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食いしん坊と健康オタク、精進料理で一件落着!

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 あるnoterの方のプロフィールを拝見していると、「食いしん坊と健康オタクは両立できるのか」という興味深い問いが目に飛び込んできた。

 あくまでも私見ではあるが、その両立は十分に可能であると考えている。

 なぜなら、新聞社時代から起業後の現在に至るまで、食いしん坊を自認する筆者は、不定期ながら全国各地の精進料理や和食処を訪ね歩いてきたからだ。

 熊本県内の企業経営者を対象とした研修でも、筆者が半ば強引に行程を決め、北海道から沖縄まで、視察やオフ会などに「食の楽しみ」をしっかり組み込んでいたことを思い出す。

 研修が主なのか、食べ歩きが主なのか。そのあたりは、今となっては定かではない。

 つい先ほど、余計なお世話かもしれないと思いつつ、そのnoterの方へnoteを通じてメッセージを送ることにした。

 詳細はここでは控えるが、筆者が実際に訪ねた店や評判の良い店の中から、まずは二カ所を選び、その公式サイトのURLをお送りしたのである。

 ところで、かつて四、五回ほど足を運んだ、福岡県の八女茶発祥の地として知られる霊巌寺の精進料理は、実に素晴らしいものだった。

 また立ち寄る日を楽しみにしていたが、すべての料理を作られていた奥様が他界され、その精進料理は二度と味わえない「幻の料理」となってしまった。

 残念という言葉だけでは、とても言い表せない。思い出すたびに、胸の奥がしんと静まり返る。

 後日、息子さんに電話をかけたところ、お母様の後を継ぐほどの人がいないために、現在、精進料理は作っていないとのことだった。

▼幻となった霊巌寺の精進料理
<八女茶発祥の地>
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 そのほかにも、京都の天龍寺や、滋賀の月心寺で村瀬明道尼が腕を振るわれていた当時の精進料理など、忘れがたい味を堪能してきた。

 以下の写真は、京都での経営者研修視察の折、昼食に立ち寄った天龍寺の精進料理である。

▼京都・天龍寺の精進料理
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 精進料理というと、「肉も魚も使わない、質素で控えめな料理」という印象を持つ人もいるかもしれない。

 しかし、実際に目の前へ運ばれてくる料理は、色彩豊かで、季節感にあふれ、素材の持ち味を丁寧に引き出したものばかり。器や盛り付けまで含めて味わえば、物足りなさを感じる暇などない。

 食いしん坊の好奇心を満たしながら、健康にも気を配ることができる。そう考えれば、「食いしん坊と健康オタクの両立」という難題は、精進料理によって一件落着となりそうだ。

 ただし、いくら体に優しい料理であっても、食べすぎれば話は別である。

 食いしん坊という生き物は、「これは健康に良いから」と、自分に都合の良い理由を並べながら、つい箸を伸ばしてしまう。その点だけは、精進が足りない。

 日曜日の午前中から、このような料理の写真をずらりと並べるのは、目にも胃袋にも毒である。

 案の定、静かだったはずの胃袋が、突然、高らかに自己主張を始めた。

 これ以上書き続けると、昼食前に冷蔵庫を物色することになりそうなので、ここらで筆を置くことにする。

 ごちそうさまでした。

※ヘッダー写真は、「日本料理えのきぞのLink 」の茶会席の一品「はしり」

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▼ChatGPTによる感想

本稿は、「食いしん坊」と「健康オタク」という一見相反する性質を、精進料理によって軽やかに結びつけた、味わい深いエッセイである。

特に印象的なのは、単なる健康論や料理紹介に終わらず、筆者自身の食べ歩きの記憶が物語の軸になっている点だ。経営者研修に食の楽しみを組み込み、「研修が主なのか、食べ歩きが主なのか」と振り返るくだりには、筆者の食に対する並々ならぬ情熱と、親しみやすいユーモアが表れている。

中盤の霊巌寺の話には、文章全体を引き締める静かな哀感がある。料理を担っていた奥様の他界によって、その味が「幻の料理」になったという事実は、料理が単なるレシピではなく、作り手の技術や感性、人柄まで含めて受け継がれる文化であることを伝えている。「胸の奥がしんと静まり返る」という表現も、失われた味への深い思いを端的に表しており、心に残る。

後半では、精進料理に対する「質素で物足りない」という先入観を、色彩、季節感、素材の持ち味、器、盛り付けという具体的な魅力によって覆している。食欲を満たすことと健康を意識することは、必ずしも対立しない。むしろ丁寧に作られた料理を五感で味わうことこそ、両者を結ぶ道なのだという主張には説得力がある。

また、「健康に良いから」と自分に都合の良い理由をつけて箸を伸ばし、「その点だけは、精進が足りない」と落とすくだりが秀逸である。「精進料理」と「精進不足」を掛けた言葉遊びによって、重くなりかけた話を再び明るい調子へ戻している。

最後に胃袋が「高らかに自己主張」を始め、冷蔵庫を物色する前に筆を置くという結びも楽しい。冒頭の問いに答えを示しながら、最後は理屈ではなく食欲が勝ってしまう。その人間らしさが、本稿の最大の魅力である。

読後に残るのは、精進料理への興味だけではない。二度と味わえない料理への惜別、作り手への敬意、そして「おいしく食べられる今」を大切にしたいという思いである。笑いと郷愁がほどよく調和した、読者の心と胃袋を同時に刺激するエッセイだと感じた。

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文責:西田親生


                   

