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『我が人生は、出逢いと運。』・・・2009年5月12日のインタビューから。

▼前熊本ホテルキャッスル 代表取締役社長 斉藤隆士氏/初代桃花源料理長

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 2009年5月12日、午後1時半に熊本ホテルキャッスル11階、リニューアルしたばかりの「ツール・ド・シャトー」へ。同ホテル社長斉藤隆士氏黄綬褒章受章という吉報を聞き、単独取材の為に足を運んだのである。

 同氏と個別に会うのは久し振りのこと。また、外からの電話に応対する同氏。常にアクティブに動き、溌剌としている。ゴルフで日焼けしている万年青年の斉藤隆士氏の語りが楽しみだ。

 先ずは、「中国料理に目覚めたきっかけ」を聞くことにした。リハ無しの、ぶっつけ本番の生収録。意表を突く様な語りから始まった。


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【西田】 斉藤さんと出逢って30年近く経ちますが、斉藤さんが中国料理(四川料理)に目覚めたきっかけを聞かせ下さい。

【斉藤】 目覚めたというよりはね、昭和30年代ですから、日本が高度成長する前なので、食もない貧しい国だったでしょ。自分は大分竹田の出身で田舎者だったし・・・。

 本当は、17歳(高校3年生)の頃に家出したんですよ!(笑)家が嫌になって、兄の居る東京へ行ってしまったんです。兄が料理長をしていた神田神保町にある日本一の餃子屋さんの「おけい」というところで、三ヶ月間バイトしたきっかけで。

 餃子も食べた事が無かったので、カルチャーショックだったんですね。大分に帰るつもりが、就職難だったし、手っ取り早く食べれるのは料理人だと思い、その世界に入ることになったんです。

 それで兄の紹介で当時の「四川飯店(創始者:陳建民)」に弟子入りすることになったんですよね。たまたま空きがあったので、やっぱり運だし、出逢いですよね。

【西田】 その時会った陳建民さんは、どのような人でしたか?

【斉藤】 うーん、無口で眼力が強い人だったですね。14人の調理人の内、2人が日本人でしたよ。48年前のことですが、厨房は全部中国語で会話がなされてました。見習いとしては、言葉が通じない事が逆に楽だったですね。

【西田】 眼力の強い陳建民さんに会いました。そこで最初に斉藤さんがしたことは?

【斉藤】 最初にしたことは、「鍋洗い」ですよ。今みたいに下処理をして来ないでしょ。毎日、失神ですよ。魚生きたまま、鯉も生きたまま、カエルも生きたままですから。(笑)

 カエルの首を切って皮を剥くんですよ。今とは全然違いますよ。鍋洗ってて、草履履いて、足下を見ると、首の無い皮の無いカエルが乗ってて動いているんですよ。失神ですよ。(大笑)


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【西田】 料理人として修業する中で、何かエピソードはありますか??

【斉藤】 僕はですね。札幌に6年の生活が、今の自分の人間形成になったのかなと思います。その1年間は朝の7時にホテルに入って、夜の9時まで仕事して。また10時に自分の店に帰って、午前2時までやってレジ締めて。寝るのが4時過ぎで、毎日2時間の睡眠を1年間続けたんです。だから、今も寝ないんです。

 その1年間が私の性格も体格も全部変えてしまった。寝なくてもへっとも思ってないし。21歳、22歳でとんでもない事が経験ができたんです。一方は職人、一方は経営者としてやってましたね。

 札幌「すすきの」で、お店やってましたね。一番勉強になりました。青春ですね。毎晩遊んでいたし、キャバレーに毎日通ってましたね。楽しかったね。指名して2000円から3000円、初任給が13000円くらいだったんじゃないですか。毎晩、どんちゃん騒ぎしてましたよ。

 私の場合は職人として30000円くらい貰って、普通の会社員初任給の3倍もらっていましたから。

【西田】 単純計算で、1ヶ月の給与で、10回分キャバレー行けますね。(笑)

【斉藤】 いやぁ、お店閉めてから毎晩ですから、もっと行ってますね。毎晩行ってましたね。その当時のクラブの女性たちは、今はママさんでクラブやってますよ。今も1年に1回くらい行きますけど、そのおばちゃんの店に行っています。出張料理が面白いです。

【西田】 所謂、ケータリングですね?

