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Z世代と50代との比較・・・

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 筆者がネット事業に着手したのは1994年の秋。それから1990年代後半に生まれたのが、ネイティブデジタルと言われるZ世代である。

 お陰様で、現在、西田親生のZOOMセミナー「Well Done Cross-media」の受講者の多くはZ世代である。また、10年弱遡れば、当時の「先見塾」(
「Well Done」の前身)の受講者の多くは40代から50代であった。

 珈琲を楽しみながらぼーっとしていたら、現在のZ世代と50代になった受講者の比較が頭に浮かんだのである。

 勿論、どちらからに優劣をつけるという次元ではなく、受講者たちが育った環境や条件が異なることに気付かされ、Z世代と50代の典型的な違いを検証することにした。

 Z世代は、生まれながらにデジタルに慣れ親しんでいるために、パソコンやスマホ、ネットが当たり前の時代に生まれ育っている。

 対して、50代はネットに接したのが当時30歳前後であるものの、デジタルの波に乗れず、デジタル文化から落ちこぼれた人の方が多かった。

 幸運にも、筆者の場合は仕事柄、ニューメディア、マルチメディア、コンピュータグラフィックス、インターネット、仮想現実世界、クロスメディア、SNS、AIなど、時代の最先端事業に着手してきた為に、Z世代と全く変わりなく、全ての黎明期から現在まで、時代の変遷を知り尽くしている。

 よって、現在の50代、60代の人たちへ語りかけると、言葉は悪いが、苛立つほどノリが悪い。それに対して、Z世代との会話は弾みに弾む。何気に話しても、その反応は良すぎるほどに素晴らしい。

 昨夜の「Well Done Cross-media」においても、ネット黎明期にじわじわと頭角を現した昔懐かしのネトゲ(ネットゲーム)の話に、彼らの目はキラキラ。今の時代、ネトゲを知らない人はZ世代では稀有なる存在であるが、ネット黎明期の大人よりも、シミュレート能力に長けている。

 上述では50代一部のノリの悪さを取り上げたが、Z世代はスポンジのように、新しいものへの吸収力は半端ではなく、何か課題を与えると、多忙であるにも関わらず、完璧にその課題をクリアする。

 よって、「有言実行」は朝飯前。昨日より今日、今日より明日は、「変化」と「進化」が並走しており、いろんな分野においても加速度を上げて登り詰めて行く。筋を通した自論も堂々と投げ掛けてくる。見ているだけで、すこぶる心地よい。

 50代は、人によっては、ある程度世の中を知ると安堵して、それがゴールであるかのように思い込む節がある。しかし、上には上がいて、自分を取り巻く環境下の己の存在がゴマ粒程度であることに気付かぬ人も多く、悟りが早すぎる。

 勝手にゴールを決めているところが、全てを物語る。人生にはゴールはないというのが人間国宝と称される「匠」の言葉である。僅か一代にして、陶芸のゴールまで達したという人たちの言葉を聞いたことはない。

 ところが、筆者のような庶民と呼ばれる人たちは、そのゴールが近すぎる。42.195kmも走らずして、僅か100mくらいのランでマラソン(人生)のゴールとしている。それは、怠慢と言うしかない。「兎と亀」の兎の境地なのだろうと。

 Z世代は、人生スタートから僅かながらも、広大な世の中に目を向け、好奇心も後押しをすることで、「日々変化、日々進化。」の道を突っ走る。そこが、50代のノリの悪い人との大きな違いではなかろうか。

 何事も、「考え方次第」である。「人生に疲れた!」と言いがちな50代。筆者も弱音を吐きたくなることもあったが、そんな戯事のような言葉は、死んでも吐きたくはない。

 何故なら、ゴールなき人生に身を置いて、息絶えるまで何らかの発見があればと、「日々変化、日々進化。」を励行し、Z世代に対しては、自らのキャリアの中から、彼らが体験したことのない領域を少しずつレクチャーして行こうかと考えている次第。

 世代を余りにも気にする日本人は、勝手に世代間で盛り上がったり凹んだりしている。そこで筆者がいつも質問するのが、「29歳は20代、30歳は30代。では、僅か1年違いで、そこまで世代観って変わりますかね?」と。しかし、まともな回答を得たことがない。

 欧米では、若者が熟年に対しては、経験値を認めることで、敬愛の念を持ち接している。世代を超えた会話も弾み、皆が手を取り、助け合っている。個人主義を利己主義に履き違えている日本人が多いのには閉口するが、そこは学びに徹してもらいたいものである。

 これからの時代、世代を跳び越えて、ゴールなき人生を皆で楽しんでは如何だろうかと。よく考えてみると、Z世代と50代の人とは、親子の歳の差であるが、世代交代の時において、無様な姿だけは見せるものではない。
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画像生成AIプロンプト・文責:西田親生


                     

  • posted by Chikao Nishida at 2023/8/21 12:00 am

蛮行が止まない、SNS。

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 何故、他人の個人情報やフェイク情報を垂れ流し、世間を騒がせるのだろうか。逆立ちしても、理解に苦しむ。ただ、現代日本人が想定外に病んでいるとしか考えられない。

 他人の個人情報やフェイク情報を拡散させたいのであれば、投稿者は、堂々とその目的と実名と住所、携帯番号を明記して行うべきである。

 他人の個人情報やフェイス情報を拡散させても、何の生産性もなく、誰も幸せにならない。最終的には、その火の粉を自分で被ることになる。度が過ぎれば、身柄確保、逮捕、そして起訴される。

 刑事事件の被疑者として脛に傷をつけることは、人生における大失態となるばかりか、就職やこれから先の生活にとって、ネガティブなものがわんさと押し寄せてくるばかりで、取り返しのつかない人生となってしまう。

 また、食事処で醤油を直飲みしたり、生姜を口に入れて戻してみたり、他人が注文した寿司を食べたり、舐めたり。それを軽々に冗談だと言っても、人として恥ずかしいどころか、その馬鹿さ加減を世間に露呈するだけの話である。

 SNS最盛期の時代に、上記のような大失態をすれば、逆に、己の「赤恥」を半永久的に残してしまうだけでなく、周囲の目は冷ややかなものであり、憎悪の雨霰となり、社会的制裁を受けるのがオチとなる。

 SNSにおける誹謗中傷や揶揄は名誉毀損を引き起こし、食事処における蛮行は威力業務妨害として告訴されれば、民事においては想定外の損害賠償請求や慰謝料請求が突きつけられ、刑事では刑事罰を受ける可能性が高い。

 「周囲に迷惑をかけない」が人としての理想的な生き方である。過去において、同様の蛮行の経験ある人は、自らの背中をじっくりと客観視することで、自らの人生を見直した方が宜しかろうと。

 大人になりきれない大人を、筆者は「コドナ」と呼んでいる。事件にはなってはいないが、「コドナ」は周囲に沢山存在し、挙動不審である。気付かぬは本人ばかりで、大なり小なりの「失態」を続けている。

 自らの「民度」を自己分析してみれば、一目瞭然。「周囲に迷惑をかけず、周囲の人たちが喜ぶようなことをする!」が一番。そうなれば、「積善之余慶」という、立派な人生となるに違いない。
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写真・文責:西田親生


               

  • posted by Chikao Nishida at 2023/8/20 12:00 am

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