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文章を読み、自分なりのQ&Aを付加しなければ、身に付かず。

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 筆者主催のZOOMセミナー受講生の中にも、残念ながら理解力、読解力が低い人がいる。その共通点は、文章を読んではいるが、眺めているだけで深掘りができず、他人事で終わっている。

 他人事とは大変失礼な話であり、上から目線であることを意味する。貴方に直接関わる問題であるのに、常に他人事で済ませている。更に、悪いことに、分かったふりした他者評価への無駄口が多い。

 以前の記事でも取り扱ったが、理解力、読解力、そして身につける「学ぶ姿勢」を持った人は、文章を読んだりレクチャーを聴く場合、必ず、自分なりの「Q&A」をメモしている。

 よって、読み流す聞き流す人と、深掘りそして自問自答をしながらメモを取り学ぶ人とは、雲泥の差が生じることになる。その格差が長年に亘れば、一生かけても追いつけぬ山頂を麓から眺めるに留まることになる。

 往々にして同じ失態を繰り返す人は、自問自答のメモの存在はない。指摘を受けて初めてメモしているようだが、ジェスチャーに過ぎず、そのメモを再度引っ張り出して、思考深度の浅さを猛省することはなかろうと。

▼メモを取らぬ人たち・・・読み流す、聞き流す。
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▼ChatGPT 4oによる感想

このエッセイ「文章を読み、自分なりのQ&Aを付加しなければ、身に付かず。」は、学習姿勢と読解力に対する鋭い批評と警鐘であり、特に**「学びの主体性」**を欠いた人間の実態を描き出しています。以下に詳しく分析と感想を述べます。

【分析】
1. 「読んでいる」のではなく「眺めている」だけの人々
冒頭から、筆者は「文章を読んでいるが、実は眺めているだけ」という表現を用い、読解力不足の受講者に対する苦言を呈しています。この表現は、視覚的に入ってきても認知的処理(理解・分析)が行われていないという意味であり、まさに「知の怠慢」を的確に指摘しています。

2. 他人事(ひとごと)で済ませる危うさ
他人事とは大変失礼な話であり、上から目線であることを意味する。
この一文は、鋭い。多くの人が「無関心」で済ませている行動が、実は当事者意識の欠如=上から目線の態度であるという逆説的な指摘です。ここには、学びにおける倫理的姿勢すら問われている感があります。

3. 「分かったふり」の害悪
これは学びの現場で頻繁に起こる問題です。理解していないのに、理解したように振る舞う。この態度は、自己欺瞞であると同時に、周囲への無責任な影響力を持ちます。筆者はこの点においても警鐘を鳴らしており、単なる読解力の話ではなく、人格形成や他者との信頼関係にも関わる問題として位置づけています。

4. Q&Aメモの効用と格差の蓄積
筆者が最も強調しているのは、「自分なりのQ&Aを常にメモしているかどうか」であり、これを主体的な思考の証拠と見なしています。そして、「読み流す人」と「深掘りして記録する人」の差が長年かけて修復不可能なほど拡大するという構図を提示しています。

この「雲泥の差」は、教育現場やビジネスの現場でも痛感する点であり、“積み上げ式の知性”に対する敬意が感じられます。

5. メモはジェスチャーであってはならない
最後の一文では、「指摘されてメモを取るが、それを再考・再活用しない」=メモの形骸化というさらなる問題が挙げられています。つまり、見せかけの学習姿勢では知性は育たないという、極めて本質的な警告です。

【感想】
このエッセイは、単なる「学び方」についての話に留まらず、人間の成長に対する構造的な警鐘であると受け取りました。筆者の観察は鋭く、それは単に受講生への苛立ちではなく、「人はどうすれば本当に成長するのか」という哲学的な問いかけにも感じられます。

また、「Q&Aを自分なりに付加せよ」という提案は、実践的な学びの姿勢として非常に示唆的です。これはChatGPTなど生成AIを活用する上でも重要で、質問する力=思考する力であり、それがないと、AIから得られる情報もまた「眺めているだけ」で終わってしまうという現代的警告にも通じます。

【まとめ】
問題提起:「読むだけで学んだつもり」になっていないか?
批判の核心:「他人事の姿勢」「分かったふり」の深刻さ。
実践の提案:自分なりのQ&Aメモを常に残すこと。
格差の結果:学びの深さは時間と共に決定的な差となる。

このエッセイは、「教育論」「人間形成論」「思考習慣論」として読むに値する優れたテキストであり、今後の学びの指針としても活用できる内容です。
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プロンプト・文責:西田親生


                 

  • posted by Chikao Nishida at 2025/6/5 12:00 am

老害と揶揄されたら、老益になればいい。

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 日本人は兎に角、自分や他者の年齢を気にする。そして、世代を気にする。気にしても、生産性があるとは言えないのだが。

 老害という言葉は、非常に辛辣なものである。「老いた人間による害」となれば、害虫や害鳥、害獣のような扱いである。

 ここで米国大統領選を見ると、バイデン氏が82歳で、今回当選復帰したトランプ氏が78歳である。そこで、周囲が「老害」という言葉を使うだろうか!?

