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「徳」を、友と語り合う。

▼デジタルは所詮手段やツール・・・最終的に残る重要なものは、アナログである。

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 自分自身を第三者がどう受け止めて、どう思っているのか!?・・・これは自分なりに把握しているようで、全く分からないところであることを、友との会話で思い知らされた。

 新聞社を辞め、昇り龍の勢いで起業したのが23年前の秋。会社経営、新規事業立ち上げ、機材導入、クライアント対策、トラブルシューティングなどなど、しっかりと自分の背中を客観視していたつもりが、今日の友との会話により、大切なところが自分自身に欠落していた事に気付いたのだった。いや、気付かされたのである。

 常に一匹狼で、周囲のボランティア団体など一切加入することも無く、筆者の眼は常に国内大都市、そして海外を見ていたのだった。インターネットを1995年早期にスタートしたのも、1994年に日経新聞本社に勤務する海外情報担当者との電話での会話の一言で決断したことを思い出した。

 彼は、こう言った。「インターネットが話題になりつつありますが、まだ日本には上陸していないのですが、西田さんはビジネスとしてお考えですか?」と。・・・アバウトながらインターネットの存在についての知識はあったものの、それを直ビジネスで展開する事は、まだ自分の頭の中では整理がついていなかったのである。(仕事の分水嶺的な時期)

 前置きが長くなったが、本日の友との会話で気付かされたのは、このインターネット着手後とそれ以前の自分自身のビジネススタイル、ライフスタイルが180度変わってしまったのである。

 会社創設から1995年にインターネットに着手する前は、NHK衛星放送、関西テレビ、テレビ新広島、愛媛テレビ、九州朝日放送と、全国を行脚し、自社の得意分野であるマルチメディア、特にコンピュータグラフィックス動画供給で東奔西走し、常にFACE TO FACEで仕事の打ち合わせをしていた。

 当時、東京でも海外でも、何処でも距離感を感じることなく、大企業のエグゼクティブ・プロデューサー、プロデューサー、ディレクター、放送作家など、多くの方々とFACE TO FACEで話し合いの時間を持ち、次から次へと新しい分野に挑戦していた自分を思い出したのである。

 ところが、友との会話の中でふと気付いたのは、1995年以来、自社サーバーを設置(不安定で24時間体制で監視する必要があった)して、自治体や企業の公式サイトを預かるようになるなど・・・今までのビジネススタイルとライフスタイルが180度変わらざるを得なくなったのは事実。

 雷雨やその他災害の時には、宴会中でも直ぐさまタクシーでオフィスに戻り、サーバーを安全にシャットダウンする作業が必要となり、今までのように気楽に国内外へ出張する事ができなくなったのである。そこで、デジタル・コミュニケーションの仕組みをフルに活用し、対外的な意思の疎通にそれらがメインとなって行ったのである。

 FACE TO FACEで走り回っていた自分が、真逆にも、いつの間にか穴蔵生活となり、ビジネスで最重要であるFACE TO FACEに費やす時間がどんどんと無くなってしまい、電子メールやその他のデジタルツールだけで処理をしてしまうという、本末転倒なレールを敷いてしまったのだ。

 なるほど、友との会話の中で、「メールや電話だけでは、仕事に関しても、プライベートに関しても、何事もFACE TO FACEに勝る物はないよな!」の結論が、デジタルが身に染み渡った筆者にとって、後頭部を鈍器でガツンと殴られたように感じられたのだ。

 職業柄、当然必須と思っていたコミュニケーション・ツール・・・デジタル。ここ数年、頓にアナログを探究しつつある自分の背中を見て、アナログの大切さを語りながら、じわじわと染まりきった全五感にカンフル剤を打ちたかったのかも知れないと・・・随分に遅ればせながら気付いたのであった。

 今からでも遅くはないと自分に言い聞かせつつ、「徳」についての再修行を決意した今日の午後だった。

▼笑顔を求めて
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  • posted by Chikao Nishida at 2014/1/23 12:00 am

頑固な老人への説得工作

to father



 2011年10月17日。今から約2年前の話である。・・・運転免許証を返上させて、直ぐに電動付き自転車を購入した父。数日後、心配していた矢先に、坂をフラフラと両足を広げたまま猛スピードで下って来る父と出くわした。随分前にBLOGニュースで書き綴った事だが・・・たまたまパソコンデータを整理していると、当時、筆者が父に実際に手渡した文書(文書画像上)のデータが出て来たので、恥を忍んで敢えてこの場でご披露したいと思う。