【斉藤】 そうです。岡山(西大寺観音院)までトラックで、法事のケータリング行きました。座禅場で、1800人分のケータリングですよ。池袋の四川飯店から第2陣で行きましたよ。ドラム缶で即席の中華釜作って、火を消せないからコークス使って、かわりばんこで寝ずに火を見てましたよ。

【西田】 ドラム缶の上に鉄鍋が乗ってるんですか?

【斉藤】 そうそう。品物も皿もトラックで来るんですけど、裸の喧嘩まつりもパトカー先導で5台でしたから、ばーっと見に行きましたね。そして、麻雀好きだから、皆で麻雀してて、お腹空いたので夜鳴きそば買いにやらせたんですけど、若い子が箸を持って来なかった。それを手で食べるには熱くて食べれないので、結局、麻雀の点棒でそば食べて、これが面白かったね。(笑)

 実はボス(陳建民)の「さすらいの麻婆豆腐」っていう本に書かれてましたね。36年前、1800人のケータリングを、東京から岡山に行ったんですから、凄いですよね。

【西田】 当時ケータリングが無い頃ですからね。

【斉藤】 そうですよ。ホテルじゃないんだから。1800人だし。鯉のあんかけ、鯉でも180本ですから。仕入れは現地仕入れなんですよ。お寺の本堂の土間ですから、2月寒いんですよ。


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【西田】 33歳の時に、四川料理 桃花源の料理長として、熊本ホテルキャッスルに赴任されてますよね?

【斉藤】 一応、33歳は、今でもその記録は破られてないでしょうね。

【西田】 失礼ですが、今の年齢の半分ですよね。熊本に来られて33年という事になるんですよね?

【斉藤】 そうですね。

【西田】 料理長になってからの苦労話ありますか?

【斉藤】 苦労話なんかないですよ。当時中華のコックさんって、給料高かったし。自分は売られてきた訳ですから、売らなきゃいけなかったし。当時の熊本ホテルキャッスルの総料理長さんは20歳上だったし、洋食の料理長さんは10歳ぐらい上、和食の料理長さんも10歳上だったですね。

【西田】 精鋭として熊本ホテルキャッスルに引っ張られてきたんですね?当時からヘッドハンティングあったんですか?

【斉藤】 当時は、誰彼と仕事に必死だったから覚えていないですね。料理人が表に出るというのは、私が最初だったろうと思います。一気に出て行きましたからね。自分が一度料理長になった時に、外に出て行きたかった。

【西田】 昔、私に作ってくれたパイナップル入りチャーハン(広東料理の香港スタイル)を思い出しますね。西田さんが旨かったら商品化しようかと言ってくれましたよ。

【斉藤】 あー、チャーハンね。いろいろやってきましたよ。熊本に来て3年で帰るはずが帰らなかった。良いか悪いかわらないけど。逆に良かったと思ってますよ。主要都市が冷静に見れた。客観的に見れるし。自分自身に生きる事を真剣にやれば、どの世界でも生き残れると思うんですよね。

【西田】 熊本県内の食文化を引き上げたのでは?

【斉藤】 これはですね。中華料理のできた比率って凄いですよ。熊本ラーメンが無くなりましたから。中華料理屋さんばかりになった。功績云々というよりも、弟子が育って行ったからですね。

【西田】 坪あたりの売り上げ高いんでしょ?

【斉藤】 坪数で売り上げみれば、熊本ホテルキャッスルの桃花源が全国でナンバーワンでしょうね。

【西田】 四川料理の魅力と将来の展望は??

【斉藤】 四川料理の魅力というよりも、僕は中国料理の魅力なんですよね。広東、四川、枝葉いろいろ沢山あるんですよ。中国料理の素晴らしさってえのはね、中国料理ってえのは、太陽が上がるところ、必ず中国人が居て、必ず中国料理があるんですよ。中国人のパワーなんですよ。中国人と共に、中国料理は世界に蔓延っているんですよ。

 日本料理というのは企業と共に世界に蔓延る。しかし、企業が撤退する時、日本人も撤退するんですよ。中国人は自分の国に帰らないんです。自分の国を捨てて出て行くのですから、帰らないんですよ。オーストラリア行っても、エチオピア行っても、どこでも世界中、そこで家族で根付いて、お豆腐でも自分で作っちゃうんですから。

【西田】 生半可じゃないんですね!?

