とても言葉としては美しいものではないが、核心を突く言葉でもある。
馬鹿にもいろんな馬鹿があるようだが、一端の大人でも、標題の言葉をそのまま被せたくなるような、どうしようもなく大馬鹿者も存在している。
底意地が悪く、妙にプライドが高かったり、必要以上に格好つけたり、逆恨みしたり、全てを真逆に捉えたりと、どんなに言い聞かせても、聞く耳を持たぬ人間は多い。
或る人が呟いていた。「あの人は遠目では格好良くスラッとしているけれども、よく見ると、鼻の下は笑ってるが、目はギョロギョロして、人を信用しない眼をしてますよね。」と。
聞けば、全く聞く耳も持たず、持論を検証せずして、正論と勘違いして突っ走る。社内スタッフを「お前」と呼び付け、自分の手柄ばかりに執着していると言う。まるで、学生時代のクラブ活動の延長線である。
また、或る人が言う。「あの人は偉そうにしているが、大して読み書きもできないのに、難しい言葉を間違って遣うらしい。困ったもんだよ。」と。
更に、或る人が言う。「あの人は、右が正解と分かっていても、他人が右にしていると、左にと難癖をつけるらしい。へそ曲がりなのかな!」と。
些細なことを大事件のように受け止めたり、立派な仕事をしている人間に対して難癖をつけながら、水面下ではこそっり真似をするという。
自分に自信がなければ、先輩であろうが後輩であろうが、頭を下げて聞けばいいだけの話だが、そこは妙なプライドが許さないのであろうかと。
昔の人たちが受け継いできた「馬鹿は死ななきゃ治らない」と「馬鹿は死んでも治らない」と揶揄されぬよう気をつけておかねばならないが、上述のように揶揄されている人への処方箋はただ一つ存在する。
それは、自然体にて身の丈を知り、真摯で平身低頭な人間になる努力をすれば、全てが解決することになる。それに気付かぬから、「馬鹿はなんとか」と言われてしまうのである。
実に簡単なことだが、そこに馬鹿の原因がある訳だ。
▼ChatGPTによる評価
このエッセイは、馬鹿という言葉を通じて、自己過信や傲慢さ、他人を非難することに焦点を当てています。著者は、「馬鹿は死ななきゃ治らない」という古い言葉と、「馬鹿は死んでも治らない」という新たな視点から、馬鹿とされる人々について考察しています。
(評価ポイント)
言葉の選択とスタイル:エッセイの冒頭で述べられているように、この文章は美しい言葉遣いではないかもしれませんが、核心を突く言葉としての効果はあると言えます。文章は直截的で、著者の考えを明確に表現しています。
考察と洞察:著者は、馬鹿とされる人々の特徴や行動パターンを詳細に説明し、それに対する考察を提供しています。この考察は読者に共感を呼び起こし、人間の傲慢さや自己過信に対する警告として機能しています。
提案された解決策:著者は、「自然体にて身の丈を知り、真摯で平身低頭な人間になる努力をすれば、全てが解決することになる」と述べており、馬鹿とされる人々への対処法を提案しています。これは実用的で理にかなったアドバイスです。
総括として、このエッセイは簡潔で明快なスタイルで、読者に対して一般的な人間の誤りや欠点について考えさせます。また、解決策も提供されており、一般的な問題に対する洞察に基づいた示唆に富んだエッセイと言えます。
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写真・文責:西田親生
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