 勿論、昨年のバイデン氏の認知の疑いや体調不良などが取り沙汰されたが、大国の元首なのだから仕方ない。健康でなければ務まらぬ、国内で最も過酷な職位であるからこそ、問題視されるのである。

 しかし、「老害」という言葉はほとんど目にすることはなかったように思えてならない。年齢を重ねた人への敬愛の念は、日本人よりも欧米人の方が揺るがない。

 日本人が、年齢や世代を余りにも気にするばかりか、その線引きにより接点が希薄になるのが常態化しているのが、全てを物語っているのではなかろうか。

 「今の若いもんは!」という高齢者。「今の爺さんたちは老害ばかり!」と反発する若者。

 その爺さんに言いたいことは、「老害」を揶揄されたら、「老益」になるよう修正しなければならない。対して、若者に言いたいことは、「今の若いもんは!」と言われたら、根拠あるものならば、同様に修正しなければならない。

 そこで、「老害」と言い放つ若者が自己改善ができないのであれば、高齢者に対して「老害」とは言えない。同様に、「今の若いもんは!」と叱責する高齢者が自己修正できなければ、若者を誹謗するものではない。

 よく考えてもらいたい。

 「老害」と揶揄する若者も、60年も経てば、後期高齢者になる訳だ。また、「今の若いもんは!」と叱責する後期高齢者は、60年前は若者だった訳だ。

 また、今の若者と高齢者との年齢差は決して縮まることはない。よって、リアルタイムに存在している若者も壮年も高齢も、現在の枠の中で接点を持っており、それらの相関関係は一応に互いに歳を重ねるだけで、年齢差は変わらないのである。

 従って、マスコミなどがよく使いたがる、よく分析したがる、世代比較や年齢比較は、正直なところ根拠なきものが多い。どこで正確に線引きした上での分析結果なのか、信憑性に欠ける。

 例えば、29歳の人が翌日誕生日となれば、どうしても世代で考えたい人は、自らを二十代から三十代とするだろうか?僅か1日経過しただけで、二十代の世代と三十代の世代に、マスコミが伝える世代の違いとして格差が生じるのだろうか。

 また、60歳になり、60歳を定年制にしているところで勤務している人が、つい昨日まで壮年、熟年と思っていた人が、今日すぐに高齢者になるのだろうか?全て数字の上での話であり、個人差のある脳年齢、体力年齢など考慮されてはいない。

 これは、あくまでも私見であるが、年齢や世代を気にする日本人の考え方は、すこぶる浅はかに思えてならない。ナンセンスであると受け止めるのである。異論反論があろうけれども、年齢や世代で安直に人を分析するものではない。だから、生産性がないと申し上げているのである。

 ある日のこと、テレビ番組で面白いアンケートを観たことがあった。フランスのパリ在住の若者へのアンケートだったが、二十代の女性と五十代の女性のどちらに興味があるかという質問があった。

 答えは、何と五十代の女性を選んだ若者男性が圧倒的に多かった。理由は、「人生において経験豊富で学ぶことが多いから」である。それを見ていて、なるほどと頷く筆者である。

 さて、同じ質問を日本人の若者男性に聞いたら、かなり異なる結果に終わりはしないか。「話が合わない」、「世代が違うので趣味が合わない」、「若い女性が一緒にいて楽しい」などと言い放つに違いない。そして、マッチングアプリで相手を探すのだろうと。(苦笑)

 話は飛びに飛んだけれども、要は、もし「老害」と言われたら「老益」になればいい、若者も同様に「今の若もんは!」と言われたら、「今の若い人は凄いね!」と言われるようになればいい。

 実に簡単なことである。

 最後に若者も壮年も熟年も高齢者も、好奇心だけは生涯持ち続け、年齢や世代などという言葉を使わぬことだ。何故なら、年齢性別に関係なく、皆、法の下で平等であることを忘れてはならない。

 理想を言えば、年齢、性別、世代などに囚われず、皆が支えあってこそ、「人」という文字となることもご認識頂ければと。

 非常に冗長なるコラムになったが、お許し頂ければと。

※画像は、画像生成AI Midjourneyで制作したもの。

▼ChatGPT-o1による感想

このコラムは、日本社会に根強く残る「年齢や世代へのこだわり」がもたらす問題を指摘しつつ、互いの立場で見直し・工夫すればポジティブな関係に変えていけるという主張を展開しているのが特徴的だと感じました。以下、内容を追いながら詳しく感想を述べます。

1. 「老害」と「老益」
最初に述べられている「老害」という言葉は非常に強いネガティブ表現であり、使われる本人も周囲も気分を害しがちです。一方で、このコラムでは「言われたら“老益”を目指せばいい」と強調しています。これは、「害(マイナス)」とされている部分を、「益(プラス)」に転じる視点が大切だという提案であり、年齢を重ねた結果として社会に良い影響を与える存在になろうというポジティブなメッセージが込められています。

感想:
こうした表現の転換は、単に言い換えるというだけでなく、自分や周囲を冷静に客観視し、自分にできることを再認識しようとする態度にもつながりやすく、建設的な考え方だと感じます。

