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国語嫌いが、本を書く。

▼近々出版する「如水 第4弾 吉村悌二の世界」の原稿(A6サイズ、36頁、モノクロ)

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 国語大嫌いの人間だった、筆者。それが、1週間前に取材でフレンチレストランへ足を運び、対談しながら撮影したモノクロ写真を数十点選び、原稿を書く。一日で、約15000文字を書き殴るのである。・・・どんなに逆立ちしても、自ら信じられない様な仕事をしている。

 ずっとずっと昔の幼い頃に遡及して、どんなガキだったのか思い出してみた。幼稚園、小学校の頃は絵を描くのが大好きで、幼稚園の時に「夢の超特急こだま号」という絵を、クレヨンを使って描いた事がある。

 それから、小学校1年生となり、グラウンド中央の大きな楠に繋がれた牛の絵を大木と並べて描き、その時、楠の木肌をどう表現するかに一瞬間迷った事を思い出した。確か、「V字」の幹の上から下へ細かく輪郭を描き、後から一つ一つ表情が異なる色付けをした。

 同じく小学校1年生の夏、或る絵画コンクールに出品するとの事で・・・ジャングルというタイトルがお題だったのかどうか忘れたが、画用紙1枚という制限を破り、3枚を一つの作品として描いたことがあった。ジャングルのニシキヘビが1枚の画用紙に入らず、結局、その下、更には左下までニシキヘビの大きな頭を描くために、画用紙が3枚必要となったのである。作品を受け取った先生が苦笑いしていた。

 小学校高学年となり、どんどんと漫画に引き込まれていった。しかし、我が家では漫画本は禁止となっていたので、友達の家や理容室に行って、漫画を読みあさっていた。「意地ばあさん」が凄く好きで、自分で画用紙1/8程度の小さな手描きの漫画本を作ったのだった。更に、「ピリピリくん」という主人公を考え、同じサイズで漫画本を2冊手作りしたのである。何となくパーマンに似ていたような・・・。

 中学生の頃、社会科の先生から授業中に注意を受けた事があった。それは、先生の授業内容を全てノートに漫画で描いていたのが見つかったからだ。猛烈に叱られるかなと思ったら、「休み時間に職員室へ来なさい!」と一言。・・・こりゃやばいと思いつつ、職員室のドアをノックした。

 「おお、来たね。ちょっと相談だが、近々PTA参観があるので、その授業の時に君の漫画を使いたいので、この画用紙20枚ほど渡すから、最近の授業内容からこの辺まで、全部漫画で描いてくれないか!?」と。

 叱られるのが、褒められたのかどうか分からなかったが、約束通り、家に戻り、毎晩深夜まで数日間掛けて、下書きなしで、マジックで描いていった。・・・さて、PTA参観日である。その先生は、得意げに教室の左右、後ろの壁に貼られた筆者の漫画を指さしながら、授業を進めていったのだ。

 そして高校時代・・・化学が大嫌いだったが、同じく、全てノートは漫画だった。三年生になる時に、その化学の先生が教室にやってきた。「あの漫画のノート、私にくれないかな!?」と言って、次の週に二年生の時の「漫画化学本」を差し上げた。どちらかと言えば、数学や物理の方が断然好きだったので、化学は筆者にとっては無用だった。

 夜な夜な、このようなつまらぬ事を思い出しながら、自分自身の履歴をチェックし、見つめ直す事も必要ではないかと・・・。

 昨年3月に他界した父と、或る日、猛烈に議論した事があったが、子供の教育についての疑問を投げ掛けた時の事。「子供に何でも押し付け、親の理想像を子供に期待する教育方針は間違いではないか!」と、かなり強い口調で言い放ったのだった。漫画も駄目、絵も駄目、将来就職を考えるのであれば、父親の職業がベストであるという歪んだ子育てに、この歳になって初めて反論したのであった。

 まあ、あれやこれやを思い出し、「あの時は、こうすべきだった!」、「あの時、Yesと言わず、Noと言って遣るべきだった。」、「あのポイントで気付くべきだった。それが人生の分水嶺だったのだろう。」など・・・自問自答を繰り返しながら、自分の背中を眺めていると、今の自分の姿が何故こうなのかが良く見えるようになってくる。

 国語の試験で、「作者は、何を言いたかったのか、百文字以内で答えよ。」とある。・・・作者と同じ時代に、その近くで生活していた訳でも、交友関係もないのに、何故、作者の気持ちが分かるのか!?と屁理屈を言う筆者が居た。一度、「作者にしか分からない。」と回答を書き、国語の先生から酷く叱られた事があった。

 人生って面白い。人は皆、得手不得手があるが、得手であってもそれが即仕事に繋がる訳ではない。かといって、不得手であっても、いつの間にか仕事に繋がっているケースも多々ある訳で、たまには、両目を瞑って、ダーツを投げ、それが突き刺さった方へ自分を向けても「有り!」かと・・・。

 人生って、本当に面白い。


▼Bros.よしむらの目玉「チョップドビーフステーキ」
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  • posted by Chikao Nishida at 2014/2/20 02:15 am

