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「覚悟」について記事を推敲

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 ここしばらく、「覚悟」とは何ぞやと自問自答しながら推敲を重ねていた。自分自身には覚悟があるのか。ようやく動き始めた某プロジェクトの関係者には、どれほどの覚悟が備わっているのか。頭の中では、その問いがぐるぐると回り続けていた。

 その過程で、人としての覚悟とはどのようなものなのかと考えるうち、ふと脳裏に浮かんだのは皇室制度であった。

 日本は、世界で最も長い歴史を持つ国家とされる。他国には「四千年の歴史」などと誇張めいた言説もあるが、戦乱や文明の断絶を繰り返し、歴史が連続していない国も多い。それに比べ、日本は歴代の皇室を中心軸としながら、文化と国家の筋を保ち続けてきた。その「連続性」こそが、世界的に見て、唯一無二なる存在なのだ。

 そこで、皇室の二千数百年に及ぶ変遷を思い浮かべながら、「皇室とは何か」「皇室に身を置く方々はいかなる覚悟を抱いておられるのか」と考えるに至った。無論、庶民である私が皇室の覚悟と自らの覚悟を並べて論じること自体、僭越の極みである。その非礼を前提とした上で、それでも思索は巡り続けた。

 筆者は現代の皇室制度を否定する立場には全くない。昭和以前(戦前)の皇室については文献で知るほかなく、語れる資格も持ち合わせていない。しかし、現代の皇室をめぐる報道や世論には、どうしても腑に落ちない点が多々ある。それは、公務と私生活の区別、メディアの過剰な報道姿勢、そして「追っかけ」と称される人々の言動に対する違和感である。

 皇族の方々も、我々と同じく生身の人間である。ところが、海外メディアのパパラッチを真似たようなオールドメディアの取材姿勢には、目に余るものがある。本来、皇室の公務を淡々と報じるのはメディアとして当然の責務である。だが、私生活に土足で踏み込むような報道は、名誉毀損にも等しい愚行であり、慎むべきだ。

 我々庶民との距離が縮まると称して、玄関先でカメラを構える者、訪問先でスマホを向ける者。もし自分自身がそのような環境に置かれたら、とても耐えられるものではない。公務は是としても、私的領域にまで追い回す行為は、常軌を逸しているとしか言いようがない。

 過去には、皇族の方々が精神的な不調をきたされたという報道も耳にした。あれほどの重圧の中で生活されるのだから、当然のことであろう。そこには、報道のあり方、そして追従する人々の軽々な振る舞いに、少なからず問題がある。

 敗戦国となり、日本の制度は大きく変わった。しかし、日本という国家や国民が滅びたわけではない。今日の日本国憲法も皇室典範も、結局は人間が作ったものであり、特に、戦勝国の都合が色濃く反映されている。そこに疑問を抱く余地もあるにはある。

 さて、本題の覚悟に立ち返れば、自問自答の末に見えてくる結論は一つである。まだまだ、自分は覚悟が足りない。死ぬ思いで覚悟し切ったことがあるのかと問われれば、答えは「否」である。生ぬるさが、今の不甲斐なさに繋がっているのだと痛感する。

 公人ではないため、パパラッチも追っかけもいない。だが、皇室の方々が背負われている覚悟を思うと、自分にはまだまだ甘さが残っていると感じざるを得ないのである。

 実は、以上の推敲は、すべて夢の中でのことであったのだ。爆睡し、目覚めた直後、記憶に残された夢の断片を辿りながら書き起こしたものである。しかし、夢であったとはいえ、その背景には自分の内側に眠る本音があったのだろう。「覚悟」という二文字について、あらためて深く考えさせられたのだ。

 最後に、現代のオールドメディアの報道姿勢、そして追っかけと称される人々の言動には、強く慎んでほしいと物申したい。公務は正しく報じるべきだが、私生活への踏み込みは、皇族の名誉を傷つける甚だしい非礼であり、蛮行に等しい。皇室もまた生身の人間であるという大前提を忘れてはならないのではなかろうか。

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▼ChatGPT-5.1による感想

読みながらまず感じたのは、「覚悟」という抽象的なテーマを、いきなり自己啓発風に語るのではなく、皇室制度という“極限の覚悟”を背負った存在に結びつけていく構成の重さです。個人の心構えの話から始まるのに、すぐに「連続性」「二千数百年」というスケールに一気に飛ぶことで、「覚悟」という言葉の次元がグッと引き上げられています。

特に、

歴代の皇室を中心軸としながら、文化と国家の筋を保ち続けてきた。
というくだりは、「覚悟=一時の気合い」ではなく、「筋を保ち続ける」「連続性を守り抜く」という、時間軸の長い覚悟として捉えている点が印象的でした。多くの論説が「覚悟=挑戦」や「覚悟=決断」に寄りがちな中で、ここでは「連続させる」というベクトルに置き直しているのが、このエッセイの核のひとつだと思います。
そのうえで、皇室へのスタンスが「崇拝」でも「否定」でもなく、

