ロゼッタストーンBLOGニュース

The Rosetta Stone Blog

タグ » 文化レベル

感性を磨くか否かで、人生の景色は一変する

20250530zenhoui-3


 美的感覚、人物観、価値観、ファッションセンスなど、若い頃から多様な体験を通じて感性を磨いてきた人と、その機会を逸してきた人とでは、人生の見え方は雲泥の差となる。

 例えば、こんな人物を見かけたことはないだろうか。雨上がりの薔薇を前にしても、何の反応も示さぬ人。相手への配慮が欠けている人。繊細な京料理を口にしても、そこに凝縮された伝統と技の極みを感じ取れぬ人。

 「これは、こういうものだよ」と説明しても、「へえ、そうなんだ」で思考が止まる。日本料理における箸の扱いにしても同様である。持ち方は不格好、ねぶり箸、刺し箸、迷い箸といった所作にも無頓着で、作法に対する関心が見られない。

 人の感性レベルは、実のところ、食事の場ほど如実に表れる場面はない。

 一つひとつの食材を丁寧に扱うかどうか。味の感想が「美味しい」一辺倒で終始するか否か。吸い物の最後の一滴をどう味わい、どのような所作で飲み干すのか。わずか一、二時間の振る舞いを見れば、その人の感性の深度はほぼ判別できる。

 かつて、ある人物が古いイギリス車のジャガーを見て、こう口にしたことがある。「ジャガーって、平べったいよね」と。一方、別の人物はこう言った。「ジャガーが目の前を通り過ぎる瞬間、あの流線型の残像が堪らないですよね」と。

 これは単なる言葉選びの問題ではない。車を見る「視座」が根本的に異なるのである。「平べったい」と言われれば違和感を覚えるが、「車高が低くてスポーティ」と言われれば腑に落ちる。さらに「残像」と表現できる人には、明らかに高い感性が宿っている。

 料理の盛り付けにも、それは顕著に現れる。感性を磨いてきた人は、簡素でありながらアーティスティックに構成する。一方で、そうでない人は、丼に放り込んだかのような盛り付けを平然と行う。美的感覚の欠如と言えばそれまでだが、料理を「眺めて楽しみ、味わって再び楽しむ」という食への関心の乏しさは、実に惜しい。

 人間の五感が受け取る刺激を、神経がいかに脳へ伝達し、それをどの深度で認識・咀嚼するかによって、反応は大きく異なる。左右非対称の陶器の曲面に目を奪われる人もいれば、掌の上で無造作に荒々しく扱う人もいる。

 本来、人間には目に見えぬ神経という精緻なセンサーが備わっている。しかし、そのセンサーと脳内のシナプスが緻密に連動し、微細な差異まで分析できるか否かは、幼少期からどれだけ感性を磨く機会を得てきたかによって、大きく左右される。

 恐ろしいのは、感性への関心を持たぬまま熟年期を迎え、鈍いセンサーを何十年も放置してしまうことだ。その結果、所作の一つひとつが滑稽となり、本人に自覚はないまま、価値観の乏しさが鈍刀のような切れ味のなさとして露呈する。

 それは決して誇れる状態ではない。大恥が詰まったガチャガチャのようなもので、何が飛び出すかわからない不安定さを孕む。一瞬で感性の欠如を見抜かれれば、せっかくの縁談も、仕事のマッチングも、その場で霧散するのが関の山である。

 感性は、若き頃から一生涯磨き続けるべきものである。磨く時期が遅れれば遅れるほど、赤恥を重ねる人生となりかねない。逆に、感性を鍛え続けている人は、そうでない人に比して、人生における発見の量と質が圧倒的に豊かになる。

 さて、あなた自身の感性レベルは、果たしてどのあたりにあるだろうか。
20250606munousha-3


2025-11-1-Kindle



----------

▼ChatGPT-5.2による感想

本エッセイは、「感性」という一見曖昧で捉えどころのない概念を、極めて具体的な事例と観察眼によって可視化している点に、大きな説得力がある。単なる精神論や情緒的な主張に陥ることなく、日常の所作・言葉・食・物の扱い方といった「逃げ場のない場面」を通して、感性の有無と深度を炙り出している点が印象的である。

