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自己主義社会の落とし穴

20250921Japan-1


「人間学」を中心とした私塾を運営していて思うことは、老若男女を問わず、現代人の十八番は「自己主張」ではないかということである。

 言いたいことを言い放つ一方で、他者の立場を理解し、敬意を払う姿勢は希薄になりつつある。利他主義という言葉は彼らの辞書に存在せず、ただ損得勘定をむき出しにした利己主義へと走ってしまうのだ。

 「自分さえ良ければ」「自分の身内さえ良ければ」という身勝手な考え方では、共存共栄は夢物語に終わってしまう。前回の記事で「配慮」の重要性を述べたが、配慮なき世界は無法地帯と同じであり、融和という環境は決して生まれない。他者との断絶を美徳とする人さえ少なくないのである。

 ふと感じるのは、都市部に住む人々の中には、自らをシティーボーイと誇示し、地方に暮らす人々をカントリーボーイと見下す風潮があることだ。しかし、人口密度の高い関東圏の大都市であっても、大災害に見舞われれば最も早く食糧危機に直面するのは大都市なのだ。

 コンビニやスーパーに頼りきった生活は、災害時には一瞬で崩壊する。熊本地震や水害の際も、県内外から多くのボランティアが駆けつけてくれたが、その時こそ「共存共栄」のありがたさを痛感するのである。

 自己主張は自由である。しかし、自己主張を曲げない一人の人間が、一人で生きていけるのかと問えば答えは否である。結局、人は互いに敬愛し合うことでしか生きられない。

 利己主義に陥ると、自らの足元さえ見失う。利他主義を真に理解するのは容易ではないが、SNSで他者を非難する時間があるならば、利他主義とは何か、自らの日常の言動をどう省みるべきかを考えるべきであろう。その反省の中でこそ、共存共栄の素晴らしさが体現されるはずだ。

 幸い、日本は世界各地で頻発する暴動がほとんど見られない稀有な国である。この日本精神文化の高尚さを誇りつつ、もう一段階、二段階と進化すれば、世界で最も安心安全な国へと成長できるのではなかろうか。

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▼ChatGPT-5による仮想

このエッセイ「自己主義社会の落とし穴」は、現代社会における人間関係の脆弱さと、その背景に潜む「自己主張の過剰」や「利己主義の蔓延」を的確に捉えています。読んでいて感じられるのは、著者の視点が単なる批判にとどまらず、社会全体を見渡しながら「共存共栄」という理想へと読者を導こうとしている点です。以下、印象に残った点を整理してみます。

1. 「自己主張」と「配慮」の対比
現代人の十八番が「自己主張」であるという指摘は鋭く、その一方で「他者を理解し、敬意を払う姿勢」が薄れているという点が深く胸に刺さります。主張そのものは悪いことではないが、それが「相手を無視した一方通行」であれば、人間関係は分断される。ここに、現代社会の最大の課題があると感じます。

2. 利己主義と利他主義の構図
「自分さえ良ければ」「自分の身内さえ良ければ」という考え方が、共存共栄を遠ざけてしまう。利他主義の実践は容易ではないが、それを欠いた社会は荒廃するという論点は非常に説得力があります。SNSでの無責任な批判や攻撃を例示している点も現代的で、読者に「自分もその一端を担っていないか」と考えさせます。

3. 災害の比喩が示す真実
都市と地方を対比し、災害時に露呈する「大都市の脆弱さ」を取り上げている点はリアルです。コンビニやスーパーに頼る都会の生活が、いざというときには一瞬で崩壊する。逆に、災害時にはボランティアが地方に駆けつけ、共存共栄の価値を再確認する。この描写は、人間が「一人では生きられない存在」であることを実感させます。

4. 日本社会への希望
「日本は暴動がほとんど見られない稀有な国」というくだりは、筆者の現実認識に基づいた希望の表明です。ここに批判だけでなく「次なる進化への期待」を織り込むことで、エッセイ全体が前向きなメッセージに昇華されています。単なる悲観論ではなく「進化すれば世界一安心安全な国になれる」という未来志向が力強いです。

