指さしながら語られる笑顔を、つい昨日のように覚えている。

 特に学校の給食についての話は面白く、アルマイトのご飯茶碗はダメだと言い、各自、自分のお茶碗と箸を持参して、炊き立てのご飯を食べることを力説されていた。

 給食室の大釜で炊くご飯よりも、炊飯器を何十台も置いて、炊き立てのご飯を子供たちに提供することが決まったのは良いが、その学校の給食室が温室のように暑くなるので、エアコンを設置して、電気代が上がったというオチだった。

 翌日、高輪プリンスホテルでランチに誘われ行ったところ、お能の喜多流宗家である十六世喜多六平太氏を紹介され、古文書を開きながら、ワイワイガヤガヤ。結局、何を食べたのか、いまだに思い出せないでいるのである。

<京都の巻>
20250707youngnishida-3


 京都では、辻ヶ花の作家のところへ行き、数百万円から数千万円の着物や辻ヶ花の絵柄を描く実演を拝見した。当時の熊本ニュースカイホテルの玉樹の間(約300坪)にて、実演および販売の企画の契約印をもらったのである。

 京都駅に到着し、作家の工房へ足を運ぼうとすると、ちょうど祇園祭であり、宿泊するホテルも予約ができなかったが、作家のおかげで、烏丸にあるホテルを当日予約してもらい、契約の話はなく、芸妓さんや舞妓さんがいる置き屋へ挨拶回りに付き合わされた。

 多分、帯付きの1万円札を懐に入れていたのか、「今年もよろしゅうに」とのご挨拶であったと記憶するが、そこに入るや否や、「おみ足をお洗いやす」と言われた言葉が、すこぶる新鮮であった。

 その場でつまみを口にしながらビールを飲んでいたが、それから食事処を経て、クラブで遊び、午前0時頃になり、一人の芸妓さんをタクシーで送ることになった。

 筆者は契約書の印鑑をもらわねば熊本へは帰れないと不安だったが、無事、芸妓さんの住むマンション前で降ろし、烏丸のホテルへ着いたのである。

 フロントで鍵をもらおうとすると、「〇〇先生からメッセージを預かっています。」と聞き、それを読むと、「無事戻られたのであれば、〇〇の寿司店へ来てください。」と。
20250707youngnishida-4


 寿司店に着いたのが午前1時。「あんたはん、真面目に送ってくれはったんやなあ。」と含みのあるご挨拶の後に、「どこに印鑑押せば?」と言いながら、実印を取り出して、筆者が持参した契約書に押印してくれたのである。

 まだ二十八歳と若かったので、世の中を十分知る由もなく、怖いもの知らずとはこういうことなのだろうと。今思い起こせば苦笑いしかないが、日頃からお会いできない方々との接点は、今でも筆者の記憶の宝として大切にしている次第。

 畢竟、二十八歳頃から暴れまくり、三十四歳にして起業したのだから、無謀という一言に尽きるような気がしてならない。しかし、それなりに実績は積み上げてきたのだが、現在は、当時のように怖いもの知らずで動けないところが、何とも悔しい気持ちで一杯となってしまうのである。(苦笑)

 まだまだ多くの立派な方々との出会いがあったが、今回はこのお二人のご紹介にて筆を置くことにしたい。

▼内田皿山焼でちょいと遊ぶ
辻ヶ花の絵柄を皿に描いて焼いてもらったもの。心に残る大切な1枚。
20250709uchidasarayama-1


20250709uchidasarayama-2


▼ChatGPT 4oによる感想

以下、誠実かつ具体的な感想を述べます。

1)全体印象

このエッセイは、

「28歳の怖いもの知らずな行動力」を回想し、読者に若さの価値を再確認させる力がある作品です。
笑顔を誘う軽妙な筆致でありながら、文章の背後に「若さの無謀さと、その先に続く人生の伏線」がしっかり描かれている点が魅力です。
一つひとつのエピソードに**実在の著名人や具体的な地名、状況描写(正座の痺れ、午前1時の寿司屋、祇園祭の熱気)**があり、時間旅行のように読者を連れて行く臨場感があります。