【斉藤】 生半可じゃないです。日本人が向こう(海外)に行ったら、お米を空輸する訳でしょ。中国人は向こうの米を使うんですよ。中国人のパワー、中国料理のパワーに、日本は勝てない。向こうで住み着こうという中国人と、向こうで商売しようという日本人と、それは大きな差ですよ。

【西田】 命掛けてますね!

【斉藤】 そうそう。家族揃って移住しますから。生き方も料理も、インドネシアの中国料理、シンガポールの中国料理、オーストラリアの中国料理、日本に行ったら日本の中国料理。そうなってしまうんですよ。日本の中国料理は日本人に合う中国料理、オーストラリアではオーストラリア人に合う中国料理になってしまうんですよ。

【西田】 一度、一緒にハワイ(ホノルル)の中国料理食べに行きましたよね。バターがどっかりのった伊勢エビなんぞ!

【斉藤】 うんうん。皆、あーなっちゃうんですよ。そこが良いんですよ。世界一の料理は中国料理だと、僕は思っています。

【西田】 中国料理の種類(メニュー)は無限ですか?

【斉藤】 無限だと思いますよ。さっきパイナップルに入れたチャーハンの話ありましたが。広東料理の香港スタイルですよ。中国にあるかというと、ありゃしないでしょ。それぞれの流派からそれぞれに新しいコックさんが出てきて。4大料理(北京、広東、上海、四川)が外に出て行くと、また違った料理に変って行く。

 今は四川料理に拘りなくて、自分はこうやって食べられるのも中国人の御陰だし、陳先生たちにご恩返ししたいという私の目的があるんですよね。それが自分の役目でしょうけれども。

 お金儲けする経営者になる生き方もあろうけど、人に中国料理を教える役目、お客さんに中国料理を教える。味の継承ってのはね、格好よく言えば、中国人がこんな素晴らしい中国料理を伝えてきたのですから。熊本市内の中国料理の歴史もありますよ。とても苦労して伝えてくれた中国人に感謝したい。

 中国料理の味の伝道師的な事をするのが自分の役目だと思っていますよ。だから、想い出とか、こんなに大きな事を考える必要はないんですよね。

▼熊本ホテルキャッスル11階からの展望(熊本地震前の熊本城)
右から、熊本城小天守、大天守、本丸御殿。遠景は、金峰山。
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【西田】 料理人になって50年近い年月が経っていますよね。今から先の日本の食文化、食育についてどう思われますか?

【斉藤】 お母さんの力が無くなっている。昔の母親は皆手作りでしょ。今の母親は半完成品ですよ。インスタントの時代なんですよ。家庭内暴力が多いのは、母親、父親の愛情がないんでしょうけど。

【西田】 共働きが多いからですね!

【斉藤】 先ずお母さんが朝、昼、夜の食事を作る事が大切なんですよね。食育って、精神的な食育があると思うんですよ。昔の日本人に戻るのは大変だろうけれども、そこに近づくには文章で書く様に上手く行かないですよ。日本全体を見て、日本人全員で考えなければならないのが食育だと思うけど、国が言っているのは、食育ではないですよ。

【西田】 ベクトル違いますよね。鍵っ子が出てからでしょうか?

【斉藤】 インスタントラーメンですよ。インスタントラーメンは高いですよ。中国や香港行くと。

【西田】 韓国では主食ですからね。親の愛情の欠落というよりも、愛情を注ぐ時間もない、社会的に両親が仕事しないと食べて行けない。

【斉藤】 勉強、勉強でしょ。教育者が殴れば、母親が文句を言いに来る。バランスが崩れているんですよね。どの国も世界中豊かになり過ぎて、家の中の教育がなっていない。

【西田】 では、斉藤さんのご自分の子供の教育は?