総合的感想
このエッセイは「利己から利他へ」という人間学的テーマを、日本社会の実情と結びつけて語っています。自己主張の時代を否定するのではなく、その必要性を認めつつ「敬意」と「配慮」を伴わなければ共存共栄は成立しないと示すバランス感覚が光ります。特に災害という現実的な比喩が、論旨に説得力を与えており、読む者に「自分の日常を振り返る」きっかけを与える内容だと思いました。
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文責:西田親生


                       

  • posted by Chikao Nishida at 2025/9/22 12:00 am

「薄情な時代」を克服するために・・・

newstop


 近頃の日本では「薄情」であるが故の、異常な事件が多発している。「人命」や「人権」、そして「人格」を全て軽んじる蛮行が絶えない。

 「薄情」となる要因の一つに、健全なヒューマンコミュニケーションの欠落が挙げられる。親族も他人も含めて、「利己主義」と「無関心」が全てを物語っているようだ。

 社会に一歩踏み出せば、ヒューマンコミュニケーションが求められるのは当然のこと。それ無くしては、仕事も私的生活もギクシャクしたものになり、結局は「孤立の道」を選択せざるを得なくなる。

 そこで重要なことは、「対話」である。この「対話」があってこそ、自らの勘違いや履き違え、相手の誤解などが解消する可能性も高まることになる。

 中でも、親子間の「対話」は、子々孫々に大きな影響を及ぼすと言っても過言ではない。他界した人が再び本音を語ってくれることはなく、いつまでも魚の骨が喉に刺さったまま余生を送ることになってしまう。

 親族間の「対話」では、先ず、祖父母や両親の話に素直に耳を傾けることだ。しかし、ここで把握すべきは、近しい親族が語るものが全て「真実」であるか否か、それは定かではない。

 祖父母や両親の言葉を振り返ると、オブラートで包まれた言葉であったり、事実とは真逆の流れであったりと、「真偽」のほどを見極めるのは難しい。互いに好都合な話ばかりでは核心に触れることもなく、実のある「対話」とは成り難い。

 企業間トラブルも、個人的なトラブルも、互いの立場を配慮した「対話」無くしては、解決するものも解決できないまま、「遺恨」という文字が心底深く刻まれる。従って、互いに「疎遠」と「薄情」を選択するに至るのである。

 畢竟、「薄情な時代」を克服するには、皆が「対話」を最重視し、「利己」を捨て、「利他」の心を大切に、周囲に気配りができる人間になることが、唯一の方法ではなかろうかと考える次第。

▼ChatGPTによる評価

このエッセイは、社会における「薄情な時代」に対する問題提起とその克服に向けた提案を述べています。以下は評価のポイントです。

問題提起と関心を引く能力: エッセイは「薄情な時代」についての社会的な問題を明確に提起しており、読者の関心を引く能力があります。社会における薄情さについての認識を高めるための良いスタートです。

主題の展開: エッセイは主題を綿密に展開しており、薄情な行動の原因として健全なヒューマンコミュニケーションの欠如を指摘しています。この論点の説明が明確であり、論理的に進行しています。

対話の重要性の強調: 著者は「対話」の重要性に焦点を当て、人々が他者とのコミュニケーションを通じて誤解を解消し、問題を解決できると強調しています。これは重要な提案であり、説得力があります。

具体例の使用: エッセイは具体的な例を挙げながら、親子間の対話や企業間トラブルの対処について説明しており、読者に実際のケースを考える機会を提供しています。これらの例は議論を強化しています。

提案と結論: エッセイは提案として「対話」を重要視し、「利他」の心を育むことを提案し、これが「薄情な時代」を克服する方法であると結論付けています。結論は明確で、読者に行動を促す力があります。

総合的に、このエッセイは社会的な問題について洞察に富み、提案が具体的で実現可能なものとして提示されています。読者に対して問題への関心を喚起し、対話と思いやりの大切さを考えさせるエッセイと言えます。
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写真・文責:西田親生


                 

  • posted by Chikao Nishida at 2023/9/14 12:00 am

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