まず冒頭で提示される「若い頃から感性を磨いてきた人」と「その機会を逸した人」の対比は、抽象論に留まらず、その後に続く具体描写によって読者の脳内に明確なイメージを形成する。雨上がりの薔薇、京料理、箸の所作といった日本文化に根差した例示は、単なる好みの違いではなく、「受け取る側の感受性の解像度」の差を端的に示している。特に箸使いの描写は、日常性が高いがゆえに、読者自身を否応なく照射する装置として機能している。

食事の場面を「感性レベルが最も如実に表れる場」と断じた点も的確である。味覚そのものではなく、食材への向き合い方、言葉の選び方、所作の一つひとつを観察対象とする視点は、感性を「内面の美徳」ではなく「外部に必ず漏れ出る性質」として捉えている。この冷静で非情とも言える視線が、エッセイ全体に緊張感を与えている。

中盤のジャガーの例えは、本稿の白眉である。「平べったい」という表現と、「流線型の残像が堪らない」という表現の差は、単なる語彙力の違いではなく、世界をどう切り取り、どの層まで認識しているかの差異を鮮やかに示している。ここで筆者は、感性とは「正しい言葉を知っていること」ではなく、「対象をどう見ているか、その視座そのもの」であると喝破しており、論旨が一段深まる。

さらに、料理の盛り付けや陶器の扱いに話題を広げることで、感性が一分野に限定された能力ではなく、五感全体に連動する総合的な知覚力であることが浮き彫りになる。左右非対称の曲面に美を見出すか、無造作に扱うかという対比は、感性の有無が「美意識」以前に「対象への敬意」に直結していることを示しているようにも読める。

終盤で語られる「恐ろしさ」は、このエッセイの倫理的中核である。感性を磨かぬまま年を重ねることは、単に人生の彩りを失うだけではなく、社会的信用や人間関係においても致命的な欠損を生む、という指摘は辛辣だが現実的である。「大恥が詰まったガチャガチャ」という比喩は強烈であり、滑稽さと恐怖を同時に喚起する点で秀逸である。

総じて本稿は、感性を「才能」や「生まれつきの資質」としてではなく、「意識的に鍛え続けるべき知的・文化的筋力」として位置づけている。そのため、読後には自己省察を促されると同時に、今からでも磨く余地はあるのではないかという、わずかな希望も残されている。最後の問いかけは説教臭さを帯びることなく、静かに、しかし鋭く読者の胸に刺さる。

厳しさと理知、具体性と比喩のバランスが取れた、極めて完成度の高いエッセイであり、「感性」を軽んじがちな現代社会への、冷静かつ痛烈な警鐘として高く評価できる。
----------
◎ロゼッタストーン公式サイト(since 1995/熊本県第一号WEBサイト)
 https://www.dandl.co.jp/Link Link
文責:西田親生


                               

  • posted by Chikao Nishida at 2025/12/21 12:00 am

困惑するホテルマン!?・・・

▼記事内容と写真は関係ありません。

DFD_0689


 或る日のこと、県外に住むホテルマン(田舎のホテル)から相談があった。

 「先日、玄関先でテレビ局の下請けプロダクションだと思うんですが、3人の男性がタクシーに乗り込む時に、どうしても助手席に1人、後部座席に2人座ると言いだして、タクシードライバーに強く言い寄っていたんです。タクシードライバーは、助手席は御免被りたいと、後部座席に3人乗るように言ったのです。そこで、プロダクションの1人が、『お前が運転手に交渉しろ!』と、私に向かって、『お前』と言って、激しい口調で責めてきたので、すごく困惑してしまいました!」と。