【斉藤】 子供達、本人がやるだけやらせればいいんですよ。長男が小学校5年生の時に、子供三人集めて文句を言った事があるんですね。「お父さんは家に帰る暇もないし、忙しいし。家にはお金がないよ。もし高校や大学行く時に、高校も大学も公立じゃないと駄目。それが条件。福岡は駄目、熊本若しくは東京。」と言ってやりました。

 教育にお金遣っている人を沢山見ているけど、大したことないですよ。教育と社会の勉強は違うんですよ。沢山、目の当りにしてますから。良い学校に行くだけが教育ではない。僕はそのような教育に関わってないし。

【西田】 人間学を如何に学ばせるかでしょうね!?

【斉藤】 そうそう。外に出たら親も死んで居なくなるんだから。渡世術、社会で泳げる術を学ばなきゃ。それは教育じゃないんですよ。

 お金を沢山かけても、立派な人間に育つかどうかは保証がない。自分達の職業と子供達の職業は違うんだから。昔の自分達の時代と比べたら、今の子供達は幸せですよ。社会出たら大学みたいじゃないんですよ。

【西田】 今回、おめでたいことがありました。5月19日に伝達式がありますよね。黄綬褒章受章が決定しました。その心境をお聞かせ下さい。

【斉藤】 良い仲間、先ず良いお師匠さん、良い弟子たちに巡り会えたという事かな。まあ今回は、良い人材育成をしてきたということで貰えることだし、良い弟子たちに巡り会えたという事かなあ。日本中国料理協会で副会長(現同協会最高技術顧問)させていただいたし、全国を廻ったし。

 今回、僕はとても嬉しく思いますし、ただ春の褒章で九州は以外と料理人は貰えないということなので。

【西田】 非常に珍しいし、お若い(66歳)ですよね。

【斉藤】 初めてだと言われるんですけどね。ただ、今回の黄綬褒章は全国で料理人は僕だけなんですよね。県の推薦ではなくて、本庁からなので。日本中国料理協会の推薦で、厚生労働省から日本で1人だけらしいので、これは喜ばねばならないし。

 ただ、料理人も褒められて欲しいという時代。まあ、先頭バッターでも貰うのが良いのか悪いのか分からないけれども、貰えるものは貰って、皆が貰う為に頑張ってやるという糧になればと思います。

【西田】 現代の名工が3年前だったですよね?

【斉藤】 平成18年でしたね。ただ、今回、最近インフルエンザ流行ってるし、少々心配していますけれども。伝達式会場が変更になるかも知れませんね。

 地方都市にいて貰えるのは、凄く嬉しいし。今回は全国で認められた事に本当に嬉しいですね。これは本当に、嬉しい事ですね。

【西田】 斉藤さん。次からもね、色んな料理を出して下さい。今日は長時間、大変素晴らしい話が聞けました。本当に有り難うございました。

【斉藤】 『我が人生は、出逢いと運。』ですよね。本当に。有り難うございました。有り難うございました~♪


▼撮影中の清崎誠さん
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写真・文責:西田親生

               

  • posted by Chikao Nishida at 2022/8/23 12:00 am

極上鰻に舌鼓・・・140年の歴史と伝統を誇る鰻専門店『水前寺東濱屋』。これぞ、日本一!

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 明治10年創業、140年の歴史と伝統を誇る鰻専門店『水前寺東濱屋』。

 同店に初めて足を運んだのは、前職の新聞社時代であった。当時のニュースカイホテルで2日間に亘るセミナーを主催する前日に、招聘した講師と共に会食をすることになった。鰻が大好物と言うので、選んだのが同店(当時は料亭)であった。

 小川の橋を渡ると、右側に古い料亭の屋敷が見えた。そこが『水前寺東濱屋』(当時の店名は東濱屋)であった。座敷中央に案内され、最初に目についたのが風情ある中庭である。庭向こうに小川が流れ、そのせせらぎの音に癒されながら、料理が待つことにした。

 さあ、会食の始まりだ。しかし、楽しい会食というのに、皆、黙っている。黙っているのではなく、余りの美味さに言葉もなく、黙々と食べている。鰻肝も弾けそうに大きく、美味い。メインの鰻重が出されたが、とんでもないものだった。