 その時の父の年齢は84歳。・・・現役時代は検察官として目付きも鋭く、多趣味で実に捌けた男だった。よって、息子である筆者が社会人となっても、なかなか気楽に話し掛けてくれる事もなかった。息子としては、現在の家庭の状況や仕事の問題もさることながら、我が家の将来について、しっかり腹を割って語りたかったのだが、筆者が50代になっても、互いのコミュニケーションは皆無に近かった。

 高尚なオーラを放つ頑固な父が満63歳で現役を去り、それから2社ほど企業顧問を歴任し、70歳を過ぎて老後の生活へと突入。その後は、自治会の世話をしたり、趣味のゴルフやドライブに思う存分時間を費やしていた。しかし、浮沈戦艦と自負していた父も、歳を重ねるにつれて段々と縮まり、あっと言う間に、あの大きな背中が小さくなって、ただの白髪の老人と化して行った。

 しかし、強靱な肉体と精神を持つ武士のような父(6歳から剣道を嗜んでおり教士号を持っている)は、欲目で見ても、古老の武士か仙人のような出で立ちとなって行ったのだ。

 人は皆、自分自身が老いて行くのを、心の中で否定したがる。父もご多分に漏れず、彼自身の老化を一切認めようとはしない。・・・しかし、80代となり、フラットな自宅廊下で転んだり、胡座をかいていてそのまま後ろに倒れたりと・・・だんだんと、その老化は顕著になって行く。

 話は前後するが、父の老化が段々と深刻になりつつある事に気付いたのが、前述の電動付き自転車事件だったのである。・・・筆者は仁王立ちとなり父の自転車を制止した。本人は笑って誤魔化していたが、眼光がやや弱まっていたようなので、認知も入り掛けたかと察知したのである。

 道路の真ん中で、本人に「自転車には乗らないでくれ!万が一、歩行者に体当たりして怪我させたり、又は自損事故で死んだらどうするんだ!」と、少々厳しい口調で語ったことを覚えている。しかし、頑固爺は息子の言う事など「戯言」のように受け止めたのだろうと・・・。

 翌日、父の家に行くと、電動付き自転車のバッテリーをちゃっかりと充電しているではないか。・・・「こりゃ駄目だ!」と判断し、直ぐに筆者の自宅へ戻り、上の手紙をワープロで作り、即座に出力して父へ手渡すことにした。

 父の自宅へ行き、父の正面で正座をして一礼、「お父さん。一つお願いがある。これを読んで、考えてくれ!」と、A41枚の上の手紙を渡して、さっと父の自宅を出て行った。

 それでも電動付き自転車はちゃんと有る。・・・また乗るのかと覗き込むと、いつもと様子が違い、自転車には銀色のカバーが掛けられてしまったようだ。

 それから数日後、検察時代の後輩K氏が父の自宅を訪ねて来ていたようだった。・・・K氏は、父とはゴルフ友達で、OBとなっても毎週のように一緒にゴルフを楽しんでいた仲間の一人だった。

 K氏が戻って直ぐに、父から筆者の携帯へ電話があった。「お前が書いたあの手紙を読んで、K氏は感激し、是非自分の息子に見せたいから、その手紙をくれと言って、持って帰って行ったぞ。・・・だから、自転車は乗らないと決めたので、安心して貰いたい。」と、人が変わったかのように、おとなしいトーンで語ってくれたのだった。

 それから1年5ヶ月後の今年3月6日に、父は虚血性心疾患で急死した。痛みも何もなく、息を引き取っていた。・・・たぶん、頑固な仙人は、その当時、自分が世を去るとは予期もしてなかったのだろうと推測するが、自分の両親が老齢になった時に、どう対処すべきかを日々考えさせられた、この2年間でもあった。

 他界するまで医者いらずだった事には感謝したいが、ただ一つだけ心残りは、親子間の胸襟を開いた対話は度々すべきだったと。・・・反省している筆者が居る。


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  • posted by Chikao Nishida at 2013/10/4 09:13 pm

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