  • posted by Chikao Nishida at 2026/8/31 12:00 am

若くしてこの世を去った匠たち・・・

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 筆者の本業は「ICT全般」と「企業コンサル」であるが、現在は、私塾として「Well Done」を運営しており、カリキュラムは「ICT」のみならず、「ホテル文化と食文化」、総合的な「社会人教育」、「グローバルスタンダード」など、間口も広く、多岐にわたっている。

 中でも、「ホテル文化と食文化」については、社会人となり現在に至るまで出逢ってきた凄腕料理人との思い出深く、大変世話になった匠については、感謝しても感謝しきれぬほどである。

 匠の中でも、若くして病魔に襲われこの世を去った人も多く存在する。すこぶる悲しいことであるが、「食」に命をかけた匠の生き様はそれぞれであるものの、優しい料理を笑顔でサーブしていた匠の生前のことが忘れられない。

 亡くなる前に百貨店1階で出会い、最後の握手を交わした居酒屋の料理人。脳梗塞にて倒れ、他界する3日前に、絶妙なコース料理を創ってくれた地中海料理のシェフ。突然、舌の感覚がなくなりフレンチシェフを断念した40代の凄腕料理人など、多くの匠が若くしてこの世を去った。

 とても繁盛していた居酒屋の料理人の料理で思い出深いのは、蓮根の磯辺揚げ。地中海料理で印象深かったのは、魚料理。そして、フレンチシェフによるクリスマスの七面鳥の丸焼きなど、今でも、その当時の光景や会話、そして料理の温かみや味を鮮明に覚えている。

 いくら凄腕であったとしても、若くしてこの世を去るのは、あまりにも悲しすぎる。もっと、多くの人たちに、心が籠った本物の料理を精一杯提供できただろうに、惜しい人たちが目の前から居なくなった。

 昨日も、全国的に有名なシェフが急に倒れたとの情報が入った。イベント中に動脈乖離で緊急入院となったらしいが、熊本市からは遠く離れた地のシェフであり、早期回復を願いながらも、動脈乖離の恐ろしさに胸が痛くなってしまう。

 人は身も心も健康で元気が一番である。生きていれば辛いことに背を向ける訳もいかず、ストレスが募る時期もある。ただ、そこで思ったのは、「睡眠不足」が、不健康の傷口を広げる大きな要因ではないかということだ。

 折角、授かった命でれば、少しでも世のため人のために貢献できる人たちは、長寿であって欲しい。しかし、人によっては、短命にてパンパンに情熱を詰め込んだ人生も良いのではと語る人もいる。

 どちらが良いのかは、本人が決める問題であり、筆者や他者が決めつけるものではないにしても、若すぎる絶命は、神の悪戯どころの騒ぎではない。筆者は信心深くない人種に属しているけれども、この時ばかりは、神に対してイラッとしてしまうのである。

▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイ「若くしてこの世を去った匠たち」は、筆者が出逢った優れた料理人たちとの思い出を振り返りつつ、彼らが若くしてこの世を去ったことへの深い悲しみを綴っています。エッセイは、料理という芸術に情熱を注ぎ、その結果、多くの人々に感動を与えた匠たちへの敬意が強く感じられる内容です。

まず、エッセイの冒頭で、筆者が「ホテル文化と食文化」に特別な思いを持っていることが明確に描かれています。この分野に対する長年の関心と、実際に出逢った料理人たちが筆者の人生にどれほど影響を与えたのかが深く伝わってきます。その一方で、彼らが若くして命を落とす運命にあったことが、筆者にとって耐え難い悲しみであったことも繰り返し述べられています。特に、「感謝しても感謝しきれぬ」といった言葉からは、亡くなった料理人たちとの個人的なつながりが深く、感情的な重みが感じられます。

さらに、個々のエピソードにおいて、料理人たちが提供した料理の思い出が具体的に描かれています。例えば、蓮根の磯辺揚げや七面鳥の丸焼きなど、それぞれの料理が筆者に強い印象を残していることが分かります。これらの料理は、単なる食事ではなく、料理人の情熱と技が詰まった「心のこもった一品」であり、それが筆者の記憶に強く刻まれたのだということが伺えます。この点で、料理そのものが彼らの生き様を象徴しているかのようです。

エッセイの後半では、料理人たちが早く亡くなった背景に健康問題があることが触れられています。特に、「睡眠不足」やストレスが健康に悪影響を与える要因として考えられている点が興味深いです。筆者は、彼らがもっと長生きして、多くの人々に本物の料理を提供し続けて欲しかったという思いを率直に述べており、その切実さが伝わってきます。また、命の長さについての議論が展開され、短くても情熱的に生きることが一つの生き方であることも認めつつ、それでもなお、若すぎる死に対して筆者が抱く無念さが強調されています。この部分からは、筆者自身の人生観や、料理人たちへの強い共感が感じられます。

最後に、筆者が「神に対してイラッとしてしまう」と述べるくだりは、このエッセイの感情的なクライマックスです。筆者は普段、宗教的な信仰に対して冷静であるようですが、料理人たちが若くして命を落とすことに対しては、神の存在にさえ怒りを感じている点が、非常に人間的で感情に訴えかける表現です。

このエッセイは、料理人たちの技術や料理の素晴らしさだけでなく、彼らの人生に対する筆者の深い敬意と感謝、そしてその短命に対する無念の思いが凝縮されています。筆者の言葉は、彼らが生きた証を決して忘れまいという強い決意を感じさせますし、その中に込められた温かさや悲しみが読者に深く響きます。
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文責:西田親生


                 

  • posted by Chikao Nishida at 2024/9/23 12:00 am

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