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ロゼッタストーンのオフィシャルBLOGです。1995年に熊本に生まれたポータルサイト・ロゼッタストーン。
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2009/09/25
コラム・雑感
公道使用許可の難しさ!
この記事をつぶやく
◎マレーシア/ランカウィの鍾乳洞とコウモリ
新聞社関連の企画業務に従事していた頃、伝統芸能からハイテクまで幅広く企画書を数多く書いていた。当時、皆が鉛筆や万年筆で筆耕していた頃、既に自前のパソコンを持ち込み、数倍の速さで企画書を書く事に快感を覚えていた時代である。
人を集めるにはどのような「客寄せパンダ」があるのか。読者は今何を求め、そして何を学びたいのか。意表を突く様なイベントとはどういうものなのか。入浴中であろうが、レストルームに居ようが、辺り構わず頭の中はブレーンストーミング状態であった。
しかし、企画という物は全てが全て成功するとは限らない。イベントにしてもセミナーにしても、常に物足りなさを感じつつ、納得の行かないまま次の仕事に移らなければならなかったのだ。
以前、一つの大きな仕掛けを県警に持ち込んだ事があった。それは大掛かりなイベント開催の為に、各所の公道使用許可を取らねばならかった。しかし、なかなか警察側の牙城は固かった。
実は、熊本県八代市から阿蘇方面までの世界最大級の国際トライアスロン大会を構想していたのである。八代外港で泳がせ、鏡県道を通り国道三号線から当時の中央町を自転車で抜け、当時の久木野村でマラソンに。そして阿蘇外輪山(南北25km、東西18km、周囲128q)を1周するといった大規模なスポーツ・イベントだ。
ここでネックとなるのが、国道三号線を横断する時どうすれば警察側を説得できるか。交通量の多い国道の自転車による横断は危険極まりなく、そのポイントを数百人のアスリートが走るには事故の危険性が高過ぎるのである。
それでも何度も足を運ぶ筆者に、県警担当官二人(警視と警部)は次第に背を向けて苦笑いをするほどであった。それでも食いついてまた足を運ぶ。
2回目の交渉の日に、筆者が「国道三号線のアスリート横断についてですが、アスリートが歩道橋を担いで歩くという事で、そこは許可願いますか?」と聞いてみた。担当官は意表を突かれたようで、暫く黙っていたが・・・「それは、事故回避に繋がり問題はなさそうですね。」と答えた。
それから幾度も警察側との押し問答が続く。また、担当官が地図を指しながら「そこは路線バスが通っているので、日頃お年寄りがバスに乗っています。そのバス停のところから次のところまでを交通規制するには問題が有る!」と言う。
すかさず、「では、1台の路線バスにその時間帯で何人ほどのお年寄りが乗られていますか?交通規制をして頂きたいので、その間をサポーターでお年寄りを背負って運んだら駄目ですか?」と押してみた。・・・担当官は無言だったが、駄目とは言わなかった。
このように一つ一つの詰めを行い、ほぼ全体像が見えて来た頃に再度担当官の所へ足を運んだ。これで全て公道使用許可が得られるのかと思いルンルンの筆者であったのだが・・・何とその日の朝刊に「宮古島でトライアスロン練習中に珊瑚礁で波に呑まれ二人死亡」という記事が載っているではないか。
最終詰めの段階に、担当官が「こういった死亡事故もあり、大変危険なものです。今回はその壮大な企画ではあるようですが、国際大会で事故があってはなりません。諦めてもらえませんか!?」と一言。1年近く構想を練って来た筆者の企画が白紙になったのである。糸が切れた凧のように、頭の中の緊張感が一瞬で消えてしまった。
今思い起こせば、その警備に警察官や警備員、サポーターがが2000人ほど必要となる。世界最大級の国際大会は夢幻となったのかと、肩を落として帰社したことを昨日のように思い出す。・・・そんな時、写真のコウモリのように気合でぶら下がって、逆転の発想で再度挑戦したいと意気込んでいた若かりし頃に苦笑いである。
■
登録2009/09/25 02:32:39 更新2009/09/25 02:43:15
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© 1995 D&L Research Inc.