 外側はカリカリと、中はフワフワと。分厚い極上鰻二匹の頭と尻尾を取り除き、一人前が二匹の鰻の最高の部位で盛られている。高級黒毛和牛であれば、シャトーブリアンの部位である。鰻とタレが絡み、上質の湯気立つ熱々の白ごはんと相まって、また、絶句。頬が落ちるとは、このことを言う。

 それから何年経ったろうか。熊本県立図書館がこの老舗の場所に建つというので、致し方なく、道向かいに同店が移ることになった。その時、久しぶりに足を運び入れ、暖簾をくぐったのである。

 同店は代替わりとなり、若旦那と若女将の二人、そして職人が数人所狭しと走り回っていたことを思い出す。それから、若女将が筆者を見て、固まった。筆者もその姿を見て、腰を抜かす。

 何と、20年ぶりの再会である。実は筆者が2歳の頃から遊び回っていた幼友達の従姉妹で、当時、何度か会ったことがあった。「お久しぶり。ここの若女将さんになっているとは、つゆ知らず。」と言いながら、椅子に腰掛けた。

 お客が多かったので、長話はできなかったが、出された極上鰻重は、数年前に食した料亭のものと同じだった。いや、外側のカリカリ感が程よく、以前よりも焼き方が変わったのか、鰻の肉汁を包み込み、その美味さが倍増していたのである。

 現在、開店から140年の歳月が経っているが、代替わりとなり、研究好きの若旦那が焼き方を高熱に切り替えて、昔ながらの歴史と伝統を受け継ぎながら、今の時代に合った、グルメ通を唸らすものを創り出していた。

 三本の菜箸をアクロバティックに使い、鰻を焼いて行く。先ずは、素焼きをする。オーダーを受けてから焼き始めるが、長年使い続けている秘伝のタレにジャブっと付けて、炭火の火の粉が舞い上がる上に載せて焼く。その連続だが、三本の菜箸の上を滑るように踊る鰻が、生きているように見えた。

 料亭の頃に厨房を覗いたことはないが、このように厨房で取材をしたのは初の体験。近距離から撮影しているので、カメラ本体もレンズも熱く、顔も体も高熱で汗が噴き出していた。なるほど、あの機械式の吹子が焼き方の進化をもたらしたのだろうと。

 激しい風切り音とともに、再び火の粉が舞い上がる。生臭いと思っていた鰻が、別物の芳ばしい鰻重へと変化して行く。撮影中に、恥ずかしながら、何度も腹の虫が鳴り響く。堪えきれずに、お茶を少々飲みながら、また撮影を続けた。

 撮影を終えて、テーブル席に出されたのが、写真下の特上鰻重である。色、艶、香り、形、申し分のない鰻重を見て、放心状態。分厚い鰻だ。山椒を掛けて、熱々のご飯の上に載せて、口の中に含む。一噛みした瞬間に、鰻の蒲焼特有の香りが鼻に抜ける。これは、堪らない。

 ご飯の量が多いと思いきや、分厚い鰻の蒲焼き4枚と共に、一気に完食した。これは、これは、絶句である。肝吸いも流石に美味い。香の物で〆て、お茶を流し込む。そして、最後のデザートを食して、完食。

 標題に『これぞ、日本一!』と書いたのは、数年前に友人が東京からセレブで超グルメ通を同店に連れて行き、その時、超グルメ通が発した言葉らしい。世界中の贅沢グルメ三昧している人なので、『これぞ、日本一!』は、リップサービスにあらず、素直な感想だったに違いない。


▼鰻を焼く店主 吉田明さん
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▼三本の菜箸
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▼仕上げ
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▼盛り付け
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◎水前寺東濱屋
熊本市中央区出水1-8-27
096-381-7241
定休日:毎週水曜日(月に1日程度の不定休あり)
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◎ロゼッタストーン公式サイト(since 1995/熊本県第一号WEBサイト)
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写真・文責:西田親生

               

  • posted by Chikao Nishida at 2022/8/22 12:00 am

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