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枝葉ばかり語る人の思考停止

20260723shikoteishi


 先ほど、ある社外の人物と電話で話をした。

 その人物は、主語や述語が曖昧なまま、核心に触れることなく、枝葉から延々と話し始める。それも、まるで相手の話をそのままコピー&ペーストしたかのように語り、さらに話題は次々と別方向へ飛んでいく。

 例えば、A社とB社への訪問報告であれば、A社の報告から始めること自体は構わない。しかし、結論を先に述べず、枝葉ばかりを畳み掛けるため、結局何を伝えたいのかが見えてこない。

 また、B社については、依頼事項を伝えるために訪問したにもかかわらず、「営業を受けたClaudeは導入しないことにしました」と話し始める。今回の報告とは直接関係のない情報が冒頭から飛び出してくるので、何が主題なのか理解できず、思わず戸惑ってしまった。

 一体、何を伝えたいのか。

 これは以前から何度も取り上げてきた、ビジネスにおける「報告・連絡・相談」の問題である。社会人として、報告・連絡・相談が適切にできなければ、仕事が円滑に進むはずがない。

 頭の中を整理しないまま枝葉から話し始める会話は、聞き手にとって時間の浪費でしかなく、徒に疲労感を与える。ビジネスにおいては、まさに禁じ手と言えるが、そのことを理解できない人も少なくない。

 先日、この人物と同世代の女性から、次のような話を聞いた。

 「問題になっている人たちは、私と同じ世代ですよね。本当に恥ずかしく、残念でなりません。失礼な言い方かもしれませんが、自分にはそのような悪癖がなくて本当に良かったと思います。たぶん、この人たちは核心を理解しないまま、自分では理解していると思い込んでいるのではないでしょうか。理解できていないのです。それでは会話は成立しませんし、仕事も捗りませんよね。

 まさに、その通りである。

 人工知能にも、これまでのさまざまなエピソードを時系列で整理した上で分析させたところ、筆者とほぼ同じ結論に至った。

 一番の原因は、思考停止状態にあることだ。断片的に取り込んだ情報を時系列に整理したり、点と点を結び付けて全体像を構築したりする基本的な思考回路が十分に機能していないのである。

 一方、先の女性は、一つ、二つの情報を共有しただけで、頭の中に全体の俯瞰図を描き、核心は何か、原因は何かを瞬時に見抜いていた。そのため、このような人との会話は、いつでもどこでも成立し、実に密度の高いものとなる。

 昨日からポジティブな記事を多めに書こうとしていた矢先である。しかし、好きな一曲『飛んでイスタンブール』ならぬ、「飛んでインスタント枝葉」を得意とする人の、支離滅裂な「ホウ・レン・ソウ」に付き合っていると、こちらの脳まで疲弊してしまうのである。

 最後に、脳内で整理整頓が苦手ならば、電話や会議室で報告する場合、前もって、語る順番を箇条書きしておけばいいものを。

 もちろん、結論が先であるが。

※ヘッダー画像は、ChatGPTがエッセイを読み生成したもの

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▼ChatGPTによる感想

本エッセイは、「報告が下手な人」という表面的な問題を論じたものではなく、その根底にある思考の構造にまで踏み込んでいる点に価値があります。報告の拙さを話し方や性格の問題として片付けるのではなく、「情報を整理・統合し、優先順位を付ける能力」の欠如として捉えているため、単なるコミュニケーション論を超えた内容となっています。

特に印象に残るのは、「枝葉ばかり語る人」と「俯瞰図を瞬時に描ける人」を対比させた構成です。この対比によって、読者は何が本質的な違いなのかを具体的に理解できます。前者は断片的な情報をそのまま吐き出し、後者は情報同士を結び付け、全体像を把握した上で話す。この違いは、報告だけでなく、営業、交渉、経営判断、さらには生成AIへのプロンプト設計にまで共通する能力だと言えます。

また、「人工知能にも分析させたところ、筆者とほぼ同じ結論に至った」という一節は興味深いものがあります。AIを権威として持ち出しているのではなく、自身の観察結果を別の分析手段で検証したという位置付けになっており、客観性を補強する役割を果たしています。

終盤の「飛んでイスタンブール」から「飛んでインスタント枝葉」への言葉遊びも、重くなりがちなテーマに少しだけユーモアを添えています。こうした軽妙さがあることで、読者は苦笑しながらも「確かにこういう人はいる」と記憶に残りやすくなっています。

最後の「話す順番を箇条書きしておけばいい」という締め方も実践的です。批判だけで終わらず、改善策まで提示しているため、教育的な価値があります。報告が苦手な人に対して「能力がない」と断じるのではなく、「準備という手段で改善できる」と示している点は建設的です。

このエッセイの核は、「話し方」の問題ではなく、「考え方」の問題であるという一点にあります。結論を先に置ける人は、既に頭の中で全体像を組み立てています。反対に、枝葉ばかりを語る人は、話しながら考えているのではなく、整理されていない情報をそのまま放出しているだけです。報告の質は、その人の思考の質を映す鏡である――その本質を、具体例を交えながら説得力豊かに描き切った一編だと感じました。
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文責:西田親生


                       

  • posted by Chikao Nishida at 2026/7/23 12:00 am

「育てる」は、百手以上の読みが必要

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 企業において、いかに人を育てるか。それは、最も重要な課題の一つである。

