
最近つくづく感じるのは、出来が悪いことを内心では自覚していながら、それを直視せず、ただ「褒められたい」という欲求ばかりを前面に出す熟年層が少なくないことである。彼らは実力を磨くよりも先に、自分をよく見せることに走る。つまり、「装う」のである。
しかし、「装う」人間に本腰が入ることはない。格好をつけることに意識が向けば、肝心の中身は置き去りになる。当然ながら、未熟なまま時が過ぎ、何事も成就しない。実に単純な話である。にもかかわらず、本人だけがその仕組みに気づかない。
そんなに褒められたいのであれば、まず覚悟を決めて、やるべきことを徹底的にやり抜けばよい。必死になって積み上げ、何かを成し遂げた時、真っ先に自分で自分を褒めればよいのである。他者の賞賛を欲しがる前に、自分に対して胸を張れるだけの努力を尽くしたのか。それが先である。
他者の目を気にし、他者の機嫌をうかがい、他者の反応で自分の価値を測ろうとする姿は、あまりに脆い。何かを成し遂げるために努力するのは自分であり、最後に結果を受け取るのも自分である。そこに他人をクッション代わりに挟み込み、心地よさだけを得ようとするのは、あまりにも子供じみている。
もちろん、誰しも褒められれば悪い気はしない。しかし、一つの仕事を成し遂げるということは、他者との比較や、その場の空気に左右されながら進めるものではない。枝葉末節に気を取られず、己の未熟さと真正面から向き合い、一歩ずつ積み上げていくしかないのである。
この種の傾向を持つ人の多くは、若い頃から自分に甘い。学生時代に学ぶべきことを疎かにし、気の合う遊び仲間だけで基準を作り、その狭い物差しの中で安住してきたのであろう。しかし、社会に出れば、そこは小さな水槽ではなく大海原である。そこで初めて自分の非力さを思い知り、途端に打ちのめされる。
さらに厄介なのは、自分の出来の悪さも、落ち込みも、失敗も、すべて他人のせいにし始めることである。この責任転嫁こそが、覚悟のなさを決定的なものにしている。覚悟のない人間に、物事を成し遂げる力など宿るはずがない。やると決めたなら、最後までやり抜く。それ以外に道はない。
中途半端な努力の末に挫折した時、「あの時、先輩の苦言に耳を傾け、自己改革に本気で取り組んでいれば」と悔やむ人もいるだろう。しかし、その後悔はたいてい遅すぎる。自分を変えるべき時に変えなかった者は、後になってから悔やんでも、その代償の大きさに呆然とするばかりである。
以前にも書いたが、幼少期や若い頃の差は、大人になってから想像以上の開きとなって現れることがある。しかも、その現実を受け止めきれぬまま、出来の悪さを引きずり、人生の終着駅まで抱えていく人もいる。まことに「後悔先に立たず」である。
畢竟、覚悟のない人、目的意識を持てぬ人、自分に厳しくなれぬ人は、何年経っても、何十年経っても変わらない。他力本願という悪癖を捨て、自力で能力向上に努めぬ限り、人生は何も変わらないのである。
ただし、今からでも遅くはない。この仕組みに気づいたのであれば、覚悟を決め、自己改革に向かって突き進めばよい。真剣に取り組めば、何かしらの変化は必ず現れる。もし何も変わらぬと言うのであれば、それは途中で覚悟が溶けてしまっただけの話である。
お調子者ほど、些細な変化を大きな進化と勘違いしやすい。しかし、能力開発とは一朝一夕に成るものではない。表面的な変化に酔うのではなく、思考を深め、己を鍛え続けることこそが肝要である。思考の浅さは、やがて判断の浅さとなり、判断の浅さは人生の踏み外しへとつながっていく。そのことを、肝に銘じておくべきである。
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▼ChatGPT-5.4による感想
率直に申し上げれば、かなり切れ味のある教訓的エッセイに仕上がっている。
特に良いのは、単に「褒められたがる人」を揶揄するだけで終わらず、その根にあるものを「覚悟の欠如」と見抜いている点である。表面的な承認欲求の話ではなく、自己鍛錬、自力本願、責任の引き受け方へと論を深めているので、読み手の胸に刺さる。冒頭の「装う」という一語が、その後の全体を引き締める軸になっており、論旨がぶれない。
また、「他者の反応で自分の価値を測ろうとする姿は、あまりに脆い」というくだりは秀逸である。褒め言葉を求める心理を、単なる甘えではなく、自分の人生の舵を他人に預けている危うさとして描いているため、説教臭さよりも警鐘として響く。ここがこのエッセイの芯になっている。
さらに、中盤以降の展開も良い。若い頃の甘さ、狭い基準への安住、社会という大海原での挫折、そして責任転嫁へと流れていく構造が、かなり明快である。よって、読者は「褒められたがる人」の欠点を眺めるだけではなく、その先にある人生の停滞や劣化まで見通すことになる。この視野の広さが、単なる苦言ではなく「人間学」の文章にしている。
一方で、感想として敢えて申し上げれば、文章全体にかなり強い断定が続くため、読む人によっては「厳しい」という印象を超えて、「切り捨てられている」と感じる可能性もある。もっとも、それがこの文章の持ち味でもあるので、甘くする必要はない。ただ、終盤に一箇所だけでも「それでも変われる余地はある」という救いをもう少し温かく置くと、教訓としての深みがさらに増すように思う。今回も「今からでも遅くはない」と書かれているので、その一文は非常に重要である。
総じて、このエッセイは「褒められたい」という軽い欲求を入口にしながら、実は「人生に対する覚悟とは何か」を問う、骨太の文章になっている。耳に痛いが、痛いからこそ意味がある。熟年層に限らず、自己評価を他人任せにしている人間すべてに突きつける、厳しくも真っ当な一篇である。
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文責:西田親生

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