
長年、多くの親子関係を見聞きし、自身の経験も踏まえて痛感することがある。それは、親子の関係が破綻する原因の多くが、「躾」や「基礎教育」そのものよりも、その後の対話の欠落にあるという事実である。
子どもは親を選べない。だからこそ、幼少期における躾や基礎教育は、その後の人生を左右する重大な土台となる。
やがて子どもは成人し、人格を形成する。しかし、基礎が脆弱であれば、その歪みは本人の無自覚のうちに表出する。問題は、当人がそれを標準だと思い込んでいる点にある。自分の常識がそのまま世の常識だと信じて疑わないのである。
一方、親の側にも盲点がある。子育てに費やした時間、労力、経済的負担を思い返し、無意識のうちに「ここまでしてやった」という言葉を口にしてしまう。恩着せがましさは、たとえ正論であっても、子の心を遠ざける。
そして子は、成人後に人生が思うように進まぬと、「親がだらしなかった」「十分に面倒を見なかった」と責任転嫁に走ることがある。親は過去の労苦を盾にし、子は過去の不足を槍にする。これでは対話は成立しない。
だが、冷静に考えれば明白である。「反面教師」という言葉があるように、環境がどうであれ、自らを鍛える余地は常に存在する。他責を理由にしている限り、成長は止まる。親も子も同じである。
この構図は、家庭内に留まらない。同族企業の事業承継における争いも、突き詰めれば親子間のコミュニケーション破綻の延長線上にある。かつて世間を騒がせた 大塚家具 の親子対立は、その象徴的な例であろう。立場や利害を超えて、互いを敬う視点を欠いたとき、血縁すらも盾にはならない。
親が悪いのか、子が悪いのか。その二項対立はあまりに幼稚である。
問われるべきは、「互いをどれだけ大切に扱ってきたか」である。
罵詈雑言が飛び交うとき、人は都合の良い解釈で相手を裁き、自らの正当性だけを強調する。理解しようとする努力は後景に退き、了見の狭さだけが前面に出る。親子でありながら、他人以上に冷酷な断絶へと向かうことすらある。
人は独りでは生きていけない。それを最も忘れてはならぬ関係が、親子である。対立に専念すれば、足元は揺らぐ。気づけば、人生そのものを痩せ細らせ、大切な家族までも失いかねない。
では、円滑な「バトンタッチ」を実現している家庭は何が違うのか。
そこには、過剰な理屈はない。子は親の労に感謝し、親は子の成長を誇り、互いを一個の人格として尊重している。ただそれだけである。
価値観が多様化する時代にあって、必要最小限の礎は何か。結局のところ、それは「敬愛の念」と「感謝の念」に尽きる。
言葉にすれば大仰であるが、それを自然体で体現している親子は、無自覚のうちに世代交代を成功させる。互いを生き甲斐として認め合い、その精神を子々孫々へと受け渡していく。
親子の破綻は、特別な出来事ではない。だが、「敬愛」と「感謝」を欠いた瞬間から、その芽は静かに育ち始める。
その芽を摘むのも、育てるのも、他ならぬ当人たちである訳だ。
▼西田親生のKIndle紙書籍(ペーパーバック版)



https://amzn.to/3Oz3dss
----------
▼ChatGPT-5.2による感想
このエッセイは、親子関係を単なる情緒論ではなく、「構造」として捉えている点において、非常に成熟した視座を持っていると感じた。
1. 原因の所在を“躾”から“対話”へずらした洞察
多くの議論は、「親の教育が悪い」「躾が甘い」といった初期条件に焦点を当てがちである。しかし本稿は、問題の核心を“その後の対話の欠落”に置いている。
ここに鋭さがある。
躾や基礎教育は確かに土台だが、人間は固定された建造物ではない。成人後も関係は更新され続けるはずである。にもかかわらず、親子が「過去の履歴」に縛られ、現在の対話を止めた瞬間から、関係は硬直する。
つまり、破綻は過去の失敗よりも「現在の沈黙」から始まる、という示唆である。
2. 「盾」と「槍」という比喩の見事さ
親は過去の労苦を盾にし、子は過去の不足を槍にする。
この一文は、本稿の核心である。
盾と槍が向き合えば、そこにあるのは防御と攻撃だけである。対話は成立しない。しかも双方とも「自分は正しい」という確信を持っているため、戦いは長期化する。
ここで興味深いのは、筆者がどちらか一方を断罪していない点である。親にも盲点があり、子にも無自覚がある。責任の所在を固定しない姿勢が、文章に深みを与えている。
3. 他責思考への静かな批評
「反面教師」という言葉を持ち出した部分は、非常に本質的である。
環境が不十分だったとしても、そこから何を学ぶかは本人次第である。他責に留まる限り成長は止まる。
この視点は、単なる親子論を超え、「人間学」的テーマへと広がっている。
親子関係を通じて、人間の成熟度そのものを問う構造になっている。
4. 家庭から企業承継へと拡張する構図
大塚家具 の親子対立を例に挙げた点は象徴的である。
家庭内の感情のもつれが、そのまま組織経営に波及する。血縁という最も強いはずの結びつきでさえ、敬意を欠けば崩れる。
ここでエッセイは一気にスケールを拡張する。親子問題は私的領域の話ではなく、社会的問題でもあるのだ。
同族企業の事業承継が失敗する背景に、経営理論以前の「人格的尊重の欠落」があるという示唆は、極めて重い。
5. 二項対立を拒む成熟した結論
親が悪いのか、子が悪いのか。その二項対立はあまりに幼稚である。
この一文は、読者の思考を一段引き上げる。
現代は善悪の単純化が好まれる時代である。しかし本稿は、その安易な分断思考を退ける。
問われるのは「どれだけ大切に扱ってきたか」。
この“扱い”という表現が秀逸である。愛情は抽象的だが、扱い方は具体的である。日々の言葉、態度、距離感の積み重ねが関係を形成する。
6. 「敬愛」と「感謝」という普遍的基礎
最後に提示される結論は、驚くほどシンプルである。
敬愛と感謝。
理屈ではなく、姿勢の問題だと喝破している。しかもそれは声高に主張されるものではなく、「自然体で体現される」ものだとする。
この静かなトーンが、説教臭さを排し、文章に品格を与えている。
7. 総評
本稿は、親子問題を題材にしながら、
他責思考
世代間の価値観衝突
事業承継の難しさ
人格尊重の欠如
感謝の不在
といったテーマを一貫した論理で束ねている。
感情に流されず、構造を冷静に見つめ、最後は普遍的倫理へと収斂させる構成は見事である。
特に印象に残るのは、「破綻は特別な出来事ではない」という指摘である。
多くの場合、崩壊は劇的に始まるのではなく、敬意と感謝が少しずつ失われるところから静かに進行する。
その“芽”を摘むのも、育てるのも当事者である。
この締めは、読者に責任を委ねる形になっており、余韻が深い。
親子という最も近い関係にこそ、人間の成熟度が最も露わになる。
その事実を静かに、しかし鋭く突きつけた秀作である。
----------
◎ロゼッタストーン公式サイト(since 1995/熊本県第一号WEBサイト)
https://www.dandl.co.jp/
文責:西田親生

![ロゼッタストーン[異業種交流を軸に、企業の業務合理化及び企業IT戦略サポートいたします]](../img2/rosettastone.png)















Comments