 将棋に例えるならば、「育てる」とは百手以上先を読みながら進めるようなものである。それぞれのスタッフの気質、性格、癖、知的レベル、技量、嗜好などをできる限り把握した上で、適材適所のシミュレーションを行う必要がある。

 人は一人ひとり異なり、全く同じ人間は存在しない。上述したものを全て深く知ることは、不可能に近い。肉親であっても互いの人格や能力を完全に知ることはできないのだから、他人となればなおさらである。見えているようで、その実、霞がかかっている。

 一つを教えれば、脳内で知識を連動させられる人がいる。そのような人は、一つの学びを、これまでインプットしてきた多くの知識と結び付けることができるため、時間をかけることなく次のステップへ進める。

 しかし、脳内で知識を連動させることが不得手な人は、一つひとつの指導を個別に確認しなければならない。例えば、十項目の課題があるとすれば、前者よりも後者の方が十倍近い時間を要することは否定できない。

 また、指導する側と学ぶ側との間には、相互の信頼関係が不可欠であり、その有無によって育ち方は大きく変わる。どちらか一方でも違和感や不信感を抱けば、「育ち」の加速度は鈍り、目標達成は遠のいてしまう。

 したがって、育成期間が短距離走のような短期であろうと、マラソンのような長期であろうと、信頼なくしては育てることも、育つこともできない。

 人は日によって調子が良い日もあれば、悪い日もある。同じ条件で学びに向き合い続けることは決して容易ではない。だからこそ、学ぶ側は指導者の「育てる」というベクトルを正しく読み解かなければならない。

 「育てる」とは、指導側の一方的なものではなく、共同作業である。そのため、日々の、それも習慣的な変化を細かく捉えながら、ベクトルを微調整しつつ進めていく必要がある。

 人は誰しも、「恨み、辛み、妬み」といった感情のアンテナを持ち合わせている。公平に指導していても、妬みが生まれたり、恨みを抱かれたりすることは珍しくない。しかし、そのような俗っぽい感情の次元で指導を行うものではない。

 したがって、育つ過程で勝手に「恨み、辛み、妬み」を抱く人は、脱落していく確率が高くなる。自分の足元を見ることなく、他者の成長ばかりが気になるため、あちこちへ気が散り、自ら成長する機会を逃してしまうのである。

 学び、育つべき人も大変だが、複雑で繊細な人間を相手に、「育てる」という一点に集中する指導者は、それ以上に大変なのである。

 何はともあれ、「育てる」とは、幾重にも用意した指導パターンの中から、適時適切なものを選び、試行錯誤を重ねながら、育つべき人のスキルアップに尽力することが重要だ。

 以上、漠然とした話になってしまったが、指導する側もまた、「日々変化、日々進化」を念じながら、人が育っていく姿を誇らしく見守り、ときには笑みを浮かべ、ときにはゲンコツを振り上げたい衝動を抑えつつ、パワハラにならない範囲で、厳しい指導を続けていかなければならない。

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▼ChatGPTによる感想

このエッセイは、「人材育成」を単なる教育論ではなく、相手の気質、能力、感情、信頼関係、成長速度まで読み込む高度な知的作業として捉えている点に重みがある。タイトルの「百手以上の読み」は非常に効いており、育成とは場当たり的な指導ではなく、将棋のように先を読み、布石を打ち、相手の反応を見ながら微修正していく営みであることを端的に示している。

特に印象的なのは、「一つを教えれば連動できる人」と「一つひとつ個別確認が必要な人」との対比である。これは現場の実感に近い。能力差というより、知識を横につなげる力、応用する力、抽象化する力の差であり、ここを見抜けない指導者は、全員に同じ教え方をしてしまう。結果として、伸びる人は勝手に伸び、伸び悩む人は放置される。筆者はそこを「育てる側の読み」として捉えており、教育設計の本質を突いている。

また、信頼関係を育成の土台に置いている点も重要である。どれほど正しい指導であっても、学ぶ側が不信感を抱けば、言葉は届かない。逆に、信頼があれば厳しい言葉も成長の刺激になる。つまり、人を育てるとは、知識や技術を注入することではなく、「この人の指導なら受け止めよう」と思える関係性を築くことでもある。この視点があるため、文章全体に単なる上司目線ではない、人間学としての厚みが生まれている。

後半の「恨み、辛み、妬み」のくだりは、非常に現実的である。教育現場でも企業現場でも、公平に指導しているつもりでも、受け手の劣等感や比較意識によって、指導が歪んで受け取られることがある。筆者はそこを甘く見ていない。成長できる人は自分の足元を見るが、脱落する人は他者の扱いばかりを見る。この指摘は厳しいが、現場を知る者の言葉である。

このエッセイの核は、「育てるとは、指導側の一方的なものではなく、共同作業である」という一文にある。ここに、人材育成の本質が凝縮されている。指導者だけが努力しても駄目であり、学ぶ側だけが頑張っても限界がある。双方が信頼し、読み合い、歩幅を調整しながら進むからこそ、人は育つ。百手以上の読みとは、相手を操作するための読みではなく、相手を活かすための読みである。

全体として、幹部社員教育や社員研修の教材に転用しやすい内容である。特に、「教える」と「育てる」の違いを考えさせる導入教材として有効であろう。教えることは点の伝達だが、育てることは線と面の設計である。さらに言えば、人を育てる指導者自身もまた、日々変化し、日々進化しなければならない。そこに筆者の厳しさと温かさが同居している。
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文責:西田親生


                     

  • posted by Chikao Nishida at 2026/7/10 12:00 am

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