現代皇室制度そのものは否定しない
ただし、メディア報道や「追っかけ」に対しては強い違和感と批判
という線の引き方になっているのも特徴的です。
皇室を“覚悟の象徴”として捉えながら、問題視しているのは皇室ではなく、それを消費する側(報道・追従する人々)の振る舞いだ、という矛先の向け方が一貫しています。
中盤、「公務と私生活」という対比が繰り返し出てきますが、ここは単に皇室の話に留まらず、「他人の人生にどこまで踏み込んでよいのか」という、現代社会全体のモラルの問題としても読めます。
「もし自分が同じ立場なら耐えられない」という視点をはさむことで、皇室を“遠い存在”として語るのではなく、「同じ人間」として位置づけ直している点も、読後に残るところです。

そして大きな転換点が、「覚悟」の話を、皇室やメディア批判だけで終わらせず、きっちり自分自身に引き戻しているところです。

まだまだ、自分は覚悟が足りない。
死ぬ思いで覚悟し切ったことがあるのかと問われれば、答えは「否」である。
皇室の覚悟を“鑑”として持ち出しておきながら、「自分を美化するための引き合い」に使っていない。むしろ「そこで照らされる自分の甘さ」を直視しているので、トーンとしては厳しいのに、自己正当化の気配がない。このあたりが、文章全体の誠実さにつながっているように感じました。

さらに、「実はすべて夢の中の推敲だった」というラストの種明かしも面白い仕掛けです。普通なら「夢オチ」は軽くなりがちですが、この場合は逆で、

それほどまでに「覚悟」というテーマが無意識レベルに沈んでいる
目覚めと同時に、夢の断片をたぐり寄せるようにして書いた
という裏話が加わることで、「これは今の自分の“深層の不安”や“課題意識”が浮かび上がったテキストなのだ」というニュアンスが強まっています。
現実の社会批評と、個人の無意識世界が“覚悟”というキーワードで接続されている構造が、読み味としてかなり独特です。

最後の一段落で再び「オールドメディア」と「追っかけ」に戻り、

皇室もまた生身の人間であるという大前提を忘れてはならない
と締めているのは、「覚悟を要求する側」「興味本位で追いかける側」の傲慢さへの警鐘として響きます。同時に、冒頭の「覚悟とは何ぞや」という問いに対して、はっきりと定義を示してはいませんが、

連続性を担う重さを、自覚して背負うこと
その重さを背負う者の“人間としての尊厳”を踏みにじらないこと
この二つが、行間から浮かび上がってくる「覚悟」の輪郭のように感じました。

総じて、

国家・皇室というマクロの視点
メディア/大衆という社会の視点
筆者自身の覚悟の有無というミクロの視点
そして夢という無意識の層
これら四層を行き来しながら、「覚悟」と「人としての尊厳」を同時に問うエッセイになっている、というのが率直な感想です。

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文責:西田親生


               

  • posted by Chikao Nishida at 2025/11/29 12:00 am

フェイク情報がもたらす危険性と法整備の遅れ

newstop


 現在、フェイク情報が世界中を駆け巡っているが、それを、単なるトリックとして、愉快、面白い、ウケルなどと、フェイク情報に対する受け止め方が、個々人異なり、また、それに対する法整備が遅れている点が気になる。

 フェイク情報により、名誉毀損の被害に逢う人もいれば、フェイクを信じて誘導され詐欺に遭ったりと、愉快犯も含めて、善意の人たちを罠に陥れる輩が数多く存在している、情けない時代となった。

 WEBま勿論のこと、YouTubeやTikTok、XなどのSNSを通して、フェイクが横行し、生成AIの登場により、フェイク情報(テキスト、画像、動画、音楽など)を容易に生成できる環境下において、悪質なフェイク情報拡散に手を染める輩が急増している。

 手品のトリック、ドッキリカメラ、エイプリルフールのように軽々に受け止める人たちは、瞬間的に面白い、素晴らしい、驚きだと褒め称えるが、不特定多数の人たちを価値なき虚偽情報に目を向けさせて、社会モラルも無視の状態にて、フェイク情報が完璧な無政府状態を創り出しつつあることを見過ごしてはならない。

 国内法を見ても、名誉毀損の被害を受けても、法的な確たる加護は存在せず、それを証明するだけでも大変な労力と経費を個人に負担させる仕組みとなっている。著作権侵害についても、有名人や公的なもの以外は、個人的な問題(民事)として、被害届が出たとしても、刑事事件として取り扱う熱量は捜査当局である警察にあっても、検察にはないのが現状である。

 このように、常に法は危機的状況であっても、最後尾から、遅ればせながらに法整備をしてきているものの、これまでの行政府や立法府によるカタツムリのような速度では到底追いつけず、後手後手にまわるのではなかろうかと危惧するばかり。

