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現実と妄想の狭間で・・・

▼イメージ写真:バランスの良い料理は配置も彩りも美しい

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 色んな事を夢見て、妄想を過度に巡らす人々が居る。しかし、それが如何に現実と懸け離れていたとしても、思い込みや自己過信により、何でもかんでも可能であるかのような錯覚に陥ってしまうのである。更に、そのプロセスの中で、時には冷静さを欠いたり、時には強い欲望が絡んでいたりすると、結果的に取り返しがつかず、厄介な事となってしまうのだ。

 筆者は常に冷静沈着を軸とし、根っから現実主義を貫く類いの人間なので、この妄想からは縁遠く、正直申し上げて、かなり抵抗もある。よって、実感として理解不能なところが多々ある訳だが・・・ふと最近、気になることがあったので調べてみることにした。

 ものの本によれば、妄想が異常なまでに酷くなると、これは間違いなく病的なものであり、本人はその妄想に対する病識は全くないと記述してある。また、妄想は内容によっては、誇大妄想、被害妄想、宗教妄想など多種多様なものが存在していると言う。

 普段からよく耳にする誇大妄想とは、現実逃避を行い、自分に対する過大評価に繋がって行くが、その原因としては自己評価と他者評価のバランスの悪さが起因していると言われているようだ。対人関係において、社会的に立派な方々を見下したり、常に上から目線で人を見るという悪癖を持っているように思えてならない。

 被害妄想は、神経過敏な人に多いが、他者からの好意的な注意やアドバイスであったはずのものが、その意に反して、極めて犯罪的な叱責、干渉を受けていると思い込んでしまうようだ。

 宗教妄想とは、自分自身に何か超次元的で特殊な能力があると信じ込んだり、霊界から特別な暗示を受けあらゆる病気を癒す力や物を変えられる力を授けられたなど、内容が極めて非日常的且つ訂正不能な強固な確信があることが特徴となっているとある。

 筆者自身は、どちらかと言えば超ポジティブに生まれ育って来た人間だ。・・・人並みに夢や希望は有るとしても、妄想癖は皆無に等しい。勿論、精神医療の専門家では無いけれども、五十数年生きてきた中での経験学的な見地でその妄想を分析してみると、過去における不慮の事故、挫折、劣等感、恨み、辛み、妬みなどが輻湊し、いつの間にか見えない非現実世界の殻に閉じ込められてしまった状態なのではないかと推察する。

 人は心に傷を持ち、心の拠り所を失うと、現実逃避したり、妄想に駆られるのは理解できない訳ではない。よって、不安に満ちた生活環境から脱却するために、先ず、心の拠り所を見い出し、平穏無事な環境下に切り替え、じっくりと自らの挙動、言動などを冷静に振り返る事も大切なのだろうと考える次第。

 私事で大変申し訳ないけれども、この超ポジティブな人間が、今年3月の父の急死に直面し、生まれて初めて強烈に凹んでしまった時期があった。食欲も失せ、周囲の心無い一部の人間の言動により、我が人生観が揺らぐような経験をしたのだった。その時、温かい心をもって接してくれた方々のお陰で、鉛のように重くなっていた全ての臓器が、完全復活できたのだった。・・・実に有り難かった。・・・感謝に堪えない。

 心の拠り所・・・それが有る、無しでは、人生が全く異なるベクトルへと導かれて行くのだろうと・・・万病に効く、心の拠り所。・・・その重要性を深く深く認識した筆者であった。


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  • posted by Chikao Nishida at 2013/10/30 03:10 am

カメラは人生そのもの・・・

▼視野を広く見識高く人生を歩む人には、世間がこう見える!!

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 最近、先見塾では一眼レフの写真倶楽部を創部し、定期的に野外活動の一環として写真撮影会に足を運ぶことが多くなった。

 撮影会や取材は実にアクティブで楽しいものだが、誰しもそう簡単に撮影できるものではない。・・・カメラ本体に、望遠、広角、マクロなど、色んなレンズを装着して、撮影場所の環境を伺いながら、一つ一つ設定を確認しながら撮影に臨むのである。・・・ふと、カメラの世界って、ゴルフと同様に人生そのものなのかも知れないと・・・筆者の持論、極論だけれども、そう感じたのであった。

 ファインダーを覗く時、自分の視野の限界を感じる。レンズによっては、望遠ではぐっと視野が狭くなり、マクロではピンポイントで重箱の隅をつつくように、小さな地球がその視界に迫ってくる。

 カメラ本体をオートのまま撮影するということは実に容易いが、それは人任せの他力本願的な撮影法となり、自分なりの拘りや彩りの表現ができないままとなってしまう。されど、全て手動で設定して撮影しようとすると、ISO、絞り、シャッタースピード、色温度、レンズの組み合わせ次第では、見えるものも見えなくなり、心に映るものも闇の世界となってしまう。

 千里眼という言葉があるが、人生を歩む時に超望遠レンズを持っていれば、将来を見据えてしっかりと歩むことができる。しかし、視野が自ずから狭くなるので、時には超ワイドレンズ(魚眼レンズも含む)を心に持ち、自分の周囲や足下までを検証する事も必要となる。更に、不慮の事故など予期もせぬ事に直面した時には、どうしてもマクロレンズ的な検証も重要になってくるのだ。

 また、必要以上に外からの矛先(外圧)が強い場合は、フィルターを装着しなければ、自分の人生が危うくなり、それが強い逆光(逆境の駄洒落)の時には、自分自身のフラッシュをたき、毅然とした態度で意思表示を行うことにより外圧を阻止しなければならない。

 16世紀、絵画の下絵を描く為に開発された道具が、カメラ・オブスキュラである。これがカメラのご先祖でもあるが、それから数百年の歴史を経て、現在の高機能、高精度のデジタルカメラが世に生まれてきた訳だが、我々人間も、人生において、それなりに高機能、高精度な能力を得る事により、間違いのない人生を歩むことが出来るのではないかと考える次第。

 畢竟、後先を考えず、視野狭窄のまま楽してダラダラした人生を歩んでいると、周囲から「馬鹿ちょんカメラ」と言われ、一見、映りは良さそうだが扁平で奥行きのないベタな人生に終わってしまう可能性が高そうである。くわばら、くわばら。・・・


▼視野狭窄な人生を歩む人には、世間がこう見える!!
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  • posted by Chikao Nishida at 2013/7/28 02:02 pm

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