譲り合い助け合いの精神

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 近頃、コンクリートジャングル(死語に近いが)の上空を、数千羽、数万羽という椋鳥の大群に出くわすことがある。陽が昇ると一斉に活動を開始し、陽が傾き始めると、正確なアラーム時計が鳴るような勢いで、大群をなして彼らの寝床へと戻って行く。自然のリズムに背かず、愛情をもって子育てに力を注ぎ、天敵や自然界の猛威から身を守るための知恵を持ち、短く儚い一生だが、規律正しく協調性のある生き方をしている。

 ここで、現代の人間を考察してみよう。今では協調性のある人物が珍しいくらいに、権利だけを主張する身勝手な人種が増えている。一日の生活も、行き当たりばったりで、夢も希望もなく、ひもじい時はファストフードを口にして、ペットボトルのジュースを片手に、コンビニの玄関を塞ぐように何時間も座り込んでだべっている。お金が無くなると、嫌々ながらアルバイト。少々お金を手にするや否や、さっさと遊びほうける。アルバイトもせず、親の財産や小遣いに頼り、大人になりきれない、子供のようなつまらぬ大人も沢山居る。

 高校時代に友人数人が同じ性病を貰った事を自慢げに話す最悪な女性も居る。・・・子供が生まれると、無責任にも子育て放棄。更に、鬼畜のような人間は、自分の生まれたばかり赤ちゃんを路上に捨てたり、生き埋めにしたりと・・・幼い命を、いとも簡単に奪ってしまう。結婚も「できちゃった結婚」が流行のように、将来の生活設計など無視の状態。しかし、物欲だけは人並み以上で、欲しい物は手段を選ばず、平気で恐喝したり、嘘をつきまくって騙してでも物や金銭を奪い取る。

 どんなに猛暑が続く異常気象と言えども、日本には命を支える為の水が豊富にある。喉が渇けば、公園にある水道の蛇口をひねれば無料で水が飲める。ちょいと歩けばコンビニがある。高速Wi-FiやLTEを使えば、簡単にインターネットに繋がり、通販で欲しい物を購入する手続きが即座にできる。そして、二〜三日して商品が宅配されて来るといった具合だ。

 FACE TO FACEで会話を楽しみながら八百屋で大根や白菜買ったり、豆腐を受け取りに空の鍋を持って豆腐屋さんに足を運んだりしていた時代とは異次元の世界だ。温かい血の流れぬ冷めたデジタル社会となってしまったが為に、便利である事が当然すぎて、一つ一つの事柄に対する感謝の念も心にない人間が日々増殖しているのである。・・・全てデジタル化されているが故に、人間同士のコミュニケーションが皆無に近い世界となってしまった。

 このように腐れ切った精神文化をもたらした原因は何なのか?・・・「この世が嫌になったから、むしゃくしゃして包丁で人を刺した。」、「仕事を断られたから腹が立って、車で轢いた。」、「憎たらしかったから、彼奴の家に放火した。」・・・それは、何もかも自己中心的で、人としての理性も道徳心も全くない輩なのである。・・・・このように、人間としての理性を失い、他人様に迷惑を掛けるような人間は、辛辣な言い方を敢えてするならば、生きている価値はないのである。・・・情状酌量の余地ありといった保護的、柔な扱い・・・更生する可能性もありはしない人間に、愛の手を伸ばす必要などないと考える。統計上、再犯率が6割を超えるのならば、即座に法を変えよともの申したい。・・・刑法も民法も今では古典となってしまい、現代社会に適合していないのは明白である。

 人を傷つけるくらいなら、自分の太股を包丁で刺してみればいい。人を殺めるくらいなら、勝手に自殺すればいい。・・・何も関係のない善良な人々の大切な大切な人生を、一瞬の内に潰す権利など、加害者には一切ないのだから。・・・ちまたでは、加害者の人権を最優先して、被害者が闇に葬られるケースが多すぎる。罪人を裁くに当たり、その時だけ人間の理性やモラルを持ち出して、罪人も人権有りで擁護してしまうのだから、全ての被害者は泣き寝入りとなってしまうのである。・・・そのようなニュースを見る度に、怒り心頭!!!・・・法改正の必要性をつくづくと感じる今日この頃である。

 穴だらけの国内法の甘さは、アナーキーな国情を助長しているに過ぎない。そこで司法試験の緩和策など以ての外。・・・良き時代の合い言葉であった「向こう三軒両隣」とは何ぞや!?礼節を重んじ、モラルを持って、人としての道を歩んできた日本人の本来の姿を、今一度思い起こす時期になったのではないかと・・・日々危惧の念が絶えない筆者である。

 責任転嫁で擦り付けるばかりの荒んだ時代を浄化し、根本的に・・・譲り合い助け合いの精神を美徳として啓発して行かねば、三島由紀夫が憂いた大義のない国どころか、どんどんとカビが蔓延り、腐り果ててしまうのを待つだけの話となってしまう。・・・前述の小鳥の大群にも劣る人間として生きていては、洒落にもならない・・・。


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  • posted by Chikao Nishida at 2013/8/1 03:27 am

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