2)内容面の注目ポイント

(1)東京編
小笠原忠統氏との再会は、人との縁の不思議さと大切さを感じさせます。
給食のご飯茶碗の話題は庶民的で微笑ましく、偉大な人でも生活感のある視点を持つことが伝わり、人間味がにじんでいます。
「眼光の鋭さ」「笑顔」の記述があり、故人の生き様を短文で鮮やかに描き出しているのが印象的です。

(2)京都編
祇園祭の時期に飛び込みで宿泊先を取るエピソードが、当時の大胆さと地元の人との信頼関係を感じさせます。
芸妓さんとのやり取り、「おみ足をお洗いやす」という言葉の記憶は、文化の奥深さを垣間見せ、京都らしい情緒があります。
午前1時の寿司店で契約の印鑑を押してもらうくだりは、**「何事も動いた者が勝つ」**というメッセージが自然に伝わります。

3)語り口について

「畢竟」「無謀という一言に尽きる」など、語彙の選択が重みを持ちつつも硬すぎず、柔らかく自嘲気味にまとめている点が心地よい。
「(苦笑)」という終わり方が、読者に「あなたはどう生きている?」と問いかけるようで余韻を残します。

4)メッセージとして伝わること

若さの行動力は時に無謀であるが、それが後々の「記憶の宝」「人生の基礎」になる。
年齢を重ねると同じようには動けなくなるが、若い時に動き続けることの価値は計り知れない。
繋いできた人との縁が、人生を支える重要な要素となる。

5)読後の気づき

・「あの頃の自分は怖いもの知らずだったか?」と振り返りたくなる力を持った文章です。
・どこかで「もう年だから無理」と思いがちな自分に、「まだできるかもしれない」という小さな勇気をくれる内容でもあります。
・「人との縁がビジネスの決定的要素になる」という教訓が、具体例を通じて無理なく伝わる点が優れています。

総括

「人生における若さの行動力」と「人との縁の大切さ」を記憶に刻ませる良質な回想録
時代背景と具体的体験の描写がリアルであり、読者を自然に引き込みます。
このエッセイは、若者だけでなく「年齢を重ねてなお前を向き続けたい大人たち」にとっても、行動を後押しする力を持った作品といえます。
----------
◎ロゼッタストーン公式サイト(since 1995/熊本県第一号WEBサイト)
 https://www.dandl.co.jp/Link
プロンプト・文責:西田親生


                     

  • posted by Chikao Nishida at 2025/7/9 12:00 am

次元を異にする、名家の神髄とは!?

Chikao-Donshu


 名家には程遠い次元に生息している筆者であるが、たまたま、歴史と伝統を誇る名家に生まれた人を多く存じ上げている。しかし、人格者でもあり、敬意を表すべき人物は非常に少ない。

 それは、名家というバッジを常に胸に光らして、自らは名家の出身者であり、立派な人物であると思い込んでいる。これも、先ほど記事として投稿した「思い込み」の危険な兆候である。

 名家出身者であろうが高学歴であろうが、それを全て是とするのは、偏った価値観であり、目の前の人がその価値を持つのか否かは定かではない。ただ、周囲が「憧れ」の境地にて、是非を問わぬのである。

 名家出身者でお会いした中で、とても重厚で繊細で、かつ、教育熱心な方を思い出す。それは、小笠原流礼法三十二世宗家の故 小笠原忠統氏である。

 元々は小倉藩主の末裔として、東京目白のご自宅(旧居は新宿にある小笠原伯爵邸レストラン)を訪ねたこともあり、座敷での様子は今でも昨日のように、深く記憶に刻まれている。

