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お人好しは、馬鹿を見る。

◎記事と写真は関係ありません

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 新聞社時代に企画を専業としていたので、仕事にしてもプライベートにしても、何事も筋が通らなくては気が済まない。最近それを分析すると、とても厄介で馬鹿らしいことが、遅ればせながら理解できたような気がする。遺伝的に、母親の性格に似たところもあり、神経質ではないが、歪んだ所が気になって仕方ない。

 企画の仕事とはゼロからのスタートであり、プランニングの段階でちょっとでもベクトルを間違えば、後々、想定外に滅茶苦茶な方向へと流れてしまう。よって、プロジェクトがスタートする前に、色んな角度においてシミュレートしながら、仮説を立てたり、消去法を用いたりして、ベストな方向性を見出す必要がある。

 特に、仕事に関してはGET&GETではなく、GIVE&GETのスタンスにて、世話になったら必ずお返しをする。迷惑を掛ければ、何とか相手が納得行くまでフォローする。それが、人間関係において重要であると、幼い頃からの厳しい躾もあって、相手の立場をよく考えた上で行動するようにしている。もし、できない場合は相当なストレスに苛まれることになる。

 先般記事に書いた、「言葉が通じぬじれったさ」。なかなか自分が発する言葉を掘り下げて理解してくれる人が、とても少ないことに近頃気付かされたのであった。つまり、言葉の核心部分が全く伝わっていないのである。理由は分からないが、その程度の薄っぺらなコミュニケーションなのだろうと。

 起業して32年目に入ったが、振り返れば、一つを頼まれれば十を返すほどの勢いにて、とことん集中して与えられた課題に尽力してきた。されど、その善意の情熱でさえも途中から悪行に受け止められ、妙に不協和音だけが漂っていた。だったら、初手から軽々なノリにて頼み事をこちらへ持ち込んで欲しくは無い。

 結局は、自分第一主義にて、他人へ頼むことは迷惑を掛けるものではなく、それに対応してくれたらラッキー程度のノリなのだろうと。子供じゃあるまいし、他人に無償ボランティアを依頼するのならば、必ず、お返しをする気持ち(志)をもってオファーを掛けねば、人として如何なものかと考える次第。

 しかし、今までのように人様のためにビジネスで何とか役立とうと一所懸命になったとしても、それに対して感謝もなく、ラッキー程度で終わるとなれば、馬鹿らしいの一言となる。互いの信頼あってこその無償ボランティア請負であり、単に他人を利用するのが目的だったとするならば、迷惑千万な話である。

 そんな人が増えてきているように思えてならない今日この頃だが、いい大人が学生気分が抜けきれず、社長業をしているのに重責を感じさせず、「逃げ」の姿勢しか見せない人がすこぶる多い。有言実行などどこ吹く風。そういう人ほど、SNSではプチセレブで良い人気取りな情報発信がやけに目立つ。

 口は災いの元。できぬ話は人様にするなと言いたくもなる。リップサービスだとしても、厚顔無恥もそこそこにして欲しい。誰々を紹介するなんぞ、相手を期待させるような人参ぶら下げる軽々な言葉を発する人は、初手から信頼の枠外に置く必要があり、可能な限りビジネスライクな話をしない方が賢明となる。


▼歴史の重みを感じさせる泰勝寺跡の庭木
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写真・文責:西田親生

           

  • posted by Chikao Nishida at 2021/12/27 12:00 am

自然体は最強の武器・・・

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 誰だって、一日中物事が思うように進まないことがある。誰だって、何かを苦手に感じると、次の見えざる苦手に対して被害妄想となる。誰だって、思いとは真逆のベクトルへと導かれることがある。そこで、知らぬ間に、急に潮目が変わったり変わらなかったり・・・。

 いつまでも過去を思い起こし頭を痛めていると、次へのステップどころか、毎回振り出しに戻され、身動きできぬ状態に陥る。過敏にクヨクヨする人が多いが、何か物事が上手く行かねば、次から次へと負のスパイラルを呼び込んでしまい、結局は繭の中に閉じ籠ってしまう。

 どのようにしたら人から好かれるだろうか、こんな具合に話を持ち込めば相手は喜ぶだろうか、浅知恵を振り絞ってわざとらしく演出するから、何も良い答えは返ってこない。自身の体裁ばかりに気を取られ、本来進むべき道から逸れていることに気づかないのである。

 筆者は、若き社会人の相談事に対して、真っ先に「自然体」を諭すことにしている。あれこれ演出過多となっても、何も得るものもなく、何の解決にも至らない。本意をしっかりと伝えるには、「自然体」が一番だと諭すのである。万が一、それで相手と噛み合わねば、それはそれで善しと受け止めれば良い。

 あれこれ枝葉末節を支離滅裂に語り、遣っている感を演出したとしても、無意味なことである。結局、愚策や言い訳は簡単に見破られ、自身の信用の失墜をもたらし、捌けぬ人間、ええ格好し〜の人間、あてにならぬ人と、嘲笑されるばかりだ。

 また、優しさが「切り札」だと豪語する偽善者もいる。優しさを演出すれば善人風に見られ、物事が上手く行くと考えるからだ。それは偽善者の典型的な挙動であり、信用のおけぬ人として周囲の人たちは去って行く。飴と鞭と言うように、優しさには必ず厳しさがあってこそ、その優しさが際立つ。勿論、暴言、恫喝、暴力などは論外となるが・・・。

 義理堅い人物についても、表面的で損得勘定ありきの義理堅さ風では、本末転倒。本来の義理堅さとは、美辞麗句など不要。常日頃からお世話になっている方へは、仰々しく美辞麗句を並べなくても、毎日、お世話になっている方を思い起こし、感謝の念を持ち続けることが、義理堅さと言える。

 そうしている中で、自身が大切にしている方々への恩返しができる時に、それも互いに元気な内にしっかりと恩返しをしなければならない。一度でも助けられたら、助けて頂いた方が困っている時に、お役に立つことである。それは、死んでも忘れることのない「恩」であるからだ。

 何はともあれ、一つの問題を解決するのに、複雑に綾取りのような動きをしないこと。「自然体」を貫き、意に反する経緯、結果にバタつかず、ベクトルの微調整、修正に努めれば、必ず好転の風が吹いてくる。それも、慌てず急がず「冷静沈着」に、である。

 末筆ながら、前職時代の先輩A氏の話をしておきたい。公私共に大変世話になり、先輩後輩の関係というよりも、幼友達のような信頼関係であった。或る日、筆者の体調が急変し苦しんでいた時に、仕事を放り出して、一所懸命介抱してくれたのだった。

 しかし、残念なことに恩返しができないまま、その先輩は若くしてこの世を去ってしまった。先輩のウィッツに富んだトークと笑顔。厳しくも優しく、常に「自然体」で「率先垂範」の鏡であった先輩。筆者がこの世を去っても、決して忘れることはない。

 「我が人生の恩人」として・・・・・。


▼孔子公園のヒョウモンチョウと花々
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写真・文責:西田親生

         

  • posted by Chikao Nishida at 2021/9/11 12:00 am

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