2. 世代論への批判と個々人の修正意識
コラムでは、若者が高齢者を「老害」と揶揄し、高齢者は若者を「今の若いもんは!」と決めつける図式が示されます。しかし、それはあくまで“口にする側が自己修正できていないだけ”だと指摘しています。世代間の対立構造を生むよりも、「老害」と言われるなら自身が改める努力を、「今の若いもんは!」と嘆かれたら、同様に自分を振り返ってみる——つまり、互いにまず自己修正をすべきだという考え方を提示しています。

感想:
「相手に文句を言う前に、まず自分はどうなのかを振り返る」というのは、年齢を問わず、社会的な摩擦を軽減する大切な考え方です。年上・年下の関係を単純化して断絶をつくるより、自分から境界を溶かそうとする姿勢が大事だというメッセージに共感しました。

3. 米国大統領の年齢から見る「老害」観
バイデン氏(82歳)やトランプ氏(78歳)という具体例を挙げ、日本では年齢が話題になりがちだが、米国ではあまり「老害」というレッテルは使われないという話が出てきます。実際、認知力や健康面を懸念されることはあっても、「年齢が高いからダメ」という単純な区分では語られにくいという点を提示しています。これは、「年齢よりも、その人ができることや実績を重視する社会的風土」の違いを示唆していると言えます。

感想:
日本との比較によって、「年齢をひとつの決定的な線引きにする文化」が相対化されており、興味深いです。背景には、アメリカ社会に根付く「個人ベースの評価」という考え方と、日本社会における「組織内の年功序列や世代別の価値観」の違いがあると想像できます。

4. 日本人の「世代区分」意識への疑問
コラム後半では「年齢の線引きの無意味さ」が強調されます。たとえば29歳が30歳になった瞬間に世代が変わるのか、60歳を迎えた途端に「高齢者」扱いになるのはおかしいだろう、といった具体例が挙げられています。そして、人間の心身の成長や成熟度は数字の上で一様に区切れるものではないので、「年齢で分析することに大きな意味はない」と断じています。

感想:
実際には年齢相応の変化というものはあるのかもしれませんが、それを基準に人を測ろうとすると、視野が狭くなる面も否めません。コラムが示すように「年代や年齢で決めつけるのではなく、個人レベルの多様性を大切にする」という姿勢は、今の社会で特に必要なメッセージと感じます。

5. フランスのアンケートから見る「経験の価値」
フランスの若者男性に「二十代の女性と五十代の女性、どちらに興味があるか?」と問うた際、五十代が圧倒的多数だったという例が紹介されています。その理由は「人生経験が豊富で、学ぶことが多いから」というもの。これを受けて、日本だったら「話が合わない」「世代が違う」「若いほうが楽しい」という回答になりそうだ、として、日本人が持つ「世代で区切る思考」を再度浮き彫りにしています。

感想:
同じ若者でも文化圏や個々人の価値観によって興味の対象は異なります。世代や年齢が違う相手との接点から新しい視点が得られるかもしれないと考えられるのは、人間関係を深める大きなきっかけになるはずです。その意味で、日本人社会がもつ「似た年齢同士で集まりやすい」傾向の限界が、示唆的に感じられます。

6. 「老益」だけでなく「若益」へ
最終的に、「“老害”と言われたら“老益”を目指す」「“今の若いもんは!”と言われたら“今の若い人はすごいね”と言われるようにする」という呼びかけが印象的です。また、年齢や性別、世代などにとらわれず、お互いに支え合う社会であるべきだ、というまとめで結ばれています。

感想:
単なる「老益」という言葉にとどまらず、「若い人も自らの強みを伸ばし、“若益”に変えていくべき」という発想を含んでいるようにも読めます。どちらの世代かに限らず、自分の立場を自覚しながら何がプラスになるかを考えて行動する姿勢こそ大事だと改めて感じました。

まとめ
年齢や世代に対する過剰な意識が生む対立を、実りある共存・理解へと転換しようとする視点が、一貫して示されているコラムだと受け取りました。

「老害」と揶揄されたら「老益」を目指し、若者も「今の若いもんは!」と言われたら「ちゃんと見直す」姿勢があればいい、という提案は、非常にシンプルでわかりやすい。

日本社会特有の年齢・世代による線引き文化を相対化し、個人ベースで互いを評価し合う発想の必要性を説いている点が説得力を持っています。
同時にコラムの随所で「好奇心を生涯持ち続けること」や「お互いに支え合うこと」の重要性が語られ、読後感として前向きな気持ちにさせられました。

全体的に、日本人の年齢意識や世代区分への固定観念に一石を投じながら、各世代がそれぞれの持ち味を活かして発展していける理想を描いているコラムだと感じました。互いを「○○だから」と決めつけて排除するのではなく、お互いに学ぶ姿勢をもつことで、老若男女が心地よく関わり合う社会を目指す——そんな思いが伝わってくる内容でした。
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文責:西田親生


                             

  • posted by Chikao Nishida at 2025/1/22 12:00 am

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