 同氏を座敷で待つこと30分(正座にて足が痺れている)。和服姿の同氏が廊下から入られる。衣擦れの音がしなやかにて、静かに座してご挨拶があった。

 「遠方からおいでいただき、有難うござます。以前、熊本の窯元で私が咳き込んでいる時に、温かいお茶を頂き大変助かりました・・・」と労いの言葉から始まった。

 当時、同氏の目に留まった窯元の主人(若くして他界)を同行しており、その焼き物を小笠原流礼法茶器セットとして限定30セット作るという話をするために伺ったのである。

 筆者は新聞社に勤務していたので、その窯元の依頼にて、最終的には30セットの桐箱入り茶器セットを作り、箱書きを同氏が行うという段取りがついた。

 そこで同氏が筆者に突然質問を投げかけたのである。

「この座敷を見回して、何か気づきませんか?」と。

 急に話が変わったので、一度、脳内をリセットして周囲を見回し、こう答えた。

「柱の上にある竹に一輪の野草が目に留まりました。」と。

 すると、同氏はにこやかな表情に変わり、以下のような言葉が返ってきた。

「よく分かりましたね。実は、今朝ね、早朝より川の土手を歩いていたら、そそと咲く野草があったので、それも1輪。それを摘んで、そこに飾ったのですよ。」と。

 同氏の問いに対して正解であってホッとしたが、流石に、人を見極める手法なのかと、心の中で頷いた。

 同氏は、私立学校の顧問もしており、改革を進めていた頃だった。先ずは、給食のご飯茶碗のアルマイトを廃止、焼き物の器に変えたのである。また、ご飯を炊くのに多くの電気炊飯器に切り替え、炊き立てのご飯を子供達が楽しむように。

 お箸は「マイお箸」を自宅から子供達が持参するように決められ、日本の伝統文化の一端を存分に学校教育に取り入れたのである。

 ここで笑い話だが、後日談として、相当数の電気炊飯器を導入したのは良いが、給食室の室温が上がり、最終的にはエアコンを相当数追加設置したとの話を聞き、吹き出してしまった。

 翌日、同氏と約束したのは、ランチを高輪プリンスホテルの和食で楽しもうということだった。翌日、同ホテルへ足を運び待っていると、同氏の後ろから、体格の良い和服姿の御仁が立っていた。

 その御仁はお能の喜多流十六世宗家の故 喜多六平太氏であった。お能の大家らしく、微妙に顎を何度も引きながらの独特な動きが印象的であり、小笠原氏とは異なる重厚さが垣間見れたのである。

 食事を終えた頃、小笠原氏の付人が風呂敷を徐に開き、数冊の古文書らしきものを見せてくれた。そして、小笠原氏が以下のように解説してくれたのである。

「ここを見てください。小笠原家と細川家の宴の記述ですが、そこでお能の仕舞を披露しているのが、ご先祖の喜多流宗家なんですよ。ほら、羽織をさっと脱いで、手から離れるシーンが書かれているでしょ!?」と。

 小笠原氏も喜多氏もとてもフランクであるが、礼節を重んじており、非常に堅苦しいと予測していたものの、逆に、このような古文書を紐解きながら笑顔で解説している姿に、流石に本物の名家であると頷くばかりであった。

 話は、非常に飛びに飛んで、高輪プリンスホテルの食事会にまで至ったが、公人として人格者として、一切偉ぶることもなく、自然体の心地良い所作に感動した筆者である。

「明日、たまたま某所で私の姪の誕生会があるので、一緒に行きませんか?」と。

 いえいえ、新聞社の若造が厚顔無恥にも足を運び入れるタイミングでもなく、丁重にお断りしたが、何と、その姪の方は皇族に嫁がれたようで、重ねて、丁重にお断りしたのであった。

 実は、出張を2泊3日としていたので、雇われの身でもあり、翌日は別件で熊本市で打ち合わせとなっており、仕方なくお断りしたのである。今思えば、その誕生会に参加しておけば良かったと、悔いるばかり。

 しかし、全国区の名家は、言葉は適切ではないが、次元が違う。可愛らしい一輪の野草から、ホテルランチと江戸時代の古文書、そして皇族の方の誕生会と、僅か2泊3日の出張が、とても長く感じるほどに充実したものであった。