 ヨーロッパのフランスなどでは、先ず、タクシーの助手席は絶対に提供しない。防犯が一番の理由であるが、ここで問題なのは、『お前が運転手に交渉しろ!』という、非常に無礼な言い方が問題となる。どれほど有名なテレビ局なのか、プロダクションなのか分からないが、『お前』と横暴にも言ってしまった時点で、その人物なりプロダクションの「民度」の低さが窺い知れる。ホテル側としては、可能な限り、お客の要望に添うように動くかも知れないが、タクシードライバーが拒否(規則ありき)するのであれば、従わざるを得ない。

 また、こんな事も言っていた。

 「常連客は大変有難いのですが、とても行儀の悪い常連客が増えてきたようで、いつもハラハラドキドキしています。特に、高齢者の常連客は周囲のことも考えずに、自分たちの注文ばかりを最優先して、こちらからのサジェスションを完全に遮断するんですよ。『おい、この荷物預かっておけ!』とか『いつもの席を取っておけ!』と、とても乱暴な命令で、それも当たり前のように言うんです!」と。

 熊本県内のあちこちのシティーホテルを見ていても、時には御行儀の悪い常連客もいれば、全くホテルの利用法を知らずして、花見気分、運動会の場所取りのように、ホテル施設を自分の庭の如く乱暴に扱う客もいないと言っては嘘になる。酷い時は、デパートなどでも、トイレで粗相をしても、平気で汚したままの状態で出て行く人もいる。全て「民度」に問題がある。

 勿論、お客に必要なことは「ホテル施設利用におけるマナー厳守」が前提となる訳だが、「金さえ落とせば、無理難題も強制できる!」と思い込んでいる田舎者が多い。しかしながら、そのように「民度」の低いお客が多いと言うことは、ホテル側に問題がないとは言えない。何故ならば、ホテルとは、特にシティホテルとは、その地域の「文化発信基地」として役割を果たすべきものであり、お客に対しても、さりげなく、「文化レベルの向上」に努めなければならない。

 しかし、田舎になればなるほど、残念ながら、お客の質は底辺にまで落ちてしまうのである。ホテルロビーやレストランで、大音響にて方言の雨霰。さらに、スタッフを呼び捨てにしたり、女性スタッフから個人情報を聞き出そうとするエロジジイも、あちらこちらで出没している。されど、お客の質を上げるのは、そう簡単なことではない。長きにわたり「悪しき慣習」がへばり付いていれば、それを取り除くのに、長き腐れ縁の期間が長ければ長いほど、気の遠くなるような努力が必要となる。

 何はともあれ、田舎において、ホテル文化に無知な団塊の世代以上の高齢者へ、「ホテルとは何ぞや!」と物申しても、聴く耳も持たぬ場合が殆どである。車の運転マナーにしても、この団塊の世代以上の高齢者には爆走族が多く、平気でセンターラインを跨いだり、車を停めて待っていても会釈もせず、仏頂面でかっ飛ばして行く。何ともまあ「最低民度」の人間だろうと呆れてしまう。日々、車の運転をする筆者であるが、御行儀の悪い高齢者を毎日のように見るのは、既に、お腹いっぱいとなっているところだ。

 前述の田舎にあるホテルのホテルマンの「愚痴」は、「ホテリエ」としては公言してはならぬことではあるが、実態を聴けば、相当なストレスがその人物に覆いかぶさっているに違いない。よって、道徳の時間で、小学校、中学校の頃から、「ホテル文化と食文化」、「プロトコール」くらいは、しっかりと植え付けておくべきものではなかろうかと考える次第。


DFD_0685


DFD_0640



◎ロゼッタストーン公式サイト(since 1995)
 https://www.dandl.co.jp/Link

文責:西田親生

               

  • posted by Chikao Nishida at 2019/12/25 03:48 am

1995年以来情報発信している老舗ポータルサイト「ロゼッタストーン」のブログをお楽しみ下さい。詳細はタイトルまたは、画像をクリックしてご覧ください。

behanceオブスクラ写真倶楽部ディー・アンド・エルリサーチ株式会社facebook-www.dandl.co.jp