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現代高齢者への警鐘

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 これは、心無い、又は、勘違い、履き違えしている、極一部の高齢者への警鐘である。

 兎に角、高齢者の車の運転が荒い。特に、高級車を運転する70代の高齢者の横柄なる運転が危険極まりないのである。だから、高齢者による重大事故が多発している。

 狭い道路では、当然のように「俺の車は高級車だから、中央線越えても、相手が避けてくれる!」と思い込み、大胆にはみ出し禁止の道路でもお構いなしに突進してくる。そして、対向車を睨みつけて走り去る。

 歩道で会釈をしても、仏頂面にて通り過ぎて行く。駐車場へ車を入れようとしているのに、スピードを上げて被せて通り過ぎて行く。それも、似合いもしないサングラスを掛けての危険運転。開いた口が塞がらない。

 レストランでは、常連客ぶって、スタッフへも名指し、呼び捨て。本来ならば、経験豊富で、優しく理解あるおじいさん、おばあさんであるべきだが、とんでもない罵詈雑言が響き渡る。時には、他の会社の人事などを大声で聞く婆様も居る。厚顔無恥もここまで酷いと、完全に「老害」となる。

 こちらのテーブルでは、マスクを外し、椅子に踏ん反り、機関銃のように喋りまくる。既に食事が終わっているのに、感染防止など「我関せず!」で周囲に迷惑を掛ける始末。

 既に現役を退いているのであれば、誰しも敬愛の念を持つような人格者であって欲しいものの、過去の職位を光らせて、暴言や横着な態度をとること自体、民度の低さを露呈している。日々恥の上塗りをして、街中を徘徊するのだから、これまた「老害」という言葉で揶揄されることになる。

 会社では、高齢重役らが若手を育てぬまま、いつまでもバトンタッチ(世代交代)に着手せず、「老害」のフル稼働をしているところも多い。会長職や相談役などの職位をわざわざ加えてまで君臨したがる、高齢経営者。黒塗りの公用車の後部座席から、マフィアのような装束、形相でホテル玄関で降りる。あまりに滑稽すぎる光景(映画の真似)は、失笑ものだ。

 筆者は世代を全く気にせず、色んな人たちとのコミュニケーションを大切にしているが、自覚のない一部の高齢経営者は、頭から若い世代の人たちの「否定」から話を進める。「どんだけ、偉いの!?」と聞きたいほど、虚栄に満ちたオーラは、見ているだけで、恥ずかしくなってしまう。

 まあ、老いも若きも、マウント大好き人間はいるけれども、厚顔無恥なる高齢者のマウントは、正直なところ頂けない。貴重な経験談を「武勇伝」としたがるから嫌われる。貴重な体験であれば、噛み砕いて、自らが主人公にならず、一般論として、若い方々へのヒントとして語るが、ずっとスマートである。

 高齢化社会と言われるようになって数十年が経つが、一部の高齢者の愚行、蛮行が、全国津々浦々にて、果てしなく続いているというのが現状である。長寿世界一となった頃から、頓に「老害」という言葉がネット上で飛び交うようになった。

 欧米では、高齢者に対する敬愛の念やその取り扱いは、とても素晴らしい。それは、全ての世代を通して、互いに敬愛の念を前提とする「家族文化」が浸透、継承されているからではないか。

 日本は、昔から隠居部屋を作ったり、大切な家族をゴミとして「姥捨山」に放置したりという、悲しい時代を経験していることを振り返れば、その理由がどうであれ、人として何か大事なものが欠落している民族なのかと感じてしまう。

 兎に角、今の高齢者は、自画自賛の「武勇伝」を若い世代へ伝えるのではなく、全世代間コミュニケーションを紡いで行くことに取り組むべきである。それも、上から目線でマウントするのではなく、皆が幸福駅へ辿り着けるように、知識や知恵、経験などを活かしながら、今を、そして未来を切り拓くことに尽力願えればと・・・。

 勿論、若い世代も、高齢者に対する礼儀、気配り、思い遣りは重要なポイントではなかろうかと考える次第。


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  • posted by Chikao Nishida at 2022/1/30 12:00 am

お人好しは、馬鹿を見る。

◎記事と写真は関係ありません

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 新聞社時代に企画を専業としていたので、仕事にしてもプライベートにしても、何事も筋が通らなくては気が済まない。最近それを分析すると、とても厄介で馬鹿らしいことが、遅ればせながら理解できたような気がする。遺伝的に、母親の性格に似たところもあり、神経質ではないが、歪んだ所が気になって仕方ない。

 企画の仕事とはゼロからのスタートであり、プランニングの段階でちょっとでもベクトルを間違えば、後々、想定外に滅茶苦茶な方向へと流れてしまう。よって、プロジェクトがスタートする前に、色んな角度においてシミュレートしながら、仮説を立てたり、消去法を用いたりして、ベストな方向性を見出す必要がある。

 特に、仕事に関してはGET&GETではなく、GIVE&GETのスタンスにて、世話になったら必ずお返しをする。迷惑を掛ければ、何とか相手が納得行くまでフォローする。それが、人間関係において重要であると、幼い頃からの厳しい躾もあって、相手の立場をよく考えた上で行動するようにしている。もし、できない場合は相当なストレスに苛まれることになる。

 先般記事に書いた、「言葉が通じぬじれったさ」。なかなか自分が発する言葉を掘り下げて理解してくれる人が、とても少ないことに近頃気付かされたのであった。つまり、言葉の核心部分が全く伝わっていないのである。理由は分からないが、その程度の薄っぺらなコミュニケーションなのだろうと。

 起業して32年目に入ったが、振り返れば、一つを頼まれれば十を返すほどの勢いにて、とことん集中して与えられた課題に尽力してきた。されど、その善意の情熱でさえも途中から悪行に受け止められ、妙に不協和音だけが漂っていた。だったら、初手から軽々なノリにて頼み事をこちらへ持ち込んで欲しくは無い。

 結局は、自分第一主義にて、他人へ頼むことは迷惑を掛けるものではなく、それに対応してくれたらラッキー程度のノリなのだろうと。子供じゃあるまいし、他人に無償ボランティアを依頼するのならば、必ず、お返しをする気持ち(志)をもってオファーを掛けねば、人として如何なものかと考える次第。

 しかし、今までのように人様のためにビジネスで何とか役立とうと一所懸命になったとしても、それに対して感謝もなく、ラッキー程度で終わるとなれば、馬鹿らしいの一言となる。互いの信頼あってこその無償ボランティア請負であり、単に他人を利用するのが目的だったとするならば、迷惑千万な話である。

 そんな人が増えてきているように思えてならない今日この頃だが、いい大人が学生気分が抜けきれず、社長業をしているのに重責を感じさせず、「逃げ」の姿勢しか見せない人がすこぶる多い。有言実行などどこ吹く風。そういう人ほど、SNSではプチセレブで良い人気取りな情報発信がやけに目立つ。

 口は災いの元。できぬ話は人様にするなと言いたくもなる。リップサービスだとしても、厚顔無恥もそこそこにして欲しい。誰々を紹介するなんぞ、相手を期待させるような人参ぶら下げる軽々な言葉を発する人は、初手から信頼の枠外に置く必要があり、可能な限りビジネスライクな話をしない方が賢明となる。


▼歴史の重みを感じさせる泰勝寺跡の庭木
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  • posted by Chikao Nishida at 2021/12/27 12:00 am

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