 蛇足ながら、地方における名家を見回すと、上記の方々とは質を異にしており、地方はやや傲慢で、鼻息強いところが見え隠れすることもある。よって、本物の名家とは、何事も平身低頭、更には自然体でウィッツの塊が、名家スタンダードであろうかと考えるに至ったのである。

 最後に2回目の笑い話だが、小笠原流礼法茶器セットの箱書きについては、宗家ご自身が1日に1つしか書かぬと言い出し、結局、箱書き完成が1ヶ月以上掛かってしまったのが、オチとなる。しかし、素晴らしい筆の走りの箱書きを見て、今は亡き陶芸家は涙して喜んでいた。

▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイは、名家の人物とのエピソードを通じて、「名家」の本質やスタンダードについて考察したものであり、非常に奥深い内容でした。以下、感想を述べます。

1. 名家の人物像とその本質
エッセイでは、歴史と伝統を持つ名家に生まれた人々の中でも、本当の意味で尊敬されるべき「人格者」が稀であることが強調されています。特に、小笠原忠統氏や喜多六平太氏といった具体的な人物描写から、真の名家に必要な条件として「平身低頭」や「自然体」、そして「ウィットに富む人格」が挙げられており、単なる血筋や肩書きに依存しない「人間力」が重要であることが伝わります。

小笠原氏の自然体のエピソード――早朝に見つけた野草を座敷に飾る心遣いや、食事会での古文書を用いた解説など――が、とても印象深く、読者にその魅力を自然に感じさせます。

2. 個人的な体験の鮮やかな描写
エッセイ全体を通じて、筆者が体験した出来事が非常に鮮明に描写されています。特に、座敷での正座や衣擦れの音、窯元の焼き物の話など、臨場感のある細やかな描写は、読む者をその場に引き込みます。また、高輪プリンスホテルでのエピソードや古文書の内容なども、当時の文化的な空気感や、名家の持つ奥深さを感じさせる一助となっています。

3. 「本物」と「偽物」の対比
地方の名家に言及する部分では、本物の名家とは一線を画す「傲慢さ」や「鼻息の強さ」が語られています。これにより、全国区の名家の魅力が際立つ構成となっており、対比が効果的です。特に、「本物の名家は次元が違う」という一文は、経験に基づいた強い信念を感じさせると同時に、名家の本質を端的に示しているように思えます。

4. ユーモアの効いた締めくくり
全体の中に散りばめられたユーモアも、このエッセイを一層魅力的にしています。箱書きに1ヶ月以上かかったというオチや、炊飯器導入後のエアコン増設という笑い話は、シリアスなテーマに軽妙なアクセントを加えています。これにより、エッセイ全体が重くなりすぎず、読者に親しみやすい印象を与えています。

5. 深い洞察と筆者の思い
このエッセイからは、筆者の「名家とは何か」という問いに対する真摯な考察が滲み出ています。名家を単なる肩書きや伝統ではなく、「人間性」や「心のあり方」で測るべきだという結論は、読者にも共感を呼び起こすことでしょう。また、筆者が振り返って「誕生会に参加すればよかった」と悔やむシーンには、素直な感情が表れており、読者に筆者自身の人間性を垣間見せています。

結論
「名家」というテーマを中心に、具体的なエピソードと筆者の洞察が見事に融合したエッセイでした。名家の真髄を「平身低頭」「自然体」「ウィット」という言葉で表現しつつ、名家出身者の個性と行動が名家の価値を形作ることを伝えています。

このエッセイは、単なる体験記ではなく、筆者自身の人生観や哲学が豊かに描かれた作品です。読者としても、名家の本質について深く考えさせられる一作でした。
----------
◎ロゼッタストーン公式サイト(since 1995/熊本県第一号WEBサイト)
 https://www.dandl.co.jp/Link
文責:西田親生


                   

  • posted by Chikao Nishida at 2025/1/21 12:00 am

1995年以来情報発信している老舗ポータルサイト「ロゼッタストーン」のブログをお楽しみ下さい。詳細はタイトルまたは、画像をクリックしてご覧ください。

behanceオブスクラ写真倶楽部ディー・アンド・エルリサーチ株式会社facebook-www.dandl.co.jp