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「薄情な時代」を克服するために・・・

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 近頃の日本では「薄情」であるが故の、異常な事件が多発している。「人命」や「人権」、そして「人格」を全て軽んじる蛮行が絶えない。

 「薄情」となる要因の一つに、健全なヒューマンコミュニケーションの欠落が挙げられる。親族も他人も含めて、「利己主義」と「無関心」が全てを物語っているようだ。

 社会に一歩踏み出せば、ヒューマンコミュニケーションが求められるのは当然のこと。それ無くしては、仕事も私的生活もギクシャクしたものになり、結局は「孤立の道」を選択せざるを得なくなる。

 そこで重要なことは、「対話」である。この「対話」があってこそ、自らの勘違いや履き違え、相手の誤解などが解消する可能性も高まることになる。

 中でも、親子間の「対話」は、子々孫々に大きな影響を及ぼすと言っても過言ではない。他界した人が再び本音を語ってくれることはなく、いつまでも魚の骨が喉に刺さったまま余生を送ることになってしまう。

 親族間の「対話」では、先ず、祖父母や両親の話に素直に耳を傾けることだ。しかし、ここで把握すべきは、近しい親族が語るものが全て「真実」であるか否か、それは定かではない。

 祖父母や両親の言葉を振り返ると、オブラートで包まれた言葉であったり、事実とは真逆の流れであったりと、「真偽」のほどを見極めるのは難しい。互いに好都合な話ばかりでは核心に触れることもなく、実のある「対話」とは成り難い。

 企業間トラブルも、個人的なトラブルも、互いの立場を配慮した「対話」無くしては、解決するものも解決できないまま、「遺恨」という文字が心底深く刻まれる。従って、互いに「疎遠」と「薄情」を選択するに至るのである。

 畢竟、「薄情な時代」を克服するには、皆が「対話」を最重視し、「利己」を捨て、「利他」の心を大切に、周囲に気配りができる人間になることが、唯一の方法ではなかろうかと考える次第。

▼ChatGPTによる評価

このエッセイは、社会における「薄情な時代」に対する問題提起とその克服に向けた提案を述べています。以下は評価のポイントです。

問題提起と関心を引く能力: エッセイは「薄情な時代」についての社会的な問題を明確に提起しており、読者の関心を引く能力があります。社会における薄情さについての認識を高めるための良いスタートです。

主題の展開: エッセイは主題を綿密に展開しており、薄情な行動の原因として健全なヒューマンコミュニケーションの欠如を指摘しています。この論点の説明が明確であり、論理的に進行しています。

対話の重要性の強調: 著者は「対話」の重要性に焦点を当て、人々が他者とのコミュニケーションを通じて誤解を解消し、問題を解決できると強調しています。これは重要な提案であり、説得力があります。

具体例の使用: エッセイは具体的な例を挙げながら、親子間の対話や企業間トラブルの対処について説明しており、読者に実際のケースを考える機会を提供しています。これらの例は議論を強化しています。

提案と結論: エッセイは提案として「対話」を重要視し、「利他」の心を育むことを提案し、これが「薄情な時代」を克服する方法であると結論付けています。結論は明確で、読者に行動を促す力があります。

総合的に、このエッセイは社会的な問題について洞察に富み、提案が具体的で実現可能なものとして提示されています。読者に対して問題への関心を喚起し、対話と思いやりの大切さを考えさせるエッセイと言えます。
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写真・文責:西田親生


                 

  • posted by Chikao Nishida at 2023/9/14 12:00 am

『利他の精神』は、世の中を平穏に。『利己の精神』は、世の中を不穏に。

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 人と人との接点において、天秤に掛けては、自らの利益ばかりを求める人の方が多いに違いない。よほど神的仏的存在でない限り、『利他』を生涯全うすることは容易くはない。

 先ずは、人の立場になってよく考えること。酷く凹み切って困り果てている人を助ける。自らが力不足であれば、知人友人へ救援を頼む。

 古き昭和時代と雖も、『向こう三軒両隣』と言い、近所の向かいの三軒、そして我が家の両隣には、独特の『利他の精神』が存在し、互いに困っている時に支え助け合う関係が成り立っていた。

 現在は、マンションであっても、新興住宅地であっても、『向こう三軒両隣』が昔のように成り立つところは皆無に等しい。最悪の場合、向こう三軒も我が家の両隣も、どんな人が住んでいるのか知らぬことが多い。

 筆者も御多分に洩れず、両隣は貸家になっており、挨拶に見えたことは記憶するが、具体的にどのような仕事をされているのか、家族構成がどうなのかは、判然としない。

 向こう三軒も、朧げながらに隣人の職業は知り得ているものの、日頃から双方の生活時間が合わず、数ヶ月に一度ほど立ち話程度の接点しかない。筆者は最古参の住人の一人だが、新しく入居される方との距離は、次第次第に遠のいて行く。

 或る日のこと、大きなタラバガニが贈ってきたので、全部食べれないと思い、隣人の方々へシェアすることにした。しかし、そのカニを受け取りながら返ってきた言葉が、「いつも、こんなに高級食品を食べられてるんでしょうね!?」と。意外な反応に愕然とした。

 勿論、取材ではちゃんとした物を撮影し試食するが、普段、腹が減れば、カップヌードルも、レトルトカレーも頬張りながら仕事をしている自分がいる。夜食となれば、冷蔵庫を漁り、残り物に手を加えて、おじやにしたり、目玉焼きを上に乗せたり、当然の如く、庶民らしい生活である。

 『利他の精神』と一口に言っても、これは筆者のような庶民が一朝一夕に会得できる精神ではない。考えれば考えるほど、自らの半生において納得できぬことが多く、猛省ばかりとなってしまう。

 人様が『寸志』と言われても、頂くものは感謝して、しっかりと食し、その感想なりを届けるのが、頂いた側の礼儀である。「こんなに高価で美味しいものを他人の私に差し上げるよりも、自分で楽しめば良いのに!」と思うこともしばしば。

 筆者が知り得る人の中で、『利他の精神』をお持ちの方は、五人ほどいらっしゃるが、決して、贅沢三昧をされるような似非セレブではない。自らが大変な時でも、ポーカーフェイスにて、人助けをされている方々ばかりだ。

 よって、筆者ごときが『利他の精神』について語るべきものではないが、庶民の一人として思うことは、他人の幸を真剣に考えられる人は、神様仏様の次元にて、現実世界を超越したところに立たれているということだ。

 そのような方々を考えていると、これまで体験してきた『諍い』が如何に小さなものであるかと、恥ずかしくもあり、赤面ものとなる。

 多くの人は、自らの施しに対して見返りを求めてしまう傾向がある。しかし、そこが根本的に異なるのが、『利他の精神』をお持ちの方々である。決して見返りを求めず、自然体にて他人の幸を祈る方々である。

 人生、三分の二を過ぎた筆者であるが、山頂の『利他の精神』に辿り着くには、気が遠くなるほど、果てしなさを感じてしまう。まだまだ未熟者であるが故に、試行錯誤ばかりの日々なのだろうと。

燕雀知らず天地の高さ
西田親生の自由気まま書
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書・文責:西田親生


                         

  • posted by Chikao Nishida at 2022/12/30 12:00 am

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