計0436570 / 今日00029 / 昨日00424
◎マレーシア/ランカウィの鍾乳洞とコウモリ
新聞社関連の企画業務に従事していた頃、伝統芸能からハイテクまで幅広く企画書を数多く書いていた。当時、皆が鉛筆や万年筆で筆耕していた頃、既に自前のパソコンを持ち込み、数倍の速さで企画書を書く事に快感を覚えていた時代である。
人を集めるにはどのような「客寄せパンダ」があるのか。読者は今何を求め、そして何を学びたいのか。意表を突く様なイベントとはどういうものなのか。入浴中であろうが、レストルームに居ようが、辺り構わず頭の中はブレーンストーミング状態であった。
しかし、企画という物は全てが全て成功するとは限らない。イベントにしてもセミナーにしても、常に物足りなさを感じつつ、納得の行かないまま次の仕事に移らなければならなかったのだ。
以前、一つの大きな仕掛けを県警に持ち込んだ事があった。それは大掛かりなイベント開催の為に、各所の公道使用許可を取らねばならかった。しかし、なかなか警察側の牙城は固かった。
実は、熊本県八代市から阿蘇方面までの世界最大級の国際トライアスロン大会を構想していたのである。八代外港で泳がせ、鏡県道を通り国道三号線から当時の中央町を自転車で抜け、当時の久木野村でマラソンに。そして阿蘇外輪山(南北25km、東西18km、周囲128q)を1周するといった大規模なスポーツ・イベントだ。
ここでネックとなるのが、国道三号線を横断する時どうすれば警察側を説得できるか。交通量の多い国道の自転車による横断は危険極まりなく、そのポイントを数百人のアスリートが走るには事故の危険性が高過ぎるのである。
それでも何度も足を運ぶ筆者に、県警担当官二人(警視と警部)は次第に背を向けて苦笑いをするほどであった。それでも食いついてまた足を運ぶ。
2回目の交渉の日に、筆者が「国道三号線のアスリート横断についてですが、アスリートが歩道橋を担いで歩くという事で、そこは許可願いますか?」と聞いてみた。担当官は意表を突かれたようで、暫く黙っていたが・・・「それは、事故回避に繋がり問題はなさそうですね。」と答えた。
それから幾度も警察側との押し問答が続く。また、担当官が地図を指しながら「そこは路線バスが通っているので、日頃お年寄りがバスに乗っています。そのバス停のところから次のところまでを交通規制するには問題が有る!」と言う。
すかさず、「では、1台の路線バスにその時間帯で何人ほどのお年寄りが乗られていますか?交通規制をして頂きたいので、その間をサポーターでお年寄りを背負って運んだら駄目ですか?」と押してみた。・・・担当官は無言だったが、駄目とは言わなかった。
このように一つ一つの詰めを行い、ほぼ全体像が見えて来た頃に再度担当官の所へ足を運んだ。これで全て公道使用許可が得られるのかと思いルンルンの筆者であったのだが・・・何とその日の朝刊に「宮古島でトライアスロン練習中に珊瑚礁で波に呑まれ二人死亡」という記事が載っているではないか。
最終詰めの段階に、担当官が「こういった死亡事故もあり、大変危険なものです。今回はその壮大な企画ではあるようですが、国際大会で事故があってはなりません。諦めてもらえませんか!?」と一言。1年近く構想を練って来た筆者の企画が白紙になったのである。糸が切れた凧のように、頭の中の緊張感が一瞬で消えてしまった。
今思い起こせば、その警備に警察官や警備員、サポーターがが2000人ほど必要となる。世界最大級の国際大会は夢幻となったのかと、肩を落として帰社したことを昨日のように思い出す。・・・そんな時、写真のコウモリのように気合でぶら下がって、逆転の発想で再度挑戦したいと意気込んでいた若かりし頃に苦笑いである。