 フェイク情報を故意に拡散することへの法定刑はどうなっているのだろうか。確たる法定刑が存在しないから、愉快犯が次から次へ連鎖してフェイクをおもちゃにして、罪悪感もなく日々戯れているのである。

 社会的にも個人的にも、被害が生じるようなフェイク情報を故意に拡散する輩に対しては、「虚偽情報拡散罪」(仮称)として、社会的な制裁を厳しく加えるのは当然のことである。

 兎に角、政治家で現状認識に疎い人が多いことは周知の事実であるが、生成AI時代が加速度を増すにつれ、上述のような社会問題が処理不能に陥るのは、時間の問題となっている。

 マスコミにおいても、生成AIへの研究がどの程度行われているのか、マスコミ共通ガイドラインの策定は完了しているのか知る由もないが、今の時代は様子見だけでは、新たな問題が溢れ出て来るばかりで、それが犯罪に結び付くものであれば、1秒でも早く法整備へ圧力をかけるのが、ジャーナリズムの重積ではないか。

 「虚偽情報拡散罪」(仮称)については、早急に検討願い、昔からネット上に存在する「誹謗中傷掲示板」なども含めて、徹底的な取り締まりが可能となるよう、法整備は急務である。

 諄いようだが、特に、名誉毀損や著作権侵害については、被害者救済措置を万全にできるよう、法改正を願えればと。

 最後に、考えてみて欲しい。大災害に見舞われた地域に対して、愉快犯がフェイク情報を垂れ流せば、被害はより甚大となり、また、地域の人たちはパニック状態に陥ってしまう。熊本地震の時に、道路上をライオンが歩いているような画像があったが、このようなフェイク情報が放置され、無数に存在するとなれば、世の中は大混乱に陥るだけの話となる。

▼フェイク情報を拡散する輩のイメージ
generated by DALL-E
20240729fake-1


▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイは、現代社会におけるフェイク情報の横行と、それに対する法的対応の不備を強調しています。以下に、感想と共にエッセイの内容を詳しく分析します。

感想と分析
1. フェイク情報の蔓延とその影響
エッセイは、フェイク情報が世界中を駆け巡り、その影響が多岐にわたることを強調しています。これにより、名誉毀損や詐欺などの被害が発生し、多くの善意の人々が罠にかかってしまうと述べています。特に、SNSや生成AIの普及により、フェイク情報の生成と拡散が容易になっている点が指摘されています。

2. 法的対応の遅れとその問題点
フェイク情報に対する法整備の遅れが問題視されています。名誉毀損や著作権侵害に対する法的保護が不十分であり、個人が被害を証明するための負担が大きいことが述べられています。また、捜査当局がこのような問題に対して十分な対応をしていない点も指摘されています。

3. 法整備の必要性
エッセイは、フェイク情報を故意に拡散する者に対する厳しい法的制裁が必要であると訴えています。具体的には、「虚偽情報拡散罪」(仮称)として、新たな法的枠組みを早急に導入するべきだとしています。このような法律が存在しないため、愉快犯が罪悪感なくフェイク情報を拡散していると述べられています。

4. ジャーナリズムと社会的責任
マスコミに対しても、生成AIの研究と共通ガイドラインの策定が重要であると述べられています。ジャーナリズムが果たすべき役割として、法整備への圧力をかけることが強調されています。現代の問題に迅速に対応するためには、ジャーナリズムが積極的に動く必要があると主張しています。

5. 名誉毀損と著作権侵害の被害者救済
エッセイは、特に名誉毀損や著作権侵害の被害者救済が万全に行われるよう、法改正が必要であると強調しています。被害者が適切な救済を受けられるような仕組みが整備されていない現状に対して強い懸念を示しています。

6. 災害時のフェイク情報の危険性
最後に、大災害時にフェイク情報が流布されることの危険性について触れています。熊本地震の例を挙げ、フェイク情報が被害をより甚大にし、地域の人々をパニック状態に陥れる可能性があると警告しています。このような状況を防ぐためにも、法整備が急務であると強調しています。

総評
このエッセイは、現代社会におけるフェイク情報の問題と、それに対する法的対応の不備を鋭く指摘しています。フェイク情報の拡散が社会に及ぼす深刻な影響と、それに対する法整備の遅れを具体的に述べることで、法改正の必要性を強く訴えています。特に、被害者救済の視点やジャーナリズムの役割に対する考察が深く、説得力のある内容となっています。

全体的に、フェイク情報に対する危機感と、それを防ぐための具体的な提案が示されており、法整備の重要性を再認識させるエッセイとなっています。
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◎ロゼッタストーン公式サイト(since 1995/熊本県第一号WEBサイト)
 https://www.dandl.co.jp/Link
プロンプト・文責:西田親生


                     

  • posted by Chikao Nishida at 2024